(2024/1/10) | さとう社会問題研究所・心理コンサルティングのブログ

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あらゆる社会での対人関係の問題は心の問題の原因にもなります。
法律や政策により苦しめられている方たちもいます。


さとう社会問題研究所では、社会問題を始め、
クライアントの抱える様々な問題解決のため、助言を続けています。

(2024/1/10)

 

みなさん、ごきげんよう。

 

今回もネット記事のご紹介です。

 

今回は「引きこもり」についてです。

 

昨日は、Xにて、「社会的ひきこもり」に関する報道をポストしております。

 

宜しければ、それも併せてご覧いただければと思います。

 

 

引きこもりも特別なものではなくなっております。

 

わたくしも、虐待父が中高年の引きこもり生活の末に死にました。

 

また、心理コンサルティングの中で、ご家族のひきこもりについてお話をうかがう事もあります。

 

社会的には、誰にでも起こりえる身近な問題であるという認識からアプローチすることが必要でしょう。

 

わたくしは、不登校と共に、長期にわたるアプローチを覚悟すべきものと考えております。

 

先日もマイクラ配信で触れたような、行政が得意とする「相手を否定し変えようとするアプローチ」では、

解決できない類のもので、昨日ポストした記事から、少し考えているところです。

 

行政のアプローチに近いものとして、昨年も、強制的に連れ去って精神病院に入院させる類の支援と称した犯罪行為に関する記事も挙げております。

 

どうして行政のアプローチと犯罪が近いのか?を考えてみてください。

 

 

では、今回も記事の中から気になった点を取り上げ、わたくしの考えを付けてみます。

 

両親も私もそこまで深く考えていなかったので、『頑張って行け』と励ましただけ

 

苦しんでいる方に応援は見殺しと同じです。関わってくれない方がマシ

 

応援すると、ご自分では何もしていないのに気持ち良くなりませんか?

 

何かしていないと不安だから、とりあえず励まして応援する。あくまで自分のため

 

目の前の苦しんでいる人の気力を奪っている事を知ってください。

 

本当に苦しんでいる人には、あなたの口先だけで中身のない言葉が届く事はありません。

 

Kさんの部屋のドアを挟んで責め続けたのです。Kは抵抗もせず、ただ静かに両親の気がおさまるのを待つ感じ


相手に気を遣わせてどうなるのでしょう?

 

介護してもらっているのは、常に被害者ではなく加害者です。

 

この事を知っておいてください。

 

わたくしは、ご本人より、ご家族や周囲の方こそカウンセリングを受けるべきだと考えております。

 

これには色々な意味がありますが、全社会的に支援の難しさが正しく理解されていない。

 

この事案を見ても、病院に行って診てもらうべきはご両親だったというのはお分かりいただけるかと思います。

 

まあ、カウンセリングと言ったら全力で逃げていたでしょう。だから息子さんを追い詰めた

 

Kさんを、『情けない』『恥ずかしい』と罵る親

 

パワハラでも良くありますよね。

 

文句は言うけど解決策は示さない評論家の上司。

 

わたくしもパワハラ塾長さまがそういう方でした。

 

兼本さんの母は、「父さんのお説教が効いたんだ!Kがこんなに長い時間外で過ごすなんて、奇跡かも」と、むしろ喜んでいた

 

これが一番ダメな点です。ダメと言う評価にすら値しない

 

これは、支援者や学校の先生、家族で最も多く見られる勘違い。

 

「あんたが喜んでどーするの?」です。

 

あなたが喜んでいるという事は、あなたは相手に気遣わせている、という事。

 

あなたが気持ち良くなっているという事は、目の前の方はその分、傷付いて苦しんでいる。

 

「被害者は加害者を悦ばせるために生きているのではない」という事を知ってください。

 

 

これ以上は無茶苦茶になりそうなので、ここで辞めておきます。

 

これでも、極限までソフトに書いております。

 

それくらい、有害無益な対応が満載の事案です。

 

 

今回もこの辺で。

 

 

さとう院さとう(さとう社会研究所・さとう心理コンサルティング

 

 

家を追い出された20代弟が帰らぬ姿に…「できることはもっとあった」姉の無念』(東京新聞、2024年1月8日)

 

 思春期を含め、10~20代が生活を正すよう咎められたり、働くよう促されたりして、親きょうだいと険悪になるケースは少なくない。そんなとき、「決して勢いで、『家から出て行け』などと言わないでほしい」と警鐘を鳴らすのは、兼本芳香さん(仮名・当時30代)。

◆大学受験の失敗で失意の底に…

 兼本さんの両親は家計を支えるために朝から晩まで働き、兼本さんは親に代わってきょうだいの面倒をみた。いちばん年の離れた弟Kさん(当時20代)に関しては、オムツも頻繁に変えていたとか。
「姉の私が言うのはおかしいかもしれませんが、Kは手のかからない弟で、幼稚園や小学校、中学・高校まで何の問題もなく順調でした。どちらかといえばおとなしいタイプで、ゲームやネットを楽しむインドア派。いつも友達に囲まれて、楽しそうでした」

 そんなKさんの生活が一変したのは、大学受験の失敗。友達と「一緒の大学を目指そう!」と勉強を頑張ってきたのに、受験に落ちたのだ。Kさんは「一浪をしてでも、みんなと同じ大学に行きたい」と希望したが、両親は「家計的に浪人はさせられない」と拒否。

「Kは、滑り止めに受けた大学へ進むことになりました。でも、まわりには活発な子が多かったみたいで、『疎外感を抱くことがある』と相談されたこともあります。でも、両親も私もそこまで深く考えていなかったので、『頑張って行け』と励ましただけでした」

◆部屋にカギをかけて引きこもる

 しかしKさんは、大学を休みがちになる。最初は両親にウソを並べていたが、そのうちごまかしきれなくなり、部屋にカギをかけて引きこもるようになった。両親が仕事へ行った頃を見計らい、バイトをして貯めていたお金を使って食べ物や飲み物を購入する日々。

「そのうち大学に行く頻度はだんだんと減っていきましたが、それでも、何日かに一度は頑張って通っていました。でも、両親は『行く気がない』『どうせ留年するのに、お金の無駄』と、半強制的に大学を辞めさせてしまったのです」

 そして、すぐに仕事を探すよう毎日Kさんを急かし続けた。しばらくするとKさんは、部屋からほとんど出てこなくなってしまう。それでも、子供の頃からの友人たちが心配して訪ねてきたときには、部屋に招き入れて楽しそうに会話をしていたと兼本さん。

「でも、両親はそれをよく思わなかった。『学校にも仕事にも行っていないのに、友達とは遊べるのか』『いつからそんな怠け者になった?』と、Kさんの部屋のドアを挟んで責め続けたのです。Kは抵抗もせず、ただ静かに両親の気がおさまるのを待つ感じでした」

◆両親との溝は埋まらないまま…

 兼本さんはKさんのことを気にはしていたが、この頃ちょうど自身の結婚話が進んでいたこともあり、実家を出て同棲をはじめることになる。兼本さんは、実家から1時間以上も離れた場所に引っ越ししたが、週に1度は戻ってKさんと話をした。
Kも、私には相談しやすいと言ってくれたので、『何かあったら、いつでも電話して』と伝えました。Kにとって、子供の頃からの友達が尋ねてきてくれることは、心の栄養と同じだったと思います。でも、それを両親に咎められ、しんどいと言っていました

 さらにKさんを追い詰めたのは、パソコンが壊れ、高校の頃からバイトで貯めてきた貯金が底を尽きかけたこと。まずは携帯電話の通話料などが払えなくなり、子供の頃からの友達と連絡を取る手段がなくなった。そんなKさんを、『情けない』『恥ずかしい』と罵る親

「でも、両親もKを追い詰めようとしたわけではありません。両親は、働かざるもの食うべからずという精神のもとで生きてきた、古い考えの田舎人間。怒ることで本人のヤル気を奮い立たせようとしていました。だから私も、両親に強くは言えなかったのです」

◆強硬手段に出た父に恐れおののく

 兼本さんは、「Kにとって部屋のドア1枚だけが、自分を守ってくれるモノだったのではないか」と話すが、このドアも、父によって破られてしまう。父にとっては、息子を立ち直らせるための強硬手段だった。Kさんの部屋のドアを破壊し、乗り込んだのだ。

「あとから母に聞いた話では、Kは部屋の隅で毛布にくるまり、プルプルと震えていたようです。父はKに、生活を正すよう怒り続けました。でも、Kは毛布にくるまって震えたまま。そんなKに、父が『出て行け!』と怒鳴ってしまったのです」

 いちど怒鳴ると、父は止まらなかった。「実家があるから、ぬくぬく生活してられるんだ!いますぐ出て行け!」「働く気がないなら、どこかで野垂れ死んでしまえ!」と、怒鳴り続ける。そして疲れ果て、両親が別の部屋へ行った隙に、Kさんは部屋を飛び出した。

◆500円玉を握りしめて遺体で発見

 このとき、兼本さんの携帯電話に、公衆電話から着信があったという。最初は無言で、「…元気?」とボソリ。違和感はあったが、兼本さんはご飯の準備中だった。「どうした?何かあった?」と聞いたものの、「ちょっと声が聞きたくなって」という返答のみ。

「旦那の帰宅時間が迫っていたこともあり、私もあっさりと電話を切ってしまいました。でも、冷静に考えてみたら、明らかにおかしい。実家に電話したら、『Kが出て行って、しばらく帰っていない』と言うのです。それでも両親は、のんびりしていました」

 兼本さんの母は、「父さんのお説教が効いたんだ!Kがこんなに長い時間外で過ごすなんて、奇跡かも」と、むしろ喜んでいたという。けれど、兼本さんはすぐに警察へ連絡。行方不明届を出したが、自ら家を出ていることから事件性はないと判断されてしまう。

「それからしばらくして、Kは遺体でみつかりました。死因は、餓死。冬の間は人がほとんど入らない場所で、500円玉を握り締めて亡くなっていたそうです。外傷はなく、まるで眠っているようでしたが、苦しかっただろうと思います」

◆Kの声に耳を傾けるべきだった

 父はずっと自分を責め続け、母は憔悴。そして兼本さんは、「どうしてKから電話があったとき、何があったのか、どうしてもっと聞いてあげられなかったのだろう。Kにとって頼れるのが私だけだったから連絡をくれたはずなのに…」と後悔する。

「あとから考えたら、私にできたことはいっぱいあったと思います。いまは、タラレバしか言えないけど、違和感を覚えたら立ち止まってほしいです。結果が悪いと、何をやっても後悔はすると思いますが、大切な人に頼られたときは、話を聞いてあげてください」

 また、生活能力がないKを家から追い出してしまったことを兼本さんの父は深く悔いているようで、「勢いで『出て行け!』などと言わず、自分の価値観を押し付けず、まずはKの声に耳を傾けるべきだった」と自分を責め続けているという。