わたくしと父とを別ったものは何だったのか?(2019/12/20)
これは、もう暴力しかないです。
わたくしは、物心ついた時から父の暴力を受けており、
あの男を父と感じた事は一度もありませんでした。
今でも、それは変わりません。
成長すると、抑圧や暴言が加わりました。
ただ、抑圧や暴言は、母からも受けておりましたが、
父に比べると、共に過ごした時間が少なかったはずの母の方に心があり、
パワハラの事例でも、「暴言だから暴力ではない」と反論する大企業の事例の相談を受けた事がありましたが、
たしかに、暴言に比べると、暴力の影響は極大だと思います。
ただし、これは暴言を暴力と認めないという意味ではありません。
理由は違いましたが、わたくしにとって、父と母、
あの二人は親ではありませんでした。
もちろん、遺伝的な関係性から、頭で理解してはおりますが、
愛着というものはなく、どちらかと言えば、
一緒にいたくない人たちでした。
そういう意味では、今、二人とも亡くなって、スッキリしているのは確かです。
暴力の加害者である父にとっては分かりませんが、
わたくしにとっては、ストレスにしかならない人でした。
記事のタイトルは「わたくしと父を別ったもの」としましたが、
正確には、「わたくしと父との関係付けを阻害したもの」でしたね。
最後に、こういう事を書くと、必ずと言っていいほど、
「それでも親なんだから、親子なんだから」
とか言ってくる聖人君子の方がいらっしゃいますが、
そういう考え方でアプローチをする聖人君子の皆さんが、
虐待加害者を支持し、虐待被害者を死に追いやる事を、
わたくしが生きている間にご理解いただけるようにしていきたいです。
虐待被害者が暴力で死ぬことに喜びを見出すのではなく、
虐待加害者が暴力では何も得られない事を理解する。
本来なら、他人を変えるよりは自分が変わる、環境を変えた方が良いのですが、
こればかりは、社会と聖人君子の皆さんが変わる事を願うしかないですね。
さとうかずや(さとう社会問題研究所)