名鉄高富線の廃線跡(岐阜県岐阜市。2015年訪問) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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(Wikipediaの写真を使用)

 

今回は、名鉄岐阜市内線【長良線】の終着駅だった長良北町駅からさらに北へ延び、高富町(現・山県市)の手前にあった高富駅までの間を結んでいた名鉄の路線、
名鉄高富線(長良北町~高富)の廃線跡について簡単に紹介します。

 

高富線は、前身の長良軽便鉄道により、1913年(大正2年)に長良(後の長良北町)~高富の全線が開業しました。2年後には岐阜市街から美濃電気軌道の路線(後の【長良線】)が延びてきて直通運転が始まり、岐阜市街へ鉄路での移動が可能になりました。長良軽便鉄道は美濃電気軌道に合併された後、名岐鉄道を経て名古屋鉄道(名鉄)になりました。戦後も変わらず営業を続けていましたが、乗客数が多い割には車両が小さく設備も貧弱で輸送力が小さく(バスよりも小さかったそうです)、また単車におけるハンドブレーキの操作ミス事故が多かった事もあり、結局は輸送力増強のために1960年に廃止され、バス転換されました。名鉄では起線(愛知県一宮市)でも同様の理由で廃線となっており、利用客減少や自然災害による廃線がほとんどなのですが、高富線や起線の例は珍しいケースと言えます。まぁ、もし昭和30年代に高富線の輸送力増強をして生き残ったとしてもも、最終的には2005年の岐阜地区600V線全廃の時に終わっていたでしょうね…。

 

ちなみに、廃線後は沿線が飛躍的に発展し、人口も増えたようです(参考:白井良和氏が執筆した保育社のカラーブックス・タイトルは忘れました)。推測ですが、この時のある種の成功体験のようなモノが岐阜市に路面電車排除の動きを加速させたかもしれません。

 

今回は長良北町~高富の順に廃線跡探訪レポートを超簡単に紹介致します。

 

尚、今回の区間は徒歩でサラッと辿っただけなので調査が不十分なことをお詫び申し上げますm(_)m


 

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(Yahoo!地図を使用)

 
 

路線名  区間  営業キロ  備考 
名古屋鉄道:高富線  長良北町~高富  5.1km  1960年4月22日 
(※)全線単線、直流600V電化。軌間1,067mm。  

  
  

探訪・撮影時   2015年8月  

  

  

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(1)高富線の起点だった長良北町駅跡にて。
高富線の現役時代は道路の東側に相対式2面2線の乗り場、そして駅舎があったそうです。
高富線の廃止後は道路中央に岐阜市内線の電停が設けられていました。
現在は岐阜バスが高富線の代替交通機関となっています。


 

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(1)長良北町駅跡より高富方を望む。
高富線の廃線跡は一部を除き2車線道路(国道256号線)に転用されました。
道路整備後に住宅や店舗が建ち並び、現役時の面影が全く感じられません。


 

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(2)しばらく歩くと、廃線跡は高富線廃止後に建設された岐阜環状線と交差します。
この付近には郊外型店舗が多く立地し、廃線後に発展を遂げています。


 

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(3)さらに進むと、高見駅跡に着きました。
駅跡の痕跡はありません。駅跡付近には同名のバス停があります。
廃線跡は相変わらず2車線道路となっています。


 

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(4)次の下岩崎駅跡付近は道路が拡幅され、廃線跡の面影が全くなくなってしまいました。


 

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(5)下岩崎駅跡から少し進むと、国道256号線はそのまま直進しますが、廃線跡は右へカーブしていきます。


 

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(6)国道256号線から離れた廃線跡は再び2車線道路になり、鳥羽川に沿って走ると大外羽駅跡に着きます。
痕跡は残っていません。


 

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(7)大外羽駅跡を過ぎると鳥羽川と分かれ、廃線跡は田園の残る住宅地の中を北上します。
そして1938年に一足早く廃止された上岩崎駅跡に差し掛かりますが、痕跡はありません。


 

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(8)さらに北へ進むと、三田洞駅跡に着きます。
駅跡は写真の場所から離れていたかもしれませんが、いずれにしても痕跡は確認できませんでした。


 

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(9)三田洞駅跡を過ぎると高富線は田園風景の中を走っていたと思われますが、
この付近でも廃線跡の沿道には郊外型店舗が建ち並んでいます。


 

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(10)さらに北上し、粟野駅跡に着きました。痕跡はありません。
付近は住宅地になっています。


 

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(11)粟野駅跡を過ぎると、高富線の廃線跡はそのまま直進して高富駅跡へ向かいます。
一方、廃線跡に建設された2車線道路は右へカーブしていきます。


 

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(12)そして2車線道路と分かれると住宅街の中へ入り、すぐに終点の高富駅跡に到着します。
廃止後、駅跡は名鉄岐阜自動車(名鉄バス)の営業所と高富バス停になりました。
後に名鉄岐阜自動車営業所が移転すると特定の系統のバス回転所となりました。
そして2004年に岐阜地区の名鉄バスの路線が岐阜バスに移管されると、回転所としても使用されなくなりました。
その後は駅跡の一部に住宅が建ち、現在は道路がやや広くなっているくらいで痕跡は残っていません。


 

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(12)高富駅跡より長良北町方を望む。駅跡周辺は古くからの住宅地です。
尚、高富駅跡は高富町(現:山県市)ではなく廃止時点で岐阜市内に所在していました。
ゆえに、高富線は全線において岐阜市内を走っていた路線でした。


 

(おしまい)

  

  
廃線跡探訪の注意点  

私が名鉄高富線の廃線跡を探訪したのは2015年の1度きりで、長良北町駅跡から徒歩で高富駅まで行き、帰りは岐阜バスを利用しました。廃線跡はほぼ全線において道路転用されており、遺構は全くと言っていいほどありませんでしたが、比較的容易に廃線跡を辿れました。

 

廃線跡の距離は5.1kmと短くも長くもなく、徒歩ですと片道1時間半~2時間でしょうか。往復探訪がしんどい場合は、バス利用も可能です。バスの本数は比較的多いですが、利用する停留所と時刻は事前に確認しておきましょう。

 

食料・飲料について、廃線跡沿いは郊外型店舗が多数進出しています。コンビニ・スーパーは複数あり、飲食店も長良北町寄りを中心に複数あります。まぁ、飲食に困る事はありません。

 

岐阜へご旅行の際は、ぜひ名鉄高富線の廃線跡も探訪されてみて下さい!

  

  
接続路線  

接続駅  接続路線 
長良北町駅  名古屋鉄道:岐阜市内線本線【長良線】 (岐阜市街方面) 
  
(参考:地理院地図、Wikipedia)