第1227回('18) 名鉄河和線と知多新線を乗り鉄・降り鉄(1) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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2018年10月6日~7日、1泊2日で名古屋へ。恒例の名鉄乗り鉄・降り鉄を実施しましたw
今回も「降り鉄」がメインで、河和線・知多新線・尾西線・竹鼻線・羽島線の駅を重点的に攻めました。

今回は初日前半の内容です。新幹線で名古屋入りして、いつものように名鉄名古屋駅からスタート。
午前中は名鉄知多新線の駅を中心に途中下車していきました。
『名鉄電車2DAYフリーきっぷ』(4,000円)を利用しました。
今回の日程 2018年10月6日(土) 【前半】

加古川520(JR神戸線・704K)536西明石600(山陽新幹線→東海道新幹線・のぞみ100号)713名古屋/名鉄名古屋726(名鉄名古屋本線→常滑線・急行)744太田川750(河和線)757八幡新田815(普通)831半田口842(普通)857富貴911(知多新線・急行)916上野間933(普通)935美浜緑苑958(特急)959知多奥田1021(急行)1023野間1041(普通)1045内海1115(知多新線→河和線・特急)1136知多武豊

【後半へ続く】
この日は4時に起きて、朝食を済ませてから自宅を出発。加古川駅では予め購入していた『加古川→名古屋市内』の乗車券を自動改札機に通して入場し、JR神戸線の上り1番列車(223系4連+8連。後方8連に乗車。半数ほどの座席が埋まる乗車率。補助席に着席)で西明石駅まで移動しました。道中はスポーツ新聞を読んでいました。



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西明石駅では乗換改札を通り新幹線ホームへ。今回は改札とホームへの階段が既に開放されていましたが、列車の扉が開くのが5時45分と遅く、自由席車両のドアの前には数人が列を作っていました。そして扉が開くと私は1号車自由席の車内へと入り、窓側E席を押さえました。乗車したのは『のぞみ100号』東京行きで、JR東海所属のN700A16両編成でした。発車時点ではほとんどのE席が埋まりましたが、3人掛け窓側A席はがら空きでした。

『のぞみ100号』は定刻の6時に西明石駅を発車し、新神戸、新大阪、京都と停車していきますが、新神戸での乗車が多かったものの、新大阪と京都では数人が乗ってきただけでした(1号車)。通路側席に多くの空席を残した状態で京都を発車し、滋賀県へと入りましたが、私は腹が痛くなり近江八幡付近を走行中にトイレへ駆け込みました。なかなか苦しい状況でしたが時間をかけて痛みは解消しました。そしてトイレを出て自席へ戻ると、既に岐阜県へと入っていました。新幹線の速さにはいつも驚きます。その後は愛知県へと入り、左手に名鉄電車が見えるようになると7時13分に名古屋駅に到着し、下車しました。



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名古屋駅で下車後は改札を出て、南東側地下に隣接する名鉄名古屋駅へ直行しました。そして窓口で『名鉄電車2DAYフリーきっぷ』を購入しましたが、自動券売機での購入とは違い、係員から名鉄の路線図や観光案内が描かれたパンフレットを貰えました。その後は自動改札機にきっぷを通して入場し、7時26分発の常滑線方面、急行内海行きに乗車しました。3500系4連+3150系2連で、私は5両目(3150系)に乗車。満席で、ドア脇に陣取り車窓風景を眺めました。そして18分の乗車で太田川駅に到着し、私は下車しました。



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太田川駅では改札を出ずにホームで6分待って、河和線の普通・内海行きに乗り継ぎました。先行きが危ぶまれているSR車・5300系4連で、私は最後部車両へ。そこそこの乗車率で、私は転換クロスシート窓側席に座りました。今回も道中は丘陵地に広がる住宅街などの車窓風景を眺めて、7時57分に到着した八幡新田駅で下車しました。この駅は普通列車しか停車しない無人駅ながら、上下線の相対式ホーム両端に駅舎、改札口がそれぞれ設置されていて(計4ヶ所)、なかなかの充実ぶりですw 尚、上下線ホーム間は改札内では繋がっていません。また、この日は天候が不安定で曇り空が続いていましたが、駅前の散策を終えてホームへ戻る頃に雨が降り出してきました。



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八幡新田駅からは後続の普通・知多半田行きに乗車。3500系4連で、高校生を中心に半数ほどの席が埋まっていましたが、私は早くも疲れてしまったので最後部車両で着席しました。道中は車窓風景を眺めつつスマホを操作していました。途中の阿久比で優等列車と緩急接続した関係で大半の乗客が特急に乗り換えてしまい、普通列車はガラガラになりました。私はその普通に乗り続け、お酢などで有名な半田市の入口にある、その名も半田口駅で私は下車しました。昭和時代は当駅を通過していた普通列車もあったそうですが、駅周辺は結構住宅が密集していました。急行が停車する南隣の住吉町駅へ旅客が流れているのでしょうか?



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半田口駅では後続の普通・河和行きに乗車しました。6500系4連で、ガラガラでした。私は最後部車両の後ろ向きクロスシート窓側席に座り、半田市街などの車窓風景を眺めていました。そして私は知多新線の分岐駅である富貴駅で下車しました。古い駅舎や構内踏切といった昔ながらの風景が残っている駅で、改札内の広いスペースには藤棚がありました。春頃には綺麗な藤の花が見られるのでしょうね。



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富貴駅からは知多新線へと入ります。乗車したのは急行・内海行きで3500系4連+3100系2連でした。私は最後部車両(3100系)に乗車しましたが、車内は満席でした。年配のハイキング客が多かったのですが、ハイキング企画でもあったのか…と思いました。私はドア脇に陣取り、山間部の車窓風景を眺めていました。そして知多半島を横断して東海岸から西海岸へ出ると上野間駅に到着し、下車しました。下車客は少なかったです。上野間駅は高架駅で、晴れていれば伊勢湾や鈴鹿の山々を遠望できるはずですが、この日は小雨が降っていて残念ながら見られませんでした…。



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上野間駅では後続の普通・内海行きに乗りました。6000系4連で、この列車も普通列車ながらハイキング客が多く、ほぼ満席でした。ドア脇に陣取り、車窓風景を眺めて次の美浜緑苑駅で下車しました。駅東側の高台に名鉄が開発した新興住宅地があり、その一角には杉本美術館があるのですが、駅の利用客は少なくひっそりとした感じでした。



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美浜緑苑駅からは後続の特急・内海行きに乗車。リニューアルされずに存置されている『パノラマスーパー』1131F6連で、次駅で下車するので特別車でなく一般車の6号車へと入りましたが、この列車はハイキング客と学生を中心に満席でした。この日は何かイベントがあるに違いないと確信しましたw 今回もドア脇で、やはり道中は車窓風景を眺めて、知多奥田駅で下車しました。日本福祉大学やその付属高校の最寄駅です。この日は土曜日だったのですが、部活動へ通う学生の乗降が多かったです。また、名鉄系の遊園地「南知多ビーチランド」への最寄駅ですが、路線バスも廃止されており、徒歩でも距離があるからか、行楽客の姿はほとんど見られませんでした。



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知多奥田駅では後続の急行・内海行きに乗車しました。6800系2連+6500系4連で、最後部車両に乗車(6500系)。今までの列車とは打って変わって車内はガラガラで拍子抜けしましたw 休憩がてらロングシートに着席して車窓風景を眺め、次の野間駅で下車しました。新線の駅らしく住宅地から離れた田園の中にあり、駅前は閑散としていました。



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野間駅からは後続の普通・内海行きに乗車。1200系の増結編成に当たる1800系2連で、車内は空いていました。私は後方車両の転換クロスシート窓側席に座り、小野浦駅予定地など山間部の車窓風景を眺めました。そして4分の乗車で電車は終点の内海駅に到着しました。島式ホーム2面4線の立派な高架駅で、知多半島の先端方面へ延伸が可能な構造ですが、もうこれ以上延伸される事はないでしょうね…。駅が立派な割には駅前は閑散としていましたが、駅前を散策していると、ロータリーに「知多四国」と表示されたバスが到着しました。すると多くのハイキング風の客が下車してきて、駅の改札へと向かっていました。先程電車に乗っていたハイキング客の正体がこれで判明しました! 名鉄の「歩いて巡拝(まいる)知多四国」というお遍路企画で、四国八十八箇所霊場めぐりの知多半島版です。この日は内海駅がスタート地点になっていました。



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さて、知多新線の全駅巡りを終了した後は、河和線を目指します。その前に腹ごしらえをすべく、11時15分発の特急・名鉄名古屋行きに乗って知多武豊駅を目指します。車両は1200系リニューアル車6連でした。特急なので一般車に乗ろうとしたら、前述のハイキング客で満席になっていました。疲れが溜まってきたので着席したかったのですが、それならばと改札口へ戻り、ミューチケット(特別車両券。360円)を購入して最後部車両1号車の展望席最前列(進行方向基準では最後列)に着席しました。購入時に駅員に「後ろ向きですけどいいですか?」と聞かれましたが、「それでも大丈夫です」と言ってミューチケットを購入した次第です。展望室には私しか乗っていませんでした。平屋席もガラガラでしたが…。



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特急は定刻に内海駅を発車し、来た道を戻ります。私は後方展望を楽しみました。小野浦駅予定地もよく見えました。知多新線内は各駅に停車していきますが、平屋席への乗車は少なからずあったものの展望室には誰も乗ってきませんでした。そして富貴駅からは河和線へと入り、日本油脂(当時の社名。現在の社名は日油)の専用線跡をオーバークロスすると内海から21分で知多武豊駅に到着しました。私はここで下車しましたが、特別車からの下車客は私だけでしたw まぁ、コストパフォーマンスを考えるとこの短距離乗車は普通あり得ないですねw 駅員にも「知多武豊!?」と驚かれたくらいですからww



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知多武豊駅は大きな駅ではありませんが、JRの武豊駅と比較して乗降客が多く、また駅前も発展していて活気がありました。私は駅舎と駅前を撮影後、駅の南側にあるスーパー「ピアゴ」(ユニー・ファミマ系)へと入り、名古屋名物のファストフードラーメン屋「スガキヤ」で昼食を済ませました。「スガキヤ」がここにある事は事前に調べていました。
また、朝から降っていた雨は上がりましたが、まだ雲は厚く、予断を許さない状況でした。



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昼食後はすぐに知多武豊駅へと戻り、乗り鉄・降り鉄を続けました。


(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません



(参考:Wikipedia)