第968回('14) 三陸鉄道北リアス線と八戸線などを乗り鉄 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…

2014年8月9日~13日、この年のお盆休みは4泊5日の日程で東日本方面へ乗り鉄旅行に出かけました。

今回は3日目後半の行程です。この日も『青春18きっぷ』を使用しました。
宮古からは、2014年の4月6日に東日本大震災による被害から完全復旧した三陸鉄道北リアス線を乗り鉄しました。
そして久慈からは八戸線で八戸へ抜け、青い森鉄道とIGRいわて銀河鉄道を乗り継いで盛岡へ戻りました。
新幹線は利用しませんでした。
今回の日程 2014年8月11日(月) 【後半】

宮古1240(三陸鉄道北リアス線・9111D臨時快速さんりく北リアス号)1435久慈1456(八戸線・446D)1648八戸1656(青い森鉄道線→いわて銀河鉄道線・2568M)1734二戸1742(いわて銀河鉄道線・4536M)1850盛岡

【宿泊】
午前中の豪雨で山田線が一時運転見合わせとなっていたので、盛岡から岩手県北バスの路線バス『106急行バス』に乗って宮古までやって来ました。宮古からは三陸鉄道北リアス線に乗って久慈まで乗り通す予定で、本来は盛岡から直通の臨時快速『さんりく北リアス号』(宮古12時40分発)に乗りたかったのですが、山田線の運転見合わせで『さんりく北リアス号』が大幅に遅れたり運休した場合は13時15分発の定期列車・113Dに乗るつもりでした。113Dに乗っても久慈から先の行程には影響ないので…。しかし、私が『106急行バス』に乗っている間に山田線が運転再開したようで、『さんりく北リアス号』は12時35分頃に宮古に到着しました。所定のダイヤでは宮古に12時12分着となっており、宮古で28分の長時間停車をする設定だったので北リアス線に遅れを持ち込む事はありませんでした。この後は予定通りに『さんりく北リアス号』に乗って行程をこなせる事になりました。結果論ですが、盛岡でもう少し待っていれば山田線にも乗れたのですが(2003年に踏破済、2006年にも乗り鉄しています)。



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宮古駅近くのスーパーで弁当を買って三陸鉄道宮古駅舎内で昼食後は、前述の『さんりく北リアス号』に乗車しました。『さんりく北リアス号』は3両編成で、全て三陸鉄道所属車両でした。両端にレトロ車両の36-R形気動車、中間車両は東日本大震災により廃車となった車両の代替としてクウェートからの支援により2014年の全線復旧時に向けて導入された36-700形(一般車両)でした。やはりレトロ車両の乗車率が高かったので、私は昼間の36-700形に乗車して、ボックスシート進行方向窓側席(右手の海側)をゲットできました。中間車両のみ乗車率が低かったですw



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『さんりく北リアス号』は定刻に宮古を発車し、全線復旧して間もない三陸鉄道北リアス線を北上していきます。北リアス線は比較的最近に建設された路線なので、直線的でトンネルが多いです。その結果、三陸海岸を眺められる区間がそう多くはなく、車窓風景的には不満もあるのですが、東日本大震災の際は津波の被害も限定的で、3年少々で全線復旧にこぎつける事ができました。これが海沿いばかりを走っていたら、いまだに復旧できていなかったでしょうね…。実際、途中で海辺が見える区間では震災の爪痕が随所に残っていました…。



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また、車内では「あまちゃん」に扮した女性乗務員が乗車証明書を配っていました。そして途中の数駅では何分間か停車して車外へ出る事ができました。車両を撮影しようとしましたが、何駅かはホーム有効長が短く3両編成の列車がホームからはみ出して停車していたのでムリでした…。そして『さんりく北リアス号』は宮古を発車して1時間55分後の14時35分に終点の久慈に到着しました。



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久慈駅では車両を撮影してから一旦駅の外へ出て、三陸鉄道とJRで分かれている駅舎、そして駅前を撮影しました。その後はJR駅舎で『青春18きっぷ』を提示して入場し、14時56分発、八戸線の八戸行き446Dに乗車しました。盛岡色ではなく首都圏色のキハ40系3両編成で、両端はキハ40形、昼間は片運転台のキハ48形で、いずれも非冷房車でした。私は先頭車両のキハ40形に乗車し、1ボックスを独占できました。発車時点で1ボックスに1人いるかいないかの乗車率でした。また、暑かったので窓を全開にしましたw



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446Dは定刻に久慈を発車し、はじめは山間部を進みますが、陸中中野からしばらくの間は太平洋を見て北上します。晴れてきたので車窓風景はとても素晴らしく、潮風が心地よかったです。八戸線は昭和初期までに全線開業した古い路線なので海岸を走る区間も多く、東日本大震災の被害で長期間不通を余儀なくされましたが、震源地からやや離れていた影響もあり、翌2012年には全線復旧しています。



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その後も概ね海沿いを走り、車窓風景には事欠きませんでした。そしてウミネコで有名な蕪島が見えてくると鮫駅に到着し、ここから先は『うみねこレール八戸市内線』の愛称があるように八戸市内の市街地を走ります。必然的に乗客も増え、ほぼ満席となって本八戸に到着しました。八戸市の中心部にある本八戸駅では多くの乗客が入れ替わり、今度は郊外へ出ます。八戸臨海鉄道線と並走し、東北新幹線や青い森鉄道線が見えてくると16時48分に終点の八戸に到着しました。所要時間は1時間52分でした。



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八戸駅では一旦改札を出て、売店で駅弁の『八戸小唄寿司』(1,150円)を購入しました。この後は盛岡まで行くのですが、新幹線は使わずに並行在来線の青い森鉄道線とIGRいわて銀河鉄道線を利用します。自動券売機で盛岡までの乗車券を買いましたが、合計運賃は3,040円で、新幹線利用の場合(特定特急券利用で3,500円)とさほど変わりありませんw 入場後、16時56分発の二戸行き2568Mに乗車しました。青い森701系2連で、車内は空いていましたが座席はそこそこ埋まっていたので私は最後方ドア脇に陣取りました。



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道中は車窓風景を眺めていました。目時駅を発車後は青い森鉄道線からIGR岩手銀河鉄道線へと入り、それに伴い青森県から岩手県へと戻ります。そして列車は金田一温泉に停車しましたが、結構多くの人が下車しました。「何でやろ…」と思っているうちに列車は発車しましたが、金田一温泉駅に列車が1編成停車していたので私は持参の時刻表を取り出して調べると、その列車は金田一温泉発盛岡行きの4536Mで、私が二戸で乗り換える列車でした。多くの人がこの4536Mの着席目的で金田一温泉駅で下車したわけです。私も金田一温泉駅で下車していれば、駅の観察もできたのに…と後悔しても後の祭りで、悔やんでいるうちに2568Mは17時34分に終点の二戸に到着しました。



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新幹線駅が併設されていて近代的な雰囲気の駅となった二戸駅では駅を観察する気もなくなり、8分の接続で17時42分発の盛岡行き4536Mに乗り継ぎました。車内には金田一温泉駅で下車した客がいました。車両は車内は空いていましたが私は今度も最後部ドア脇に陣取りました。道中は車窓風景を眺めていましたが、雲が増えてきました。それでも何とか岩手山を望む事ができました。



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花輪線との接続駅である好摩からは乗客が増え、最終的には座席が埋まり立客もいました。そして18時50分に終点の盛岡に到着しました。



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盛岡駅では駅の外へ出て、コンビニで買い物をしてから駅近くのビジネスホテルへチェックインしました。入室後は、八戸駅で買って車内で食べようとしたもののロングシートの車内では食べる気になれなかった八戸駅弁の『八戸小唄寿司』を食べました。

食後は入浴してからテレビを観ていましたが眠気に襲われ、22時頃には眠っていました。


(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません



(参考:Wikipedia)