第955回('14) 加古川日本毛織社宅建築群やトロッコ廃線跡の一部などを探訪 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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2014年5月4日、ゴールデンウィークは相変わらず乗り鉄に出かける元気がありませんでしたw
この日は買い物へ出かけたついでに、まずは加古川市内にあった軍用線の廃線跡の一部を辿りました。
そして加古川市街では昔ながらの風情が今も味わえて映画やドラマのロケでも使用される日本毛織(ニッケ)の社宅建築群や、
かつてニッケの工場内や工場間に張り巡らされていたトロッコ鉄路網の一部廃線跡を訪ねました。

今回の日程 2014年5月4日(日・祝)

自宅920(自転車)950マックスバリュ水足店1005(自転車・軍用線跡)1040加古川1040(自転車)1100ニッケ社宅1110(自転車・別府鉄道野口線跡など)1230自宅

【帰宅】
この日は朝食後の9時20分に自宅を出発し、自転車で北へ走って最初はマックスバリュ水足店などが入居する商業施設へ。そこにあるホームセンター「ナフコ」で買い物をしてから、かつて加古川駅から日岡山にあった旧日本陸軍の神野弾薬庫(現在の加古川刑務所の位置)へ延びていた専用線・神野弾薬庫引き込み線(通称:軍用線)の廃線跡を久しぶりに辿る事にしました。



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マックスバリュ水足店付近はこの年の3月に一部区間が開業した東播磨道(東播磨南北道路)に関連した工事で面影が見られなくなっていましたが、東播磨道と離れるとまだ開発されていない状態で廃線跡を転用した道路が残っていました。そして、新井用水の橋の下を覗いてみると、ガーダー橋(?)orガーター橋(?)が道路の下に確認できました。



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その後も軍用線跡を辿り、加古川バイパスで分断された部分は迂回して加古川駅を目指します。沿線には軍用線の案内看板もありました。そして軍用線跡は加古川線の高架下に通る道路と合流し、加古川駅に着きました。



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その後、私は自転車を北西へ走らせ、ニッケパークタウンでも買い物をしました。

買物後は、ニッケパークタウンから自転車を走らせ、狭い道路と国道2号線(東行一方通行)の立体交差へ。狭い道路が国道をアンダーパスしていますが、この狭い道路がニッケの工場や周辺に張り巡らされていたトロッコ鉄路網の廃線跡で、この立体交差部分は広い意味での遺構と言えます。私は過去に何度かこのトンネルを自転車で通過していましたが、廃線跡だと知ったのはつい最近でしたw 私はこのアンダーパスを撮影しましたが、それ以外にレールなどの遺構は確認できませんでした。



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アンダーパスの撮影後は、その先にある日本毛織の社宅建築群を訪問しました。社宅建築群の存在は以前より知っていましたが、意識して訪問したのは今回が初めてです。確かに戦前の時代へタイムスリップしたような感覚になりました。このような光景が今も残っているのは奇跡ですね。ここでも私は写真撮影しました。観光資源としてもっと活用できればいいのですが、日本毛織の私有地なので難しいかもしれませんね。



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社宅建築群を撮影後は、加古川の市街地を走って加古川市役所付近にある野口駅跡付近から別府鉄道野口線の廃線跡を遊歩道に転用した『松風こみち』を走りました。



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円長寺駅跡近くにある公園には野口線で活躍していたキハ2が静態保存されていますが、塗装は剥げ、窓ガラスも割れて最悪の保存状態でした…。



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その後は『松風こみち』を外れて明姫幹線(国道250号線)を走りヤマダ電機で買物をしました。買い物後は近くにある「松屋」で食事を済ませ、自転車屋でブレーキパッドを買ってから帰宅しました。自宅では自転車のブレーキパッドを取り替えて、ブレーキ力が向上しました。


(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません(ニッケ専用線は参考記録)



(参考:Wikipedia)