第888回('12) 篠山鉄道の廃線跡を探訪 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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2012年9月15日、日帰りの日程で兵庫県の丹波篠山(ささやま)へ。
篠山口駅と篠山市街を結んでいた篠山鉄道の廃線跡を探訪しました。篠山城跡・大書院も見学しました。
今回の日程 2012年9月15日(土)  

加古川635(JR神戸線・3202M新快速)728大阪755(JR宝塚線・2533M)917篠山口925(徒歩・篠山鉄道の廃線跡。篠山城跡も見学)1210篠山町駅跡1211(徒歩)1231城北口1234(神姫グリーンバス・篠山口駅行き)1254篠山口駅/篠山口1315(JR宝塚線・2754M丹波路快速)1414尼崎1420(JR神戸線・3253M新快速)1506加古川

【帰宅】
この日は5時前に起床して、朝食を食べてから加古川駅へ。目的地の篠山口駅もICカード『 ICOCA 』のエリア内なので、『 ICOCA 』で入場しました。また、加古川から篠山口駅までの運賃は、大阪近郊区間の特例ルール(最短区間の運賃)が適用され、距離の長い尼崎経由でも距離の短い加古川線・谷川経由の1,110円(当時)で、尼崎経由ですとお得感がありました。



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加古川駅からはJR神戸線の上り新快速(223系8連+4連)に乗車しました。私は先頭車両に乗りましたが窓側席は埋まっており、通路側席に座ってスポーツ新聞を読んでいました。神戸駅で窓側席の客が下車し、私は窓側席へ「昇格」しました。その後は車窓風景を眺めながら移動時間を過ごし、尼崎では下車しないで大阪で下車しました。実は当時、「分岐駅を通過する列車に乗車する場合の特例」は全列車、すなわち普通(快速)列車乗車時にも適用され、塚本や大阪で途中下車しなければ尼崎~大阪を重複乗車できる、と勘違いしていたので、大阪まで行ってしまいました。実際は少なくとも片側の経路で尼崎を通過する列車に乗車しないと適用されないルールなのですが、まぁ私が無知でした…。

大阪駅では3、4番のりばへと移動し、20分以上待ってからJR宝塚線(福知山線)の篠山口行き普通電車2533Mへと乗り継ぎました。普通列車ながら車両は225系の6両編成でした。私は座席と窓割が合う中央の座席に座りました。



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乗客が多く、座席が埋まった状態で2533Mは定刻に大阪を発車し、塚本を通過して尼崎に到着。ここでさらに乗客が増えました。尼崎からは福知山線へと入り、各駅に停車していきますが、北伊丹駅で大量下車がありました。その後は数分前に先行する普通列車が走っていた事もあり車内がガラガラになりました。宝塚からは山間部の新線区間を通り、三田(さんだ)、新三田と停車していきましたが、新三田駅では通過する特急『こうのとり1号』を待避しました。『こうのとり1号』は引退間近の183系6連でした。225系との並びも期間限定でしたね…。



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新三田から先は次第にローカル色が濃くなり、舞鶴若狭自動車道と並走しながら山間部を北上します。そして篠山盆地へ入ると、大阪から1時間22分の乗車で2533Mは終点の篠山口駅に到着しました。



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篠山口駅で下車するのは初めてでした。橋上駅舎と駅前を撮影してから今回の目的である篠山鉄道の廃線跡を辿り始めました。篠山鉄道は市街地から離れて設置された国鉄の篠山駅(現在の篠山口駅)と篠山城下の中心市街地を結ぶ目的で1915年に開業しましたが、戦時中の1944年に並行ルートで建設された国鉄篠山線が開業したのと同時に廃止となりました。篠山鉄道の廃線跡ですが、半世紀以上前の廃止にもかかわらず篠山口駅付近から相当先までアスファルト舗装された細い道路に転用されて残っていました。反面、遺構はありませんでしたが…。



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しばらく歩くと、沿道に福知山資本のスーパー「さとう」の「さとうバザールタウン篠山NEWS館」があったので休憩がてら立寄り、飲料を購入してから再出発しました。その後も道路転用された廃線跡を歩き篠山市街を目指しましたが、沿道にある戸建住宅の中にはプロパンガスではなく都市ガスの家もありました。篠山もなかなか開けた場所という事ですね。そして県道36号線を渡って少し進むとアスファルト舗装区間は終わり、未舗装の道となりました。私はそのまま歩き続けましたが、廃線跡が篠山川を渡るために築堤上を走るようになってすぐ、廃線跡が途切れて川との間には駐車場と倉庫がありました。仕方ないので迂回して、篠山川の河川敷に遺構がないか調べましたが、橋脚の土台部分が残っていました。



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次は県道36号線の橋へ迂回して篠山川を渡り対岸へ。こちらには橋台らしき構造物がありました。



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その後、廃線跡は住宅等に転用されてしまい、忠実に辿る事ができなくなりました。迂回せざるを得ない区間が多かったですが、数少ない道路転用された区間は歩きました。途中には当初は終点だった初代の篠山町駅がありましたが、帰りのバスから駅跡を見る事にして今回はパスしました。その後廃線跡は篠山城の堀の外側(北側)を走っていた区間へと入り、ここは道路転用されていたので廃線跡を歩けました。右側に篠山城跡を見る事ができる区間で、車窓風景の上ではハイライト区間だった事でしょう。



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予定より早く篠山城前に着いてしまいました。折角篠山へ来たので、篠山城跡を見学する事にしました。堀を渡って内側へと入り、坂を上って二の丸にある復元された大書院に着きました。ここに受付があり、大書院だけのチケットか、城外にある博物館とのset券か、どちらにするか聞かれましたが、私は大書院だけのチケットを選択しました。そして大書院を見学しました。



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その後は大書院を出て、篠山城跡一帯を歩きました。篠山城跡は天守のない平山城でしたが、高台にあるので篠山市街を見下ろせました。



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篠山城跡を見学した後は廃線跡へと戻り、終点だった篠山町駅跡(2代目)へ向かいました。すぐに篠山町駅跡に着きましたが、駅跡は建物が複数あり当時の面影を感じる事はできませんでした…。



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これにて篠山鉄道線の廃線跡探訪は終了し、バスで篠山口駅へ戻る事にしましたが、バス停でバスの通過予定時刻を見ると、20分ほど時間がありました。飲食店へ入って昼食を食べる時間がないので、近くにあるコンビニ「セブンイレブン」でパンを買って店の前で座って昼食を済ませました。そしてゴミを捨てる際、なぜか傘立てに財布が置いてあったので店員に渡しました。財布は高校生のもののようでしたが、結構ぶ厚く、私よりお金を持っている感じでしたw

そして昼食後は市街地の城北口バス停から神姫グリーンバスの篠山口駅行きの便に乗りました。乗客は少なく、先頭の特等席を確保できました。



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バスは篠山市街の商店街の中を東西に通る狭い道路を西へ走りましたが、沿道には観光客が大勢歩いていて、商店街も賑わっていました。加古川市の寺家町商店街より客が多く、私は唖然としていました。



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商店街を抜けると初代の篠山町駅跡の前を走りましたが、駅跡は商店に転用されて面影はありませんでした。その後は概ね篠山鉄道跡に沿って県道を走り、最後は福知山線の西側へ出て20分の乗車で終点の篠山口駅バス停に着きました。乗客は篠山市街で増えましたが篠山口駅到着時点で10人程度でした。

篠山口駅からは往路と同じく加古川線経由ではなくJR宝塚線~JR神戸線経由で帰るとします。『 ICOCA 』で入場してホームへ。ホームでは、行きは引退間近の183系を見ましたが、今度は新型の287系に遭遇しました。



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そして私はJR宝塚線の丹波路快速・大阪行きに乗車しました。今回も225系6連で、窓割と一致した座席に座りました。



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乗客は少なく車内はガラガラでしたが、途中の相野で大量乗車があり席が埋まりました。そして新三田と三田でも多くの人が乗ってきて車内は混雑してきました。宝塚では多くの人が下車した一方、乗車してきた人も多く混雑は軽減しませんでした…。かつては宝塚駅で一斉下車して阪急宝塚線に乗り換えて梅田を目指す人が多かったですが、JRが所要時間の上で有利となり、本数も増えて便利になったので阪急に乗り換える人が減少したのか、宝塚で極端に乗車率が下がる事はなくなったかもしれません。一方、阪急宝塚線の宝塚口は閑散としている時間帯もあるようですね…。

宝塚より先は都市部を走り、終点の大阪を前に尼崎で私は下車しました。往路も本来は尼崎で乗り換えなければなりませんでした…。



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尼崎駅では6分の連絡でJR神戸線の下り新快速(223系8連+4連)に乗り継ぎました。尼崎からの乗車なので着席できるか心配でしたが、後方4両には偶然、窓側に空席があったので座りました。土休日の新快速終日12両化の効果ですねw 新快速の車内では車窓風景を眺めていましたが、神戸付近で眠ってしまいました。しかし、姫路まで寝過すことなく無事に加古川駅にて下車できました。帰りは区間外乗車をせずに正当なルートになりました。やはり篠山口~加古川で1,110円(当時)は安いです。



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下車後は家路につき、今回の旅を終えました。


(つづく)


今回新たに徒歩で訪問した廃線跡

路線名区間備考
篠山鉄道線篠山(篠山口)→篠山町(4.9km)1944年3月21日廃止
(参考:Wikipedia)