第816回('11) 宮崎県の日豊本線や吉都線などを乗り鉄 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

イメージ 1

前回の続き…

2011年10月7日~10日、3連休を中心に3泊4日の日程で、当時まだ発売していた『周遊きっぷ(九州ゾーン)』を使用して、特急メインで九州地方の路線を広域的に乗り鉄しました。

今回は2日目後半の行程です。
大分からは日豊本線の特急『にちりん』に乗り、宮崎まで行きました。
その後は普通列車の旅となり、吉都線を往復乗車して都城(みやこのじょう)で宿泊しました。
今回の日程 2011年10月8日(土) 【後半】  

大分1112(日豊本線→日南線→宮崎空港線・5009M特急にちりん9号)1422宮崎空港1434(宮崎空港線→日南線・736M)1440南宮崎1449(日豊本線・6879M)1550都城1609(吉都線・2933D)1738吉松1818(吉都線・2936D)1947都城

【宿泊】
まだ地平ホームだった大分駅の日豊本線ホームで列車を待っていると、別府発宮崎空港行きの特急『にちりん9号』が入線してきました。『ハイパーサルーン』こと783系の5両編成で、私は最後部5号車自由席の、中央扉より後ろ側にあるハイデッカーのB室へ。海側の窓側席が空いていたので着席しました。自由席は窓側席が埋まるほどの乗り具合でした。



イメージ 2

『にちりん9号』は定刻の11時12分に大分を発車し、まずは工事中の高架橋を見て東へ走ります。車内では大板駅で購入した駅弁の『じゃこめし』(650円)を食べました。さすがにこれだけでは量が少ないので、追加で買ったおにぎりも食べましたw 



イメージ 3

その後、一時期は電化区間の終端駅で、関サバ・関アジで有名な佐賀関への玄関口である幸崎からは南へ針路を変えて山間部を走り、臼杵を過ぎると左手に海(臼杵湾)を見る事ができましたが、この付近はリアス式海岸の地形なので、なかなか海を見られませんでした…。



イメージ 4

そして津久見では行違いのため数分間停車し、一度車外へ出ました。津久見から先は海沿いを走る区間が多く、しばし車窓風景に釘付けになりました。その後、佐伯(さいき)を過ぎると山間部へと入り、谷筋を登っていき日豊本線最大の難所である宗太郎越えに挑みます。「本線」とは思えないほどカーブの多い線形が続きました。



イメージ 5

そして秘境駅としても有名な宗太郎駅を通過すると宗太郎峠を越えて大分県から宮崎県へと入り、今度は谷筋を下っていき、やがて平地へ出ると延岡に着きました。佐伯から約1時間無停車で(運転停車を除く)、かなり長かったです。

延岡では多くの人が乗ってくると思いましたが、意外と少なかったです。また、三連休なので旭化成関係をはじめとしたビジネス客の姿は見られませんでした。延岡を発車後は日向灘に近い場所を走り、所々で海が見えました。美々津~東都農~都農では、かつて使用されていたリニアモーターカーの実験線跡の高架橋を見る事ができました。



イメージ 6

その後も日向灘沿いを走り、わずかに見える海を目当てに私は車窓風景を必死に眺めていましたw 高鍋を過ぎると内陸へと入り、農村風景の中を走ります。そして佐土原からは住宅地となり、やがて市街地へ入って高架区間になると宮崎に到着しました。宮崎駅では多くの人が下車し、一部の人はホーム向かい側に停車していた鹿児島中央行きの特急『きりしま13号』に乗り継いでいました。私はこのまま『にちりん9号』に乗り続けます。尚、『にちりん9号』は宮崎から乗車券のみでも乗車可能なので、私の乗っている5号車にも数人が乗ってきました。



イメージ 7

宮崎を発車後は市街地を走り、大淀川を渡って南宮崎に着きました。ここでも結構な数の乗降がありました。南宮崎からは地方交通線の日南線へと入り、住宅地を走ります。そして田吉からは幹線の宮崎空港線へと入り、左手に宮崎空港の滑走路を見て高架線を走ると、『にちりん9号』は定刻の14時22分に終点の宮崎空港に着きました。



イメージ 1
イメージ 8

7年ぶりの訪問となる宮崎空港駅では一旦改札外へ出て、駅舎を撮影しました。そして南国ムード溢れる宮崎空港(現在の愛称:宮崎ブーゲンビリア空港)のターミナルビルと周囲を見ただけで駅へと戻りましたw

宮崎空港駅からは延岡行きの736Mに乗車しました。713系(愛称『サンシャイン』)の2連で、車内にはリクライニングシートが並んでいました。そこそこ乗客がいたので私はドア脇に陣取り、今回も車窓風景を眺めて南宮崎駅まで戻りました。



イメージ 9

構内に車庫があり、駅前にバスターミナルやダイエーのある南宮崎駅では改札外へ出ずに日豊本線下り、西都城行き6879Mに乗り換えました。転換クロスシートを備える817系2連でしたが、窓側席が埋まっていたため、最後部ドア脇で車窓風景を眺める事にしました。列車が南宮崎を発車すると住宅地の中を走りますが、清武を過ぎると山間部の風景になります。さらに田野から先は山深くなり、こちらも難所である「青井岳越え」に臨みますが、817系電車は軽快に走ります。そして青井岳を過ぎてトンネルを抜けると都城盆地へと出て、農村風景の中を走ります。やがて市街地の中を走るようになると都城に到着し、大半の乗客とともに私は下車しました。乗車時間は1時間01分でした。一部の乗客が清武や田野など宮崎近郊で下車した他は多くの人が都城まで乗り通していました。



イメージ 10

都城駅では改札を出ずに吉都線の吉松行き2933Dに乗り換えました。キハ47形2連で、私は空いているボックスシート窓側席に座りました。発車直前には高校生を中心に1ボックスに1~2人といった乗り具合でした。

2933Dは都城を発車し、広大な農村風景の中を走ります。途中の谷頭駅構内には架線柱と架線があり、7年前に踏破した際には「吉都線が電化されるのか?」と勘違いした事もありました。この設備は電力社員の訓練用に設置されたもので、感電事故を防ぐためにあえて非電化区間の吉都線・谷頭駅に設置しているそうです。ちなみに架線には電気は流されていないそうです。



イメージ 11

谷頭から先は、この2011年の1月に大規模噴火を起こした霧島連山の新燃岳を「噴火するなよ」と思いながら見ようとしましたが、霞んでいてハッキリと見えませんでした…。



イメージ 12

列車は山間部や盆地の中を走りましたが、途中の小林では多くの乗降がありました。その後は乗客が減る一方で、えびの駅や京町温泉駅までで大半の乗客が下車してしまい、京町温泉を発車後はガラガラになりました。列車は宮崎県から鹿児島県へと入り、鶴丸を過ぎて川内川を渡ると右側から下ってきた肥薩線と合流して終点の吉松に到着しました。乗車時間は1時間29分でした。ホームには売店がありましたが、もう17時を過ぎたからか閉店していました。



イメージ 13
イメージ 14

夕暮れ時の吉松駅では駅の外へ出て駅舎を撮影しました。その後は駅前を軽く散策しましたが、寂れた雰囲気でした。そして駅の北側にある公園へ行くと、SLのC55 52が静態保存されていました。側面と後方を撮影しましたが、前面を撮影しようとしたら親子連れ2組がずっといたのでパスしましたw 



イメージ 15

その後は吉松駅へと戻り、先程乗ってきた2933Dの折り返し列車である都城行きの2936Dに乗りました。キハ47形2連の車内はガラガラで、私は今回もボックスシート窓側席に座りました。発車の少し前に肥薩線の隼人からの列車と人吉からの列車が到着したのですが、2936Dに乗り継いでくる客は少なかったです。

2936Dは定刻に吉松を発車しましたが、既に日が暮れていて暗くなっており、車窓風景を眺める事ができませんでした…。仕方ないので時刻表を取り出して翌日以降の予定を確認していたら眠気に襲われ、えびの付近で寝てしまいました。そして目が覚めたのが都城到着直前で、19時47分に到着した終点の都城駅では何とか乗務員に起こされる事なく下車できました。乗客は終始少なかったです。



イメージ 16

都城駅では改札を出て、駅前を見渡しましたが、宮崎県三大都市の一角を占めているはずの都城市の代表駅前ながら駅前は19時台の時点で「閉店ガラガラ」状態でひっそりとしていました…。飲食店はなさそうなのでコンビニを探しましたが、俗に言う三大コンビニ(セブンイレブン、ローソン、ファミリーマート)は見当たりませんでした。代わりに、駅近くには当時初めて知った「RICマート」というコンビニがあり、ここで夕食と翌日の朝食を調達しました。「RICマート」はココストアの傘下のようですね。



イメージ 17


買物後は駅東側にある「ホテルα-1都城」にチェックインして、部屋では早速夕食を食べました。牛カルビ重と、九州に来ているのになぜか「サッポロ一番みそラーメン」でしたw 腹が減り過ぎていたので重い食事になりましたww



イメージ 18

食事後は入浴して、その後はテレビを観ながらくつろいで、23時頃に就寝しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません



(参考:Wikipedia)