第813回('11) 房総半島を一周乗り鉄(前編・久留里線など) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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前回の続き…

2011年8月13日~16日、この年のお盆休みは13日から17日までの5日間しかありませんでしたが、そのうち4日間を利用して、3泊4日の日程で主に関東地方の路線を乗り鉄しました。

今回は最終日前半の行程です。この日は今回の旅行で唯一『青春18きっぷ』を使用しました。
寝坊しながらも何とか予定通りのスタートを切り、房総半島の内房線へ。途中、久留里線を乗り鉄しました。
今回の日程 2011年8月16日(火) 【前半】 

御徒町510(山手線外回り・401G)515東京521(総武快速線・509F快速→内房線系統・3509F快速)637木更津721(久留里線・923D)830上総亀山846(久留里線・928D)950木更津954(内房線・153M)1104館山1111(内房線・2153M)1151安房鴨川

【後半へ続く】
この日は4時に起床するはずでしたが、寝坊してしまい、目覚めたのは4時50分頃になってしまいました…orz 私は大慌てで準備をして、朝食を少し食べてからホテルをチェックアウトしました。走って御徒町駅まで行き、『青春18きっぷ』の5回目のスタンプを押されて入場しました。そして山手線外回り(E231系11連・空席あり・着席)に乗り東京駅まで移動しました。



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東京駅でも走って総武地下ホームへと移動し、ホームの自動券売機で『 Suica 』を使用してグリーン券を買いました。そして乗車列車となる総武快速線の木更津行き(E217系11連+4連)のグリーン車2階席に乗り、着席して座席上部のカードリーダーに『 Suica 』をタッチしようとしましたが、その『 Suica 』が見つかりません…。探しているうちに女性乗務員が現れ、グリーン券の提示を求められましたが、私は「ちょっと待って下さい」と『 Suica 』を探しました。券売機から取り忘れたと思い一旦ホームへ下りましたが、それでも見つからず…。そしてポケットの中を探し、ようやく見つかりましたw 座席に戻ってカードリーダーに『 Suica 』をタッチして乗務員のチェックが済み、一件落着となりました。



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グリーン車はガラガラの状態で列車は東京駅を発車しました。私はテーブルを出し、朝食の残りを食べました。その後は車窓風景を眺めながら移動時間を過ごしました。グリーン車は乗客が少ないゆえに途中駅での乗降は少なかったです。千葉の手前では高架の渡り線を走行して外房線・内房線の線路へと入り、蘇我からは内房線を走行しました。私はひたすら車窓風景を眺め続け、終点・君津の1駅手前の木更津で下車しました。もう1人残っていたグリーン車の乗客も木更津で下車し、私の乗っていた2階席は乗客ゼロになって君津へと去っていきました。



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木更津駅では一旦改札を出て駅舎と駅前を写真撮影しました。そこそこの規模の市街地といった印象でした。その後は改札内へと戻り、久留里線列車の発着する4番線へと移動しました。ホームからは車庫も見えました。しばらく待っていると上総亀山方から列車が到着し、この列車が折り返し上総亀山行き923Dとなります。車両はキハ38 1002とキハ37 1002を連結した2両編成で、私は後部のキハ37形に乗りました。キハ37形は私の地元・加古川線でも活躍していた車両です。乗客はさほど多くなく、高校生が大半を占めていました。私は長~いロングシートに腰掛けました。また、当時の久留里線列車は全列車で車掌が乗務していました。



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923Dは7時21分に木更津を発車し、すぐに田園風景の中を東へ走ります。途中駅では乗車してくる人も少なからずいました。そして横田駅では対向車両と行違いをして、タブレットの交換風景が見られました。このタブレット交換も翌2012年3月改正で見られなくなりました。



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横田の次の東横田からは次第に南へ針路を変え、馬来田を過ぎると左右から山並みが接近してローカル度が上がってきました。そして久留里駅では高校生が一斉に下車し、車内は一気に閑散としました。久留里から先は山間部を走り、短いトンネルもありました。そして923Dは8時30分に終点の上総亀山に到着しました。木更津から1時間以上かかりました。



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上総亀山駅では折り返し時間の間に車両を撮影し、一旦改札を出て駅舎と駅前を撮影しました。また、当時の上総亀山駅は有人駅でしたが、翌2012年3月改正時に無人駅化されてしまいました。その後は改札内へと戻り、今度はキハ38形に乗りました。今度もロングシートに着席しました(キハ37形もキハ38形もオールロングシートです)。

折り返しの928Dは定刻の8時46分に上総亀山を発車しました。はじめはガラガラだった車内も駅ごとに乗客が増え、横田ではほぼ全ての座席が埋まりました。最後は立客も出て、9時50分に終点の木更津に到着しました。



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木更津駅では4分の連絡で内房線下りの普通・館山行き153Mに乗り継ぎました。209系の4連×2で、車内は行楽客で座席が埋まり、私はドア脇に陣取りました。はじめは住宅地や田畑が中心の車窓風景でしたが、佐貫町を過ぎると右側車窓に東京湾(浦賀水道)が見えてきて、その素晴らしい風景に見入りました。



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浜金谷では以前鋸山ロープウェーで登った鋸山が見えました。その鋸山をトンネルでくぐって保田(ほた)、安房勝山と走ると浦賀水道からやや離れて走るようになり、海の風景はお預けとなりました。そして市街地へ入ると153Mは11時04分に終点の館山に到着しました。



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館山駅では乗り継ぐ予定の2153Mの発車まで7分ありました。まずはホームに停車していた2153M(209系4連)に乗り、ガラガラだったのでボックス席に荷物を置いて、橋上駅舎の改札口横のニューデイズへ行きました。駅弁がない事は知っていたので、コンビニ弁当を買いました。その弁当を温めてもらったのですが、その際に店員がもたついて2分ほど要してしまい、弁当を受け取った時は発車1分前になっていました。私は大慌てで階段を下り電車に乗ろうとしましたが、ホームに着く直前に電車の扉が閉まり、私は思わず大声を出してしまいましたw 私は乗り遅れたと思い一瞬頭が真っ白になりましたが、直後に扉が開き、私は車内に駆け込みました。その20秒後に再び扉が閉まり、電車は定刻の11時11分に発車したのですが、先ほどの出来事を振り返ってみると、2153Mは館山駅停車時に4扉中3扉を締め切っていました。それを発車直前に全扉開放にするための操作として一旦全扉を閉めたのかな…と。所定より1分前に発車してしまうと重大インシデントですから…。



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私は何とか落ち着き、館山駅で買った弁当を食べながら車窓風景を眺めました。



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かつて一部の特急『さざなみ』の終着駅でもあった千倉駅は思ったより小さかったです。そして千倉からは「内房」線ながら太平洋岸の「外房」を走るようになり、所々で右手車窓に太平洋が見えてきました。



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列車は山間部も走りますが、やがて市街地へ入ると、2153Mは11時51分に終点の安房鴨川に到着しました。



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この後は外房線に乗り換えて房総半島の乗り鉄を続けました。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません



(参考:Wikipedia)