第793回('11) 南海汐見橋線などを乗り鉄&大阪ステーションシティを訪問 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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前回の続き…

2011年5月14日、午前中はまだ行った事がない福知山線の旧線跡(兵庫県西宮市~宝塚市)の生瀬~武田尾を探訪しました。
そして、午後は大阪近郊の乗り鉄をしました。

今回は後半の模様です。
福知山線の廃線跡探訪を終えた後は、大阪モノレール彩都線(正式名称:大阪高速鉄道国際文化公園都市線)や南海汐見橋線(正式には高野線の一部)などを乗り鉄しました。
その後は5月4日に新装オープンした大阪駅・大阪ステーションシティを訪問して帰宅しました。
今回の日程 2011年5月7日(土) 【後半】

宝塚1140(阪急宝塚本線・急行)1211十三1226(京都本線・準急)1241南茨木1256(大阪モノレール線)1301万博記念公園1303(彩都線)1316彩都西1326(彩都線)1338万博記念公園1341(大阪モノレール線)1346南茨木1350(阪急京都線→千里線→大阪市営地下鉄堺筋線・準急)1421天下茶屋1432(南海高野線)1433岸里玉出1455(汐見橋線)1504汐見橋/桜川1519(地下鉄千日前線)1521なんば1526(御堂筋線)1534梅田1600(JR神戸線・3267M新快速)1652加古川

【帰宅】
宝塚駅ではJRから阪急宝塚線に乗り換えました。乗車した急行・梅田行きは6000系8連で、私は最後部車両のいちばん後ろの座席に座りました。車内は空いていました。



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急行は宝塚を発車し、こまめに各駅に停車していきます。駅ごとに乗客が増えてきましたがペースは緩やかです。宝塚~川西能勢口(川西池田)ではJRに押されているのかもしれません。しかし、川西能勢口では多くの人が乗って来そうだったので私は席を離れてドア脇へ移動しました。案の定、多くの人が乗車し、空席が埋まりました。その後は乗客が増える一方で、豊中発車時点で最後部車両でも結構な混雑になってきました。私は車窓風景を眺めて移動時間を過ごし、梅田の手前にある十三(じゅうそう)で下車しました。



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十三駅では乗り換える前にホームにある「阪急そば」へと入り、うどん(220円)と、おにぎり2個(200円)を食べました。阪急そばは学生時代によく食べていたのですが、今回は久しぶりでした。



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昼食後は京都本線の準急(5300系8連)に乗り換えました。座席が埋まっていたので私はドア脇で車窓風景を眺め、今回は南茨木で下車しました。



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南茨木駅では大阪モノレール線の大阪空港行きに乗り換えました。



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1000系4連で、こちらも座席が埋まっており、ドア脇で車窓風景を眺めました。2007年に大事故の発生したエキスポランドは閉園・解体されて農園などに変化していました。



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そして南茨木から5分の乗車で万博記念公園駅に着きました。

万博記念公園駅では彩都線の彩都西行きに乗り継ぎました。1000系4連で、車内はそこそこの乗車率でしたが、私は空いていた最前部の「展望席」で車窓風景を楽しみました。万博記念競技場最寄りの公園東口駅では多くの人が下車し、車内はガラガラになりました。後半はローカル風景も見て、13分の乗車で彩都西駅に着きました。私が下車した後、デジカメを車内に忘れた事に気付き、慌てて車内へ戻ろうとしましたが扉が閉められてしまいました。私が運転士にデジカメの話をすると、運転士はデジカメを取ってくれました。助かりました。



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その後は改札を出て、いまだに発展途上の駅前風景を眺めました。終端部も見ましたが、計画通り東センター駅(仮称)まで延伸される可能性は低いのかな…と思ったりもしました。そして私は改札内へと戻り、万博記念公園行き(1000系4連)に乗りました。今度も車窓風景を眺めて万博記念公園駅まで戻りました。乗客は少なかったです。



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万博記念公園駅では大阪モノレール線(1000系4連)に乗り換えて、混雑していたのでドア脇で車窓風景を眺め、南茨木駅で下車しました。



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南茨木駅では阪急京都本線の準急・天下茶屋行きに乗り継ぎました。5300系8連で、座席がほどほどに埋まっていたので私はドア脇へ。車窓風景を眺めました。途中で淡路駅を通りますが、連続立体交差事業は進行が遅いように思いました。その淡路駅からは千里線へと入り、淀川を渡ると天神橋筋六丁目駅方大阪市営地下鉄堺筋線へと入ります、駅ごとに乗客の増減が繰り返されますが、最後はやや空いた状態で終点の天下茶屋に着きました。南茨木から31分の乗車時間でした。



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天下茶屋駅では地上へ出て、駅舎を撮影した後に南海の改札口から入場し、高野線の各停・河内長野行きに乗車しました。6300系の2連×2で、車内は空いていましたが私はドア脇で車窓風景を眺めました。私は1駅目の岸里玉出で下車しました。



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岸里玉出駅では汐見橋線ホームへと移動し、汐見橋行き電車に乗り換えました。



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汐見橋線は昼間帯30分ヘッドで、本数が少ないです。車両は2200系2連で、2両合わせても乗客が10人もいませんでした。私は最後部の席に着席し、後方展望する事にしました。また、乗客は汐見橋へ向かうにつれて少しずつ減少していき、汐見橋到着時点で5人もいませんでした。また、車窓風景はそんなにローカル的ではありませんでしたが、それにしても乗客が少ないですね…。将来が心配です。



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昭和レトロに溢れた汐見橋駅到着後は、すぐ東隣にある大阪市営地下鉄千日前線の桜川駅から地下へ入りました。千日前線に並走する阪神なんば線の駅は建設当時、仮の駅名が汐見橋でしたが、開業の段になって桜川に変更されています。もし汐見橋だったら南海汐見橋線の乗客も少しは増えていたかもしれません…。



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桜川駅からは千日前線の南巽行き(25系4連)に乗り、一駅先の、なんば駅で下車しました。空席はありましたが、1駅のみの乗車だったので立席を選択しました。

なんば駅では御堂筋線に乗り換えて、混雑した電車(21系10連)に乗り梅田駅で下車しました。何とかドア脇の位置を確保できました。



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梅田駅で下車後は新装オープンした大阪駅・大阪ステーションシティへ。東京顔負けのもの凄い人で、ゆったりと観察できませんでした…。



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グランフロント大阪は建設中で阪急百貨店うめだ本店も一部が改装工事中とあって、当時の大阪・梅田ではJR駅の独り勝ち状態でした。これから先はファッションビルのルクアが好調な一方、JR大阪三越伊勢丹は不振に陥るのですが…。私は北口側を中心に回りましたが、疲れたので改札内へ逃げてw JR神戸線の下り新快速(223系8連+4連)に乗車しました。運良く窓側席に座れましたが、これも大阪ステーションシティ開業に備えて3月改正より土休日の新快速が終日12両編成になったのが大きいです。8連では混雑していたので、この輸送改善も大阪ステーションシティへの買物客増加にひと役買っていると思います。また、新快速増結の目的もあり、前年より225系0番台が本線系に導入されています。



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私は新快速での移動中、珍しく(?)地元の車窓風景を眺めていました。そして居眠りせずに加古川駅で下車できました。

加古川駅で下車後は自宅へ直行しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません



(参考:Wikipedia)