第785回('11) 流鉄や関東鉄道竜ヶ崎線などを乗り鉄 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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前回の続き…

2011年のゴールデンウィーク前半は、4月29日~5月2日にかけて、3泊4日の日程で関東甲信越方面を乗り鉄しました。
遅々として進まない関東での沿線風景の写真集め、そして未成線探訪などが目的でした。

今回は3日目後半の模様です。
午後は千葉県の流鉄(旧・総武流山電鉄)や茨城県の関東鉄道竜ヶ崎線などを乗り鉄しました。
また、津田沼~幕張で気になる車窓風景があったので写真撮影したのですが…。
今回の日程 2011年5月1日(日) 【後半】

松戸1259(常磐緩行線・1151S)1303馬橋1315(流鉄流山線)1327流山1335(流山線)1346馬橋1349(総武緩行線・1243S)1403我孫子1407(常磐快速線・2385M)1429佐貫1452(関東鉄道竜ヶ崎線)1459竜ヶ崎1505(竜ヶ崎線)1512佐貫1524(常磐快速線・3398M特別快速)1540柏1556(東武野田線)1601流山おおたかの森1613(野田線)1618柏1631(野田線)1659船橋1711(総武緩行線・1616B)1716津田沼1721(総武緩行線・1670B)1724幕張本郷/京成幕張本郷1729(京成千葉線)1732京成津田沼1738(京成本線・特急)1743京成船橋/船橋1800(総武快速線・1714F)1817錦糸町1836(総武緩行線・1865B)1842秋葉原1847(山手線内回り・1814G)1850上野1859(東京メトロ銀座線)1902田原町

【宿泊】
新京成で松戸までやって来ました。松戸駅では常磐緩行線に乗り換えましたが、何かトラブルがあったのか、遅れが発生していました。私が乗車した我孫子行き1151S(東京メトロ6000系10連)は7分遅れでした。車内はさほど混雑していませんでしたが、2駅先の馬橋で下車するので私は着席せず、小さいドア窓から車窓風景を眺めました。



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馬橋駅では流鉄流山線に乗り継ぎました。2001年と2002年にも乗車したのですが、2008年に総武流山電鉄から流鉄へと社名変更し、同時に路線名称も総武流山線から流山線へと変更されました。
駅舎機能はホーム上にあり、自動券売機で流山までの乗車券を買ってから入場しました。自動改札化されておらず、またICカードの簡易改札機も設置されていないので、当然ながらICカードは利用不可でした。古びたホームには列車が停車していて、車両は元西武新101系の5000形2連で、オレンジ色に塗られていて『流星号』の愛用が付けられていました。この編成は2ヶ月前の3月にデビューしたばかりでした。私は車内に乗り込みましたが、誰も乗っていませんでした。あまりの閑散ぶりに驚きましたが、流鉄は2005年に開業した『つくばエクスプレス』の影響をもろに受けてしまい、乗客数が大幅にダウンしてしまいました。
私は着席して発車を待ちましたが、発車時点でも乗客が10人もいなかったと記憶しています…。また、窓は開閉可能だったので窓を開けて車窓風景を眺める事にしました。



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列車は馬橋駅を発車し、常磐線と分かれて新坂川沿いに住宅地を進むと、市街地へと入り新松戸駅に隣接する幸谷駅に着きました。ここで10数人ほど乗ってきましたが、幸谷駅でも常磐緩行線との乗換が可能で、武蔵野線とも接続しているので馬橋駅よりこちらの方が乗降客が多いようですね。幸谷から先は畑も残る風景の中を走り、駅ごとに乗客が減少していきます。鰭ヶ崎~平和台では『つくばエクスプレス』と交差しますが、あちらは地下を走っているのでこちらからは分かりません。そして駅前にイトーヨーカドーのある平和台では結構な数の人が下車し、車内は馬橋発車時点より閑散としてしまい、馬橋から12分で終点の流山に到着しました。流山駅も昔ながらの佇まいで、設備更新の余裕がないかもしれませんが、今後はそれを逆手にとってレトロを売りにすれば若干乗客が増えるかも…と思ったりもしました。



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流山駅では一旦駅の外に出て駅舎と駅前を撮影しました。そして券売機で馬橋までのきっぷを買ってから再入場し、折り返しの『流星号』に乗って馬橋駅まで戻りました。復路も乗客が少なかったです。

馬橋駅からは再び常磐緩行線に乗り、先を急ぎます。乗車した我孫子行き1243Sも東京メトロ6000系10連で、疲れていたので着席しました。まだ遅れの影響が残っており、所定より5分遅れでした。道中は携帯電話をいじって過ごし、終点の我孫子まで乗り通しました。

我孫子駅では常磐快速線ホームへと移動して、土浦行きの2385Mに乗り継ぎました。E531系10連+5連で、私は付属5連の空いているボックス席に着席しました。列車は定刻に発車し、天王台を過ぎると利根川を渡って千葉県から茨城県へと入りました。取手を発車後はデッドセクションを通り直流電化区間から交流電化区間へと変わりましたが、列車のスピードが上がりません…。そして藤代を発車して小貝川を渡る地点で電車は停車しました。先行列車が遅れていたのかトラブルがあったのか分かりませんが、列車が再び動き出して佐貫に着いたのは定刻より7分遅れでした。私はここで下車しました。



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佐貫駅では改札を出て、関東鉄道竜ヶ崎線に乗り換えました。券売機で竜ヶ崎までの乗車券を買って、入場後は既に停車していた列車に乗り込んで発車を待ちました。竜ヶ崎線は全線非電化で、車両はキハ2000形の単行で、竜ヶ崎方の運転台は進行方向右側に設置されていました。乗客は誰もいませんでしたが、発車直前になって十数人が乗ってきました。



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列車は定刻に佐貫を発車し、すぐに左へカーブして常磐線と分かれます。その後はローカル風景の中を走り、唯一の中間駅である入地では殆ど乗降がありませんでした。その後も農村部を走りますが、やがて市街地へ入ると右手に車両基地が見えてきて、佐貫から7分の乗車で終点の竜ヶ崎に到着しました。



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竜ヶ崎駅到着後は、折り返し列車発車まで6分しかないので、ホームで車両を撮影後は大急ぎで駅の外へ出て、駅舎や駅前を撮影しました。そして自動券売機で佐貫までの乗車券を買って再入場し、折り返し列車に乗車しました。その30秒後に列車は発車しました。復路も乗客は10数人で、関西にある似たようなロケーションの紀州鉄道線よりは乗客が多い印象でした。私は往復とも車窓風景を眺め、佐貫駅まで戻りました。

佐貫駅では常磐線に乗り換え、東京方面へ戻る事にします。乗車した特別快速・上野行きはE531系10連+5連で、今度も付属5連のクロスシートに着席しました。思ったより車内は閑散としていました。列車は取手まで各駅に停車しますが、取手を発車後は天王台と我孫子を通過して、16分の乗車で柏に到着しました。私は柏で下車しました。



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柏駅下車後は改札を出て、久しぶりにペデストリアンデッキから駅前の様子を観察しました。学生の頃、柏の市街地の規模は大阪の茨木や八尾クラスと勝手に想像していましたが、2006年に初めて駅の外へ出た時に、自分の予想をはるかに上回る人の多さに圧倒された経験があります。しかし、この日は松戸よりは人が多い印象でしたが、やはり震災やGWの影響か、思ったより通行人が少なかったです。

駅前を観察した後は東武野田線(現・東武アーバンパークライン)の駅へと移動し、『 Suica 』で入場してビル1階にあるホームへと下りて普通・大宮行きに乗車しました。8000系6連で、座席が埋まるほどの乗り具合だったので私はドア脇へ。道中は車窓風景を眺め、今回は流山おおたかの森で下車しました。この日の天気は曇りでしたが、雲が厚くなってきていました。



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流山おおたかの森駅では一旦改札を出て駅を撮影し、再び東武駅の改札内へ。普通・柏行き(8000系6連)に乗り、座席が埋まっていたのでドア脇で車窓風景を眺めて柏駅まで戻りました。尚、今回は流山おおたかの森で引き返しましたが、流山おおたかの森より先は翌日に乗り鉄する予定です。



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柏駅では改札を出ずに普通・船橋行きに乗り継ぎました。今度も8000系6連でしたが、当時は60000系や10030系は在籍しておらず、野田線は「私鉄の103系」こと8000系の独壇場でした。やはりこちらも座席が埋まるほどの乗車率だったので私は今回もドア脇に陣取って車窓風景を眺める事にしました。

電車は定刻にスイッチバック構造の柏を発車し、大宮方面への線路が右へ分かれると築堤を上がって左へカーブして、常磐線をオーバークロスします。その後は住宅地の中を走りますが、沿線は起伏に富んでいて、所々で田畑や雑木林を見ながら走りました。駅ごとに結構な数の人が下車しましたが、反対に乗車客もそこそこいました。そして新京成線、北総線、京成成田スカイアクセス線と交差し、一大ジャンクションとなった新鎌ヶ谷では乗降客が多かったです。
新鎌ヶ谷を発車後も住宅地や農村地の中を走りますが、今度は駅ごとに乗客が少しずつ増えてきました。そして市街地へ入ると総武線と合流し、柏から28分の乗車で電車は終点の船橋に到着しました。



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船橋駅到着後は駅の外へ出て、柏の時と同様に駅前を観察しました。船橋については学生の頃から千葉県No.2の人口を誇る都市であるという知識があったので、初訪問時に賑やかな駅前を見てもさほど驚きませんでした。しかし、船橋駅前もこの日ばかりは松戸や柏と同様に人が少なかったです…。

船橋駅ではJRの中央・総武緩行線に乗り換えて、幕張本郷を目指します。先発列車は幕張本郷の1駅手前にある津田沼止まりでしたが、津田沼駅の駅構造を観察したかったので先発列車(E231系10連)に乗り、津田沼まで行きました。乗客は少なかったですが、ドア脇で車窓風景を眺めていました。

津田沼駅到着後は改札を出ずに特徴的な駅ホームを観察し、後続の千葉行き(E231系10連)に乗りました。こちらは比較的混雑していましたが、何とか海側ドア脇のポジションを確保できました。今回は、津田沼~幕張本郷を走行中に、海側の畑越しに遠望できる幕張新都心のビル群を撮影したくてリベンジ乗車したのですが、雲が厚くて17時台ながら空が暗く、あまり上手く撮影できませんでした…。そして私は幕張本郷駅で下車しました。



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幕張本郷駅下車後は改札を出て、隣接する(実質的には同一駅の)京成幕張本郷駅へ。今度は総武線と並走する京成千葉線の車窓から幕張新都心の写真撮影をする事にしました。しかし、幕張本郷駅到着時点から急に雨が降り出し、私が乗車した普通・京成津田沼行き(3014F6連。若干空席有でしたが私はドア脇へ)の窓ガラスには雨が打ち付けられ、とても撮影できる状況になく、今回は失敗に終わりました…orz



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京成津田沼駅では本線の特急(3600形8連)に乗り継ぎ、座席が埋まっていたのでドア脇に陣取って京成船橋駅まで移動しました。



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京成船橋駅で下車後は、雨の中ペデストリアンデッキを歩き、JRの船橋駅まで移動しました。通勤時間帯には多くの人がこの乗換ルートを使うのは有名な話です。
そして船橋駅からは総武快速線の上り列車(E217系11連+4連)に乗車しました。雨で車窓風景は見えづらいのでこの日の乗り鉄はこれで終了とし、私はロングシートの空席に座って道中は携帯電話をいじっていました。そして私は錦糸町駅で下車しました。



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錦糸町駅では立食いそば屋でカレーとそばのセット(480円)を食べました。
その後は中央・総武緩行線(E231系10連。混雑状態。ドア脇へ)に乗り継いで秋葉原で下車。秋葉原駅では山手線内回り(E231系11連。やや混雑状態。ドア脇へ)に乗り継いで上野駅で下車しました。
上野駅では改札を出て東京メトロ銀座線に乗り継ぎ(01系6連。空席有。着席)、19時02分に田原町駅に着きました。



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私はここで下車し、コンビニで買物をしてからビジネスホテルにチェックインし、入浴してからテレビを観て22時頃に就寝しました。尚、今回のホテルも宿泊料が4,000円と格安でした。この安い宿泊料が2011年に関東乗り鉄の回数が増える一因にもなりました。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません



(参考:Wikipedia)