第784回('11) いすみ鉄道と小湊鐵道を9年ぶりに乗り鉄 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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前回の続き…

2011年のゴールデンウィーク前半は、4月29日~5月2日にかけて、3泊4日の日程で関東甲信越方面を乗り鉄しました。
遅々として進まない関東での沿線風景の写真集め、そして未成線探訪などが目的でした。

今回は3日目前半の模様です。
午前中は房総半島方面へ。9年ぶりに三セクの『いすみ鉄道』と非電化私鉄の小湊鐵道を乗り継いで房総半島を横断しました。
その後は千葉方面へ向かいました。
今回の日程 2011年5月1日(日) 【前半】

鶯谷507(山手線外回り・401G)512秋葉原520(中央・総武緩行線 506C)609千葉625(外房線・229M)717上総一ノ宮722(2229M)739大原744(いすみ鉄道いすみ線・9D)841上総中野907(小湊鉄道線・12A)1017五井1036(内房線→外房線・160M)1054千葉/京成千葉1125(京成千葉線)1142京成津田沼1153(新京成電鉄新京成線)1236松戸

【後半へ続く】
この日は4時に起床し、朝食後にホテルをチェックアウトして鶯谷駅へ。自動券売機で『ホリデー・パス』(2,300円)を購入して入場しました。そしてホームへ下るエスカレーターに乗ろうとしたら、停止していました。3月に発生した福島第1原発の事故により原発がストップし、供給電力量が低下しているため至る所で節電措置が取られていました。仕方なく階段でホームへ向かいました。



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そして鶯谷駅からは山手線外回り(E231系11連)に乗り、秋葉原駅まで移動しました。早朝なのに乗車率が高かったです。私はドア脇で立席でした。

秋葉原駅では中央・総武緩行線の千葉行き各停(209系500番台10連)に乗り換えました。



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こちらも混雑していて、私はドア脇で早朝の車窓風景を眺め続けました。途中から乗車率は幾分低下して空席も発生しましたが、私は終点の千葉までドア脇で車窓風景を眺め続けましたw



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千葉駅では外房線の上総一ノ宮行きに乗り継ぎました。元京浜東北線の209系6連+4連で、私は先頭車両のボックス席窓側席に座りました。乗車率は低かったです。



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同じ車両にファン2人組が乗っていて、引退間近の青色の201系と湘南色の113系を撮影しに行く旨の話が聞こえてきました。途中で京葉線用の201系とすれ違ったと記憶していて、また茂原では湘南色113系が停車していました。



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私は終点の上総一ノ宮まで車窓風景を見続けました。



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上総一ノ宮駅では安房鴨川行きに乗り継ぎました。今度は209系4連で、着席率が高かったので私は先頭でかぶりついて前面展望をする事にしました。今回も道中は車窓風景を眺め、いすみ鉄道に乗り換えるために大原で下車しました。



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大原駅では5分の接続で『いすみ鉄道』に乗り継ぐのですが、茂原~大原は『ホリデー・パス』のエリア外です。私は何も知らずに精算機に『ホリデー・パス』を入れるとエラー表示が出ました。時間がないので焦り、すぐに駅員にその旨を伝えましたが、きっぷを取り出すまで時間がかかり、その間に「ホリデー・パスは精算機に入れると前途無効になっちゃうんですよ…」と言われ、「そんなの知りませんわ…」と私は言いました。そして駅員がきっぷを取り出して私は茂原からの運賃を支払い、駅員に「自動改札機は通れませんから有人改札を通って下さい」と言われ、精算機により穴の開けられ、その部分に大原駅の印が入った『ホリデー・パス』を渡されました。私は色々言いたかったですが、早く行かないと『いすみ鉄道』の列車が発車してしまうので、私はすぐに改札を出て『いすみ鉄道』駅へ向かい、そのまま列車に乗りました。何とか間に合いました…。



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いすみ鉄道の上総中野行き列車は定刻に大原を発車しました。車両はレールバスの「いすみ201」単行で、車内は高校生で満席でした。私は最後部ドア脇で側方、後方展望をしました。私は大原駅の件でパニクっていたので集中力が散漫になり、高校生がどこの駅で下車したのか分かりませんでした。そして車庫のある大多喜では長時間停車しましたが、私はここで運転士に『関東の駅百選認定記念 房総半島横断乗車券』(1,600円)を購入したいと申し出て、運転士に誘導されて駅窓口で購入しました。この乗車券は大原駅で売っていないので(現在は分かりませんが…)、大原駅でも買えるようにしてもらいたいです。乗車券を購入後は大多喜駅の内外を撮影し、列車に戻りました。乗客が5人ほどに減少し、ガラガラでした。



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大多喜を発車後は「ムーミン谷」のような(?)ローカル風景の中を走ります。まずは大多喜城(再建)を撮影しようとしましたが、失敗してしまいました…orz 今回の『いすみ鉄道』乗り鉄は失敗続きでチグハグになり、近いうちのリベンジを決めました。その後は落ち着いて車窓風景を眺めました。とある鉄橋にはムーミン模型が置かれていました。私は着席して車窓風景を眺め、大原から57分の乗車で終点の上総中野駅に到着しました。



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上総中野駅では小湊鉄道線の列車が発車するまで26分間あったので、車両やホーム、駅舎を撮影しました。そして待合室で時間をつぶして小湊鉄道線ホームへ向かい数分待つと、小湊鉄道の列車がやって来ました。列車からは多くの人が下車し、その殆どが『いすみ鉄道』へ乗り換えるようでした。私は小湊鉄道線の折り返し列車に乗車しました。キハ20系タイプの顔つきをしたキハ200形気動車2両編成で、前方がキハ208、後方がキハ213でした。私は後方車両に乗車し、ガラガラだったのでオールロングシートの腰掛に座りました。また、女性車掌が乗務していました。



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列車は定刻に上総中野を発車し、すぐにトンネルで山越えをすると大多喜町から市原市へと変わりました。この後、終点の五井まで35km以上にわたり市原市内を走り続けます。私は車窓風景を眺め続け、窓を開けて写真撮影しました。月崎を過ぎると車掌が切符の拝見に回ってきて、私は『関東の駅百選認定記念 房総半島横断乗車券』を提示しました。車掌に「記念に撮影しましょうか?」と言われたので、ありがたく写真を撮ってもらいました。その後も車窓風景を眺め続けましたが、やはり大原駅での『ホリデー・パス』の一件が尾を引き、なかなか車窓風景に集中できませんでした…。その影響か、車掌から「五井駅で運転体験ができるんですよ」など貴重な話を聞きましたが、集中力を欠いた私の反応が鈍かったのか、その後は一切話し掛けて来ませんでした…。車掌さん、申し訳ありませんでしたm(_)m

一方、車内は空いていましたが、駅ごとにジワジワと乗客が増えてきました。そして主要駅である上総牛久からは乗客の増えるペースが上がってきました。私は最後部に座っていましたが、みるみるうちに席が埋まっていきました。そして千葉急行線(現在の京成千原線)が接続するはずだった海士有木からは沿線に住宅が増えてきて、最後は市街地へ入り内房線と合流すると、上総中野から1時間10分の乗車で終点の五井に到着しました。



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五井駅ではホームや跨線橋から車両・車両基地を撮影し、一旦駅の外へ出ました。そしてJR駅から入場しましたが、私の『ホリデー・パス』は自動改札機を通れないので有人窓口で提示しました。すると駅員は「どうぞ」と言って私を通しましたが、どうも慣れている様子で、以前より私と同じ精算機に通してしまうトラブルが多数あったのかもしれません。それなら、尚更改善してほしいですが…。

五井駅からは、内房線の千葉行き普通列車に乗りました。211系5連で、車内はとても混雑していました。



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何とかドア脇を確保したかったのですが、それも叶わず、扉付近のロングシート部分で吊革に掴まって苦痛に耐えるだけでした…。そして何もできずに電車は終点・千葉に到着し、18分間の苦痛から解放されました。



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千葉駅では改札外に出て、「松屋」で昼食を済ませました。その後は京成千葉駅へと移動し、京成千葉線の京成津田沼行き普通列車(3000形6連)に乗車しました。車内はガラガラで、JRとの差を感じてしまいました。私は着席して車窓風景を眺め、終点の京成津田沼まで乗り通しました。



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京成津田沼駅では一旦改札を出て駅舎を撮影してから新京成電鉄線の松戸行き列車に乗車しました。8800形6連で、車内は空いていましたが、次の新津田沼で座席が埋まる可能性が高いので、予めドア脇に陣取りました。
電車は京成津田沼を発車し、単線でS字カーブを描きながら走り、JRを跨ぐと新津田沼に着き、予想通り多くの人が乗ってきて席が埋まりました。その後は住宅街の中をカーブしながら走り、乗客は微減状態でしたが、新鎌ヶ谷からは少しずつ乗客が増えてきました。車庫のある「くぬぎ山」を過ぎると松戸市へと入りましたが、尚もカーブしながら走ります。このカーブの多さは戦前に陸軍の演習用路線として建設された名残で、様々な状況での路線敷設演習のために急曲線が多数存在しているとの事です。そして電車は市街地へと入り、京成津田沼から43分の乗車で終点の松戸に到着しました。



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松戸駅では改札外へ出て駅舎と駅前を撮影しましたが、多くのビルが建ち並ぶ都会的風景とは裏腹に、通行人は少なかったです。また、駅前のペデストリアンデッキでは、「東日本大震災復興支援 頑張ろう日本!みんなの一歩が未来をつくる」と銘打ったチャリティーイベントが開催されていました。



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その後も乗り鉄を続けました。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません



(参考:Wikipedia)