第783回('11) 西武の飯能短絡線(未成線)を訪問。東武越生線なども乗り鉄 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

イメージ 1

前回の続き…

2011年のゴールデンウィーク前半は、4月29日~5月2日にかけて、3泊4日の日程で関東甲信越方面を乗り鉄しました。
遅々として進まない関東での沿線風景の写真集め、そして未成線探訪などが目的でした。

今回は2日目後半の模様です。
八高線に乗って東飯能駅に着いた後は、西武池袋線のスイッチバック駅である飯能駅をショートカットする計画だったものの未成線となった飯能短絡線を探訪しました。その後は八高線へ越生へ移動し、東武越生線と東上線などを乗り継いで東京入りしました。さらに建設中の東京スカイツリーを見るために東武亀戸線などを乗り鉄してからホテルへと向かいました。
今回の日程 2011年4月30日(土) 【後半】

東飯能1330(徒歩・未成線の西武飯能短絡線)1405東飯能1412(八高線・1367E)1417高麗川1432(241D)1443越生1500(東武越生線)1518坂戸1521(東上本線・急行)1540ふじみ野1542(東上線→東京メトロ有楽町線)1642有楽町1658(山手線内回り・1620G)1704秋葉原1716(中央・総武緩行線 1640B)1724亀戸1728(東武亀戸線)1736曳舟1745(伊勢崎線)1751浅草1817(東京メトロ銀座線)1822上野1830(山手線内回り・1850G)1832鶯谷

【宿泊】
八高線で東飯能駅へやって来ました。橋上駅舎から地上へ下りて駅の南側へ歩き、八高線と西武池袋線の間へと進みました。ここから西武の未成線、飯能短絡線を探訪する事とします。短絡線用地は確保されていて、また柵で用地内には入れない状態でした。線路や架線は存在していませんでした。私は用地脇を通る道路から未成線用地を眺めました。



イメージ 2

未成線は左へカーブし、やがて池袋線と合流しますが、この地点は一時期、池袋線の複線・単線の境界となっていて笠縫信号所と呼ばれていましたが、池袋線の飯能以東の全区間複線化により、信号所は廃止となりました。また、この付近では上下線の間隔がやや開いていて、中央に飯能短絡線を通して池袋線上り線と立体交差させるのかな…と想像したりしました。

旧笠縫信号所まで行った後は未成線に沿って東飯能駅まで戻りました。
そして再び八高線に乗りました。川越行きの1367Eに乗車しました。205系4連で、座席が埋まっていたのでドア脇に陣取って、車窓風景を眺めて次駅の高麗川まで移動しました。



イメージ 3

高麗川駅では引き続き八高線の、高崎行きの241Dに乗り継ぎました。キハ110系2連で、こちらも座席が埋まっていたので最後方に陣取り、側方と後方を展望して越生まで乗車しました。



イメージ 4
イメージ 5

越生駅では一旦改札を出て、駅舎と駅前を撮影しました。その後、『 Suica 』で入場し、跨線橋でもう一度『 Suica 』にタッチして東武越生線ホームへと進みました。1回のタッチで東武駅に入場できるよう改善してほしいですね。



イメージ 6

東武ホームへ下りると、既に停車していた坂戸行き列車に乗車しました。



イメージ 1

8000系4連で、超ガラガラだったので座席に座って車窓風景を眺めました。途中駅ごとに乗客が増えましたが、ガラガラのまま終点の坂戸駅に到着しました。18分の乗車時間でした。



イメージ 7

坂戸駅では3分の接続で東上本線の急行・池袋行きに乗り継ぎました。50000系10連で、空席はありましたが川越などでの大量乗車に備え、予め最後方車両のドア脇に陣取り、確実に車窓風景を眺めました。予想通り、川越などで乗客が増えて一気に座席が埋まりました。私は池袋まで乗車せずに、ふじみ野で下車して急行を待避していた普通に乗り換えました。



イメージ 8

乗り換えた普通は東京メトロ有楽町線直通の新木場行きで、車両は9000系10連でした。50000系に乗った後なので古い感じがしました。車内は空いていましたが、やはり途中駅からの乗車率上昇に備えて最後部ドア脇で車窓風景を眺めました。志木からは複々線の内側線を走り、和光市駅では乗客が大幅に増えました。そして和光市からは有楽町線へと入り、私は駅の雰囲気を観察しながらの移動となりました。そして私は路線名と同じ駅名である有楽町で下車しました。



イメージ 9

有楽町駅では地上へ出て山手線内回り電車(E231系11連)に乗車しました。



イメージ 10

混雑しているのでドア脇で車窓風景を眺め、秋葉原駅で下車しました。

秋葉原駅では連絡通路を通り中央・総武緩行線の千葉方面ホーム6番線へ。途中、通路の窓からは外が見え、東北縦貫線(現在の上野東京ライン)の工事が進行していました。また、急にお腹が減ったので、そば屋に寄って早目の夕食を済ませました。



イメージ 11

夕食後は、中央・総武緩行線の千葉行き各駅停車(E231系10連)に乗り、亀戸駅まで移動しました。車内は混雑していたので、ドア脇で車窓風景を眺めていました。



イメージ 12

亀戸駅では改札を出て、東武亀戸線に乗り換えました。曳舟行きは8000系2連で、夕方の時間帯とあって混雑していました。ここでも私はドア脇に陣取り、左側車窓から完成間近の東京スカイツリーを眺める事にしました。途中で一瞬、東京スカイツリーが見える箇所がありました。既に頂上まで建設されていた感じでした。そして8分の乗車で終点の曳舟に到着しました。



イメージ 13

曳舟駅ではホームから東京スカイツリーを眺めて、伊勢崎線(当時はまだ『東武スカイツリーライン』の愛称は付いていません)の普通・浅草行き(10030系6連)に乗車しました。



イメージ 14

私は空いている後方車両に乗車し、着席して車窓風景を眺めました。車窓からは東京スカイツリーを眺める事ができました。また、業平橋駅(現:とうきょうスカイツリー駅)からは建設中の東京ソラマチが見えました。そして電車は隅田川を渡り、大きく左にカーブして終点の浅草に到着しました。



イメージ 15

ここでこの日の乗り鉄を終え、休憩してからホテルに向かうことにします。
まずは東京メトロ銀座線(01系6連)に乗り、上野で山手線内回り(E231系11連)に乗り換えて鶯谷(うぐいすだに)で下車しました。
鶯谷駅で下車後は、コンビニに寄ってから駅近くにある「東横イン」へチェックインしたのですが、GW期間などは大抵都心の東横インなどは満室で宿泊は難しいにもかかわらず、数日前の時点であっさりと予約できました。また、宿泊料は安くても6,000円以上するはずですが、この日は何と4,400円と格安だったので、接客態度の悪さ、翌日が早朝出発なのでサービス朝食食べられないことを差し引いても東横インに宿泊する事に決定しました。フロントも人で混雑していなくて、まだ空室が残っていたかもしれません。実はこの頃、先月に発生した東日本大震災により旅行自粛ムードが広がった事や、福島第一原子力発電所の原発事故により東日本一帯の放射線量が高くなっているなど、東京も影響を受けていました。ゆえに震災後~2011年末にかけて、土休日の東京のホテルの宿泊料金は軒並み割安でした。

チェックイン後は入浴し、疲れていたので21時までには就寝しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線はありません



今回新たに徒歩で訪問した未成線

路線名区間備考
西武鉄道池袋線:(飯能短絡線)旧笠縫信号所~東飯能(--.-km)距離は不明
(参考:Wikipedia)