第733回('10) 水郡線や福島交通飯坂線などを乗り鉄 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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2010年8月7日~10日、お盆休みは3泊4日の日程で、主に『青春18きっぷ』を使用して東北地方など東日本の路線を乗り鉄しました。

今回は初日の日程です。まずは新幹線で東京入りし、常磐線を水戸まで乗りました。
午後は水郡線で一気に郡山まで移動し、東北本線に乗り継いで宿泊地の福島へ。最後は福島交通飯坂線を乗り鉄しました。
今回の日程 2010年8月7日(土)  

加古川520(JR神戸線・704K)536西明石600(山陽新幹線→東海道新幹線・のぞみ100号)853東京903(山手線内回り・854G)910上野949(東北→常磐線・1355M快速)1159水戸1314(水郡線→東北本線・333D)1626郡山1643(東北本線・2143M)1730福島1800(福島交通飯坂線)1823飯坂温泉1825(福島交通飯坂線)1848福島

【帰宅】
この日は4時に起床し、朝食後に自宅を出発しました。加古川駅では予め買っておいた東京都区内までの乗車券を自動改札機に投入して入場し、JR神戸線の上り一番列車(223系8連+4連)に乗り、座って西明石駅まで移動しました。



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西明石駅ではいつものように6:00当駅始発の山陽新幹線・東海道新幹線『のぞみ100号』(N700系Z編成)は自由席窓側席に乗車しました。世間のお盆休みはもう少し後(13日)からだったので、乗客は少なかったです。



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新幹線の車内では車窓風景を眺めていました。名古屋ではほぼ満席になりました。そして道中のポイントは、在来線の東静岡駅前に期間限定で設置されている「ガンダム」のモニュメントを撮影することでした。ガンダムの頭部を見ることができましたが、保線用車両と木に阻まれうまく撮影できませんでした…orz 



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その後は雪を被っていない富士山などを見て、定刻の8時53分に終点の東京に到着しました。

東京駅では一旦改札を出て、今度は『青春18きっぷ』で再入場し、スタンプが押されました。それならば加古川~西明石も『18きっぷ』で移動すれば…と思われるかもしれませんが、加古川からも西明石からも東京までの運賃は同一なので(当時は9,350円)、加古川では使いませんでした。
再入場後は比較的空いている山手線内回り(E231系11連)に乗って上野駅で下車しました。

上野駅では駅弁を買ってから常磐線の普通(快速)・水戸行き1355Mに乗車しました。E531系10連で、私は『 Suica 』でグリーン券を買ってからグリーン車2階席に座りました。乗客は3人ほどと少なく、女性乗務員が車内販売に回っても買う人はいませんでした…。



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電車は我孫子まで快速運転、それ以降は各駅に停車していきました。土浦辺りで私は上野駅で買った駅弁『深川めし』(850円)を食べながら車窓風景を眺め続けました。



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そして2時間10分の乗車で1355Mは終点の水戸に到着し、私は下車しました。



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水戸駅では改札を出ずに水郡線の2番線ホームへと移動し、乗車位置で1時間以上も前から並んでいました。私が乗車する333Dは満席になりそうな気がしたので…。案の定、私の後ろには列ができてどんどん長くなりました。そして333Dの水戸発車時には満席どころか通路にまで人が溢れる有様でした。
333Dは2007年に導入されたキハE130系の3両編成で、私の乗車した前1両のみが郡山まで直通し、後方2両は途中の常陸大子で切離しとなります。当然ながら、先頭車両がいちばん混雑したはずですが、私は列の先頭で並んでいたのでボックス席の進行方向窓側席に余裕で座れました。尚、私が以前に乗車した2006年は、キハ110系が水郡線の「ヌシ」でした。



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333Dは定刻の13時14分に水戸を発車し、那珂川を渡って常陸青柳を過ぎるとローカル風景の中を走るようになりました。常陸太田支線が分岐する上菅谷では常陸太田方面への接続がなかったことから下車客は少なかったです。その後は次第に山間部へ入っていき、乗降客の多い常陸大宮で幾らか乗車率が下がりました。また、私の向かいの席で「袋田の滝」のパンフレットを持っていた老人は袋田で下車し、代わりに通路で立席だった女性が着席しました。そして列車は14時31分に常陸大子に到着し、まとまった数の下車がありましたが、乗車客や後方車両から移ってきた客が加わり、結局は満席で立客がドア脇にいる状態で常陸大子を発車しました。



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その後は福島県へと入り、長閑なローカル風景の中を北上していきます。乗車率は高い状態で推移し、かつては白棚線が分岐していた磐城棚倉からは逆に少しずつ乗客が増えてきました。そして再び通路にまで乗客が溢れると安積永盛に着き、ここから東北本線上を走ります。そして水戸を発車して3時間12分、16時26分に列車は終点の郡山に到着しました。到着は切り欠き式ホームの3番線でした。



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郡山駅では17分の接続で東北本線下り・2143M福島行きに乗り継ぎました。私の好きなE721系2連×2でしたが、座席の大半が埋まっていたので私は道中、ドア脇で車窓風景を眺め続けました。郡山~二本松では上下線で違う高さの場所を走る区間が多く、また二本松~福島では上下別線で山間部を通過していきました。そして47分の乗車で2143Mは終点の福島に到着しました。時刻は17時30分でした。



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福島駅では改札を出て、北側にある福島交通飯坂線の駅舎へ。阿武隈急行線と駅舎など構内を共用しています。これは阿武隈急行の設立当初、福島交通が株の51%を保有していたことに起因しています。私は飯坂温泉駅までの乗車券を購入して入場し、少し待って入線してきた18時ジャスト発の飯坂温泉行きに乗車しました。車両は元東急の7000系2連でした。車内は高校生や帰宅客で満席で、私はドア脇に陣取りました。道中は例によって車窓風景を眺め続け、23分の乗車時間を楽しみました。風景は次第にローカルムードが高まり、温泉街へと入ると飯坂温泉駅に着きました。



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飯坂温泉駅では2分後に発車する折り返し列車に乗るため、車両を撮影後大慌てで改札を出て、券売機で福島までのきっぷを買ってから再入場し、電車に飛び乗った直後に発車しました。これなら福島駅で往復切符を買っておけばよかったです…。また、以前に駅舎は撮影していたのですが、今回は駅の外へ出られずに残念でした…。

帰りの電車は、浴衣を着た若者が多かったです。しかも停車駅ごとに増えてきて車内は立客で溢れました。



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どうやら中心市街地で夏祭りがあるようです。私は最後方で体を動かすこともできなくなり、後方展望に徹しましたが、もう日没を過ぎていて写真撮影も難しくなりました。そして最後は苦痛に耐えて福島駅まで戻ってきました。18時48分でした。



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福島駅では改札を出て、駅前通りへ。通りは通行止めになっていて、「福島わらじ祭り」が開催されていました。多くの人が踊りを披露していたと記憶しています。物凄い人で、私は前に歩くのも苦労しました。福島のパワーを感じました。平成22年(2010年)は多くの人で賑わいましたが、震災後の平成23年(2011年)は風評被害もあり「福島わらじ祭り」が無事に開催され、多くの人で賑わったのか気になるところです…。



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私は通り沿いにある「なか卯」で夕食を済ませて、駅の北側にあるホテルにチェックインしました。部屋の窓からは福島駅構内を見ることができました。
チェックイン後は入浴し、テレビを観ていましたが、いつしか寝ていました。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません



(参考:Wikipedia)