第670回('09) 紀伊半島を一周して帰宅。『南紀』はリベンジ乗車! | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…

2009年9月19日~23日、シルバーウィークで世間は5連休となりましたが、私は23日が出勤だったので4連休に…。
そんな中、9月20日は日帰りで名古屋方面&紀伊半島をリベンジ乗り鉄しました。

今回は後半の内容です。名古屋駅から特急『南紀』と『オーシャンアロー』を乗り継いで紀伊半島を一周し、最後はJR神戸線の新快速に乗って帰宅しました。
『南紀』は前年の2008年にも乗りましたが、混雑していた関係で海側の座席に座れなかったことが悔しく、今回はリベンジ乗り鉄となりました。結果として海側席に座れてリベンジを果たすことができました。
また、今回は宿泊をしない強行軍で、何とか日帰りで紀伊半島を一周しましたw
今回の日程 2009年9月20日(日) 【後半】  

名古屋1300(関西本線→伊勢鉄道伊勢線→紀勢本線・2005D特急『(ワイドビュー)南紀5号』)1635紀伊勝浦1703(紀勢本線【きのくに線】・2335M)1726新宮1758(きのくに線→阪和線→大和路線→大阪環状線外回り→梅田貨物線・86M特急『オーシャンアロー36号』)2152新大阪2214(JR京都線→JR神戸線・3315M新快速)2315加古川

【帰宅】
名鉄名古屋駅で昼食を済ませ、11時過ぎには名古屋駅に着きました。私は13時発の特急『(ワイドビュー)南紀3号』が発車する12番線ホームへと向かい、早々と自由席の乗車位置で並びました。さすがに誰も並んでいませんでした。別に指定席にしても良かったのですが、どうせ名古屋が始発駅ですし、指定席を取ったものの鬱陶しい団体客と居合わせたりすると最悪なので、「逃げ」の効く自由席を選択しました。しばらく携帯電話をいじりながら時間をつぶしていましたが、時間の経過が遅く感じました…。12時を過ぎると私の後ろに少しずつ列ができてきました。さらに12時40分を過ぎると30人ほどになりました。そして12時56分になると『南紀3号』が入線してきました。



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キハ85系4連で、自由席は先頭の4号車のみでした。先頭は非貫通型でした。私は当然ながら一番に車内へと入り、海側の2列目の座席に座りました。先頭に座っても良かったのですが、海側席は運転士側になり、また最前列の座席は運転室との仕切壁がある関係で足を伸ばせないのが引っ掛かり、あえて2列目にしました。車内を見渡すと、大半の座席が埋まりましたが、私の隣席は空席でした。最前列には親子連れが座りました。

『南紀3号』は定刻の13時に名古屋を発車し、関西本線の架線下を走ります。結構な割合で近鉄名古屋線が並行しています。木曽川を渡ると愛知県から三重県へと入り、さらに長良川・揖斐川を渡ると右へカーブして南へ進路を変えます。今回は海側(東側)なので、カーテンの問題は発生しにくいですが、やはり山側席の乗客は一斉にカーテンを閉めてしまいました。ワイドビューゆえに太陽の光も大きな窓から広範囲に入ってくるようでした…。



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列車は河原田から津までの間、伊勢鉄道伊勢線を走りますが、大半が高架区間なので走りっぷりが良かったです。そして津からは紀勢本線へと入り、広大な田園風景の中を走りました。松阪牛で有名な松阪を過ぎると次第に山並みが接近し、参宮線が分岐する多気を過ぎると本格的に山間部へと入っていきます。前回もそうでしたが、名古屋からの乗客は多気を過ぎても9割方乗り通していました。まぁ、四日市や津、松阪、伊勢市、鳥羽方面へは快速『みえ』や近鉄特急・急行を利用する人が多いでしょうからね…。

列車は三瀬谷を過ぎるとさらに山深い所を走るようになり、「大内山牛乳」で有名な大内山、さらに梅ヶ谷を過ぎると荷坂峠を越え、短いトンネルの連続でカーブしながら勾配を一気に下っていきます。そして左手に海が見えてくると紀伊長島に着きました。JR東海の『青空フリーパス』では、ここまで行くことが可能です(特急券は別払い)。ここで数人が下車しました。紀伊長島からは時折リアス式海岸の熊野灘を見ながら走ります。



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そして尾鷲に着くと、10数人が下車し、私の前の座席も空きました。そこに、私の列の山側席に座っていた40~50代の姉妹と思われる2人組が移動してきました。私が窓の外に向けてカメラを構えていると話し掛けられ、私がこの地域の素晴らしい車窓風景を撮影していると説明すると、なぜか感心してくれて、姉妹も車窓風景を見入っていました。当然、私も車窓風景を写真に撮り続けました。また、尾鷲~熊野市の途中駅ではJR西日本のキハ181系特急形気動車と行き違い、多数のファンが撮影していました。そして鵜殿で紀州製紙(翌10月に北越紀州製紙に社名変更)の専用線を見ると直後に熊野川(新宮川)を渡って和歌山県へと入り、かつてケーブルカーがあった丹鶴城跡をトンネルで抜けると新宮に着きました。ここで姉妹は下車し、わざわざ私の座っている列の横にまで来て手を振ってくれて別れを惜しみました。ちなみに私はこの後もガラガラになった『南紀3号』に乗り続けました。

新宮を発車後はJR西日本の電化区間を走ります。引き続き海辺の風景を見ながらの道中となり、16時35分、名古屋から3時間35分で終点の紀伊勝浦に到着しました。長時間乗車は結構しんどかったですが、今回は満足いきました。



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紀伊勝浦駅では改札を出て、駅や駅前を撮影しました。そして、一度食べてみたかった駅弁『くじら釜めし』を求めて売店へ行きましたが、時間帯も悪く売り切れとのことでした…。仕方ないので紀伊勝浦での駅弁は諦めて、私はこの後新宮駅から『オーシャンアロー』に乗るために普通列車で新宮駅へ戻ることにしました。自動券売機で新宮までの乗車券を買ってから入場し、ホームへ。串本発新宮行きの2335Mはオーシャン色の105系2連で、車内はガラガラでした。今度は山側の風景を眺めるべく、空いているロングシートに腰掛けました。



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列車は4分遅れで紀伊勝浦を発車。しかし、山側の車窓風景はことのほか面白くなかったです。結局、列車は3分遅れで終点の新宮に着きました。



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新宮駅では改札外へ出て、売店で『くじら釜めし』があるか確認しましたが、「ない」ということで結局諦めました…。代わりに、『めはり寿し』を買いました。その後は『みどりの窓口』で新大阪までの自由席特急券を買いましたが、B特急料金とはいえ1,880円(当時)は安く感じました。新大阪~新宮はめっちゃ遠い感じがしますが、後で調べたら270km台と、微妙な遠さですね…。

特急券を購入後は自動券売機で紀伊勝浦までの乗車券も買い、改札を通りホームへ。自由席の乗車位置には既に2人並んでいました。そして『オーシャンアロー36号』が入線してきました。283系6連+3連の9両編成で、私は2号車の禁煙自由席、海側の窓側席に座りました。乗客は海側の窓側席が埋まる程度で、山側はがら空きでした。



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『オーシャンアロー36号』は定刻の17時58分に新宮を発車しました。まずは先程『南紀』でも見た風景を再び眺めるのですが、すでに暗くなりはじめていて、満足に車窓風景を眺められなくなりました。まぁ、『きのくに線』区間は2008年にも海側風景を眺め、ある程度撮影もしていたので今回は別に暗くても大丈夫でしたが…。紀伊勝浦を過ぎるとさらに暗くなってきたので、車窓風景は諦めて新宮駅で買った駅弁『めはり寿し』を食べました。



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その後、古座付近では完全に暗くなり、本州最南端の駅である串本を過ぎると急に眠気に襲われました。私は深い眠りに落ちてしまい、しばらくの間全く目が覚めませんでした…。そして目が覚めたのは梅田貨物線の中津付近を走行中で、私は半分以上の区間で眠っていたのでした…。何とか終点の手前で目が覚め、無事に終点の新大阪で下車できました。時刻は21時52分、新宮から3時間54分の長旅でした。また、これで紀伊半島の外周を9時間近くかけての走破が完了しました。



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新大阪駅ではトイレ休憩だけして、JR神戸線方面の下り新快速(223系8連+4連)に乗り換えました。いつものように大阪から窓側席に座って移動し、今度は一切眠らずに加古川駅で下車しました。

加古川駅到着後は、もう遅い時間帯なのでそのまま帰宅しました。

(つづく)


今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません



(参考:Wikipedia)