第282回 一畑電鉄で出雲大社へ。大社線の廃線跡を歩く。 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…

2004年8月13日~14日、1泊2日で山陰方面へ。
2日目は乗りつぶし区間が皆無でしたが、一畑電鉄(現・一畑電車)の乗り鉄と、JRの旧・大社線の廃線跡を歩きました。
今回の日程 2004年8月14日(土) 

松江しんじ湖温泉629(一畑電鉄北松江線)726電鉄出雲市740(北松江線)749川跡751(大社線)802出雲大社前(徒歩)大社駅跡(徒歩・国鉄~JRの大社線の廃線跡)出雲市1151(山陰→伯備→山陽本線・1026M L特急『やくも16号』)1457岡山1517(山陽新幹線・『ひかり320号』)1552姫路1601(山陽本線・3276M新快速)1611加古川

【帰宅】
この日は朝5時頃に起床し、朝食後にJR松江駅近くにあるホテルをチェックアウト。松江市街を東西に流れる大橋川と宍道湖の境目にある宍道湖大橋などを25分ほど歩いて松江しんじ湖温泉駅に着きました。1999年に初訪問した時は古い駅舎でしたが、いつの間にかガラス張りの小奇麗な駅舎へと変わっていました。私は窓口で『1日フリー乗車券』(1,500円)を購入し、改札内へと入り停車中の電鉄出雲市行き電車に乗車しました。車両は元京王5000系だった2100系電車の2連で、朝早いからか車内はガラガラでした。



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松江しんじ湖温泉駅にて撮影。駅舎が改築されていました。

電車は定刻に松江しんじ湖温泉駅を発車し、左側車窓に展開する宍道湖の風景を眺めながら乗車を楽しみました。そして一畑口ではスイッチバックをして、平田市駅(現在は平田市が出雲市と合併して「出雲市」へと変わったため開業時以来の駅名である雲州平田駅に戻されています)や川跡(かわと)駅で結構な人数の乗車があり多少混雑してきました。そして最後はJRの山陰本線と並走しながら高架線へと上がり、57分の乗車で終点の電鉄出雲市駅に到着しました。



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電鉄出雲市駅にて撮影。
電鉄出雲市駅は1999年の初訪問時は地上駅でしたが、翌2000年に高架駅へと変わりました。

電鉄出雲市駅では一旦改札を出た後すぐに改札内へと戻り、松江しんじ湖温泉行きの電車(先程と同じ2100系2連)に乗って川跡駅まで戻りました。そして川跡駅では大社線の出雲大社前行き電車に乗り継ぎましたが、こちらも2100系2連でした。出雲大社への参拝客が多いのか乗客はそこそこ多かったです。大社線は右側には壁のように続く山並みを、左側には田園風景や出雲ドームを見ながら、のんびりと走り、11分の乗車で終点の出雲大社前駅に到着しました。当駅も1999年以来の訪問でしたが、こちらは変化がなかったように思います。



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出雲大社前駅にて。モダンな感じの駅舎です。

そして今回は、前回訪問時は時間がなくてまともにお参りできなかった出雲大社を参拝することにしました。入口から拝殿までは結構距離があり、これが前回お参りできなかった一因でもありましたが、今回はたっぷり時間を取ってあるので、念願叶いお参りができました。その後、お腹の調子が悪くなりトイレへ駆け込みましたが、幸いすぐに治り旅行を再開しました。



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出雲大社にて撮影。今回は参拝できました。

出雲大社を後にして、出雲駅伝でスタート時に走る参道を南へ歩きました。先程下車した一畑電鉄・出雲大社前駅を素通りし、さらに南へ進み、堀川を渡る前には大鳥居をくぐりました。そして堀川を渡りしばらく歩くと、1990年に鍛冶屋線と共に廃止となった旧国鉄~JR大社線の終点駅であった大社駅跡に着きました。風格ある駅舎は保存されていて、自由に中へ入ることができました。改札口を通ってホーム跡へ出ると、ホームやホーム部のレールがそのまま残されていました。また、3番線?にはSLが静態保存されていました。



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2枚とも大社駅跡にて撮影。

大社駅跡では休憩がてらしばらく滞在した後、今度は大社線の廃線跡を出雲市駅へ向かい歩きました。はじめは2車線の道路へと変わった田園風景の中の廃線跡を南へ進みましたが、しばらくすると道路は途切れ、以降は少し迂回して、未舗装で、単線分の幅の細い道へと変わった廃線跡を歩きました。途中には荒茅駅のホーム跡が残っていましたが、現在はこの付近まで前述の2車線道路が延びているようで、ホーム跡は撤去されたかも知れません…。そしてさらに進むと、ある程度大きな川を渡りますが、橋梁と大社方の築堤は撤去されていました。しかし出雲市方の築堤は残存していて、こちらからも橋梁跡の手前まで行く事ができました。その後も未舗装の道路となった廃線跡をしばらく歩き、出雲高松駅跡に着きました。当駅跡もホーム跡が残っていました。

その後も田園風景の中を一直線に延びる線路跡の道路を歩きましたが、この日はカンカン照りの快晴で、段々とバテて来ました。一向に出雲市駅が見えない中で、何とか力を振り絞って歩いた結果、ようやく右側に山陰本線の線路が見えてきました!そして山陰本線と合流した後は、山陰本線の高架橋の日陰(北側)を通る道路(こちらも大社線の廃線跡を転用したと思われます)を歩き、少し回復した頃に出雲市駅が見えてきて、ほどなくして出雲市駅にたどり着きました。7.5kmの距離を約2時間半、大したことない距離ですが、如何せん暑かったです…。やはり夏に廃線跡を歩くのは避けたほうが良いですね…(今でも休暇の長い夏に廃線跡を歩いていますが…)。

当初の予定では、電鉄出雲市駅から一畑電鉄で松江まで戻ってからJRで帰宅しようと思いましたが、あまりにも疲れていたので出雲市駅から直接加古川の自宅へ帰ることにしました。一畑電鉄の『1日フリー乗車券』は元が取れませんでしたが、仕方ありません…。また、疲れで『18きっぷ』を使って鈍行で帰る気も失せていたので、今回は特急~新幹線を使っての帰宅となりました。きっぷを購入後、乗車がお昼時にかかるので、駅構内の売店で駅弁の『出雲そば弁当』を購入しましたが、注文後に作るということで、引渡しまでやや時間がかかりました。駅弁入手後、改札を通り高架ホームへ。しばらく待っていると乗車列車の『やくも16号』が入線しました。381系旧塗装の6連で、私は先頭6号車の禁煙自由席の、始発駅なので窓側席を余裕でゲットできました。しかし、自由席の乗車率は低かったです。

『やくも16号』は定刻に出雲市駅を発車し、宍道湖や中海を見ながら駅弁の『出雲そば弁当』を食べて山陰本線の車窓を楽しみました。米子を過ぎて伯耆大山から伯備線に入ると、大山が比較的綺麗に見えましたが、写真撮影せず…orz 以後は大山をまともに眺められず、この時に撮っておけば良かったです…。電車が山間部へ入ると、疲れから眠気が襲い、以後は起きつ眠りつを繰り返しながら終点の岡山駅まで乗り通してしまいました…。結構大きな出費だったのですが、勿体なかったです…。



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岡山駅にて2003年撮影。381系特急『やくも』です。

岡山駅では山陽新幹線の『ひかり320号』(700系16連)に乗り継ぎました。ガラガラの自由席で快適に移動し、何とか眠らずに姫路駅にて下車し、最後はJR神戸線の新快速(223系8連)に乗り換えて加古川駅で下車。まだ暑い中を自転車で帰宅しました。帰宅時には疲れが取れていました。

(つづく)


今回の新規踏破路線は有りません

今回新たに踏破した廃線跡

路線名区間備考
JR西日本:大社線大社~出雲市(7.5km)1990年廃止
(参考:Wikipedia)