第220回 土讃線の鈍行に乗り、人生初の高知へ | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

2003年7月26日、夏の『青春18きっぷ』を使用して高知方面へ乗りつぶしの日帰り旅に出かけました。
今回より2回に分けてUP致します。
今回の日程 2003年7月26日(土) 【前半】

加古川824(山陽本線・707K)839姫路840(301M)859相生905(山陽新幹線・こだま609号)925岡山944(宇野→本四備讃→予讃線・3137M快速マリンライナー17号)1025坂出1026(予讃→土讃線・1247M)1056琴平1147(土讃線・245D)1238阿波池田1334(4251D)1556高知

【後半へ続く】
この日も起床は遅く、朝7時前でした…orz もっと早起きできていれば旅の自由度は格段に上がるのですが…。
朝8時頃に自宅を出発。加古川駅からJR神戸線の下り普通電車(221系8連)に乗り、終点の姫路で下車。そして同じホーム向かい側に停車していた上郡行き301M(113系4連)と1分の接続で乗り換えて、途中の相生まで乗車しました。

当初より岡山まで山陽新幹線でワープする予定にしていて、相生駅では改札を出た後に乗車券と特定特急券を購入し、すぐに再入場。新幹線ホームへ上がるとすでに『こだま609号』が入線していました。『こだま609号』は、当時まだまだ大活躍していた0系の6連で、私は2号車の禁煙自由席へ。乗車率は低く、ガラガラでした。岡山までの20分間はあっという間でした。

そして岡山駅では、前週に加古川サティ(現在はイオン加古川店)内にあったジョーシンでムリをして購入したデジタルカメラ(これまでは家族共用のデジカメを使用していましたが、ようやく自分専用のデジカメを手に入れました)を乗りつぶしの旅で初使用して、0系や100系を撮影しました。この旅以降、デジカメ撮影の割合が上昇し、フィルム式のカメラの出番は少しずつ減りました。



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岡山駅にて撮影。『こだま609号』で使用されていた0系新幹線電車です。
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こちらも岡山駅にて撮影。来月(2012年3月)に引退する100系新幹線電車です。

岡山駅では瀬戸大橋線の快速『マリンライナー』に乗り継ぎました。車両は213系3連×2で、その後一年以内に5000系+223系5000番台の編成に置き換えられました。私は自由席車両に乗車しましたが、何とか窓側の転換クロスシート席を確保でき、1年ぶりに瀬戸大橋より見る瀬戸内海の美しい景色を堪能しました。そして四国に入って1駅目の停車駅である坂出で下車し、猛ダッシュで琴平行き1247M(121系2連×2)に乗り換えました。車内はガラガラで、余裕でボックスシートを確保できました。
1247Mは予讃線を西へ走り、本四備讃線との分岐・合流点を眺めながら高架線を走ります。この部分の本線区間は初踏破でした。そして宇多津から多度津までは複線区間で住宅地を走り、多度津からは単線の土讃線に入り金蔵寺、善通寺と停車し、前年に踏破したコトデン琴平線をオーバーパスすると終点の琴平に到着しました。



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琴平駅にて撮影。坂出~琴平で乗車した121系電車です。

琴平では乗り継ぎ列車まで49分の待ち時間があるので一旦改札の外へ。前年に女性係員に例のエリカ様的対応をされた「鉄道資料館」へ再び行ってみましたが、閉鎖されたのか休館日だったのか、入れなかったと記憶しています…。
その後は駅の外へ。琴電琴平駅に寄った後、駅近くのスーパー「マルヨシセンター」(琴平駅近くの店舗はのちに閉店)にて昼食を買おうとしましたが適当なものが見当たらず、飲料とお菓子を買っただけで琴平駅に戻り、再び改札内へ入場しました。

琴平駅からは阿波池田行きの245Dに乗り継ぎました。車両はトイレなしのキハ54形の単行で、正面には「アンパンマン」のキャラクターの絵が貼られていました。車内に入ると客はだれもいませんでしたが、すぐに中年女性が1名、超長いバケットタイプのロングシートに腰掛けました。そして発車直前には7~8人までに増えましたが、約半数は私と同じ鉄道ファンでした。



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琴平駅にて撮影。琴平~阿波池田で乗車したキハ54形気動車です。

245Dは定刻に琴平を発車し、間もなく讃岐山脈越えに挑みます。少しずつ高度を上げて行き、讃岐財田を過ぎると猪ノ鼻トンネルをくぐり、香川県から徳島県に入りました。遅まきながら乗りつぶしを開始してから初の徳島県上陸でした…。その後しばらくすると列車は側線に入り、スイッチバックして秘境駅の坪尻駅に停車しました。数分間停車するということで私をはじめファンの方も数人下車して駅や駅の外を見学・撮影していましたが、私は情けないことに坪尻駅の写真を撮らず…orz デジカメを買っておきながら、メモリーの残量を気にしてしまい、撮影し損ねました…orz

坪尻駅を発車すると今度は勾配を下り続け、箸蔵駅付近では車窓右手の吉野川越しに阿波池田駅付近を一望できました。そして吉野川を渡ると徳島線と合流して佃駅着。その後は吉野川沿いに走り、琴平から51分で終点の阿波池田に到着しました。ほとんどの乗客が全区間を乗り通していました。



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阿波池田駅にて撮影。こじんまりとした駅舎です。
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こちらも阿波池田駅にて撮影。『アンパンマン列車』に遭遇しました。

阿波池田駅でも乗り継ぎ列車まで1時間近くあり、改札外に出ました。そして駅構内の売店でカップラーメンを買って、お湯をもらって食べました。食後は待合室で少し休憩した後に再入場しました。そしてホームに入線していた高知行き4251Dに乗車しました。車両はキハ32形の単行で、キハ54形の廉価版のような感じの車両でした。車内はやはりオールロングシートで、トイレはありませんでした…。当時のJR西日本キハ120形0番台とどっこいどっこいのレベルです…。最終的に乗客は4人にとどまり、琴平からのファンの方も1名のみしか乗っていませんでした。

4251Dは阿波池田を定刻に発車し、吉野川の渓谷である小歩危や大歩危の素晴らしい景色を眺めながら走りますが、ロングシートでは景色を眺めるのが辛かったです…。そして大歩危を過ぎると今度は高知県に入りました。私にとって生まれてはじめての高知県で、土佐岩原駅に着いた瞬間、とても嬉しかったです。列車は引き続き山間部を走りますが、単線で特急が頻繁に走る土讃線にあって、普通列車は対向列車との行き違いや後続の特急を待避するため長時間停車をする駅がいくつかありました。まぁ、これが鈍行の旅の醍醐味で、長時間停車の駅毎に下車したのが楽しかったです。その中でも、もう一つのスイッチバック式の駅である新改駅では先ほどの坪尻駅での反省を踏まえ、写真撮影をしましたが、もう少し撮っておけばよかったです…。



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繁藤駅にて撮影。阿波池田~高知で乗車したキハ32形気動車です。
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新改駅にて撮影。坪尻駅よりマイナーな存在ですが、こちらもれっきとしたスイッチバック駅です。

列車は新改の一つ手前の繁藤から下り勾配に転じ、ひたすら下り続けました。そして山地が終わり平野部に出ると土佐山田に着き、高校生を中心に乗客が増えました。土佐山田からは先ほどから打って変わって平野部の田園地帯を走り、土佐くろしお鉄道のごめん・なはり線との接続駅である後免(ごめん)ではさらに乗客が増え、車内は混雑してきました。車窓風景は徐々に田園から住宅中心へと変わり、最終的に市街地に入りました。そして定刻の15時56分に終点の高知駅に到着しました。



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高知駅にて2005年撮影。当時の高知駅はまだ地上駅でした。

時刻は既に16時になりましたが、まだまだ乗りつぶしの旅を続けます。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
JR四国:予讃線(本線)坂出→宇多津4.6km(※1)
JR四国:土讃線多度津→高知126.6km
(※1)本四備讃線との分岐点→宇多津駅ホームまでは初踏破。尚、予讃線と本四備讃線との分岐点は宇多津駅構内扱いです。

(参考:Wikipedia)