前回の続き…
2002年の年末、12月28日~12月31日までの間、3泊4日の日程で東京を中心に関東地方を乗り鉄しました。
今回は12月28日の後半の模様です。
そして、1997年に地下化された東急目黒線(当時は目蒲線)の地上線跡を辿ってみることにしました。
今回は12月28日の後半の模様です。
今回の日程 2002年12月28日(土) 【後半】 大崎1627(山手線外回り)1630目黒(徒歩・東急目蒲線の旧線跡)目黒1707(都営地下鉄三田線)1728神保町1735(都営新宿線)1739岩本町(徒歩)秋葉原1805(山手線内回り)1807御徒町 【宿泊】全線開業して間もないりんかい線を乗りつぶして大崎駅に到着した後は、山手線(205系11連)に乗り換えて2駅、目黒駅まで移動しました。
そして、1997年に地下化された東急目黒線(当時は目蒲線)の地上線跡を辿ってみることにしました。
目黒駅の地上ホーム跡はビルに変わっていました。そして旧線跡には当時ビルが建っていたかどうか忘れましたが(現在は建っています)、現在線が地下から地上へ出てくる場所の近くは旧線跡が更地で残っていました。近くの道路から旧線跡を観察し、旧線の車窓風景を想像したりしました。
![イメージ 1](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/14/s-limited-express/52/97/j/o0400030014425127202.jpg?caw=800)
2011年、目黒駅~不動前間の地上線跡を撮影。
距離が短かったので旧線跡探訪は10分ほどで終了しました。更に目黒線の傍らにある道を歩くと目黒川と交差し、私は右折して東急東横線の中目黒駅を目指すことにしました。が、冬なのでもう暗くなり、しかも中目黒駅遠そうだったので途中で断念し、目黒駅へ戻りました。
目黒駅からは、2000年に開業した都営地下鉄三田線の完乗を目指すことにしました。まずは地下のホームへ。目黒~白金高輪は営団南北線と都営三田線の共用区間で、南北線方面と三田線方面の電車が交互にやってきます。私は三田線の西高島平行き(6300系6連)に乗車しました。席が埋まるくらいの乗車率で、私はドア脇に立ち、駅の風景などを眺めました。白金高輪までは営団の構造そのままで、それもそのはず、目黒~白金高輪間は営団が第一種鉄道事業者で、東京都交通局が第二種鉄道事業者という形をとっています。
白金高輪からは南国線と分かれ純粋な三田線に入り、三田到着時点で三田線の乗りつぶしを達成しました! その後も三田線の電車に乗り続けて神保町まで移動しました。途中駅は『御成門(おなりもん)』と『内幸町(うちさいわいちょう)』の駅名にインパクトを感じました。
白金高輪からは南国線と分かれ純粋な三田線に入り、三田到着時点で三田線の乗りつぶしを達成しました! その後も三田線の電車に乗り続けて神保町まで移動しました。途中駅は『御成門(おなりもん)』と『内幸町(うちさいわいちょう)』の駅名にインパクトを感じました。
![イメージ 2](https://stat.ameba.jp/user_images/20190604/14/s-limited-express/c7/bd/j/o0400030014425127219.jpg?caw=800)
2011年、巣鴨駅にて撮影。都営三田線の6300形です。
神保町では都営新宿線に乗り換えました。そして東へ2区間、各駅停車が急行電車を待避する駅である岩本町で下車しました。そして地上に出て駅の地図に従って歩くとすぐに秋葉原駅に到着し、JRの改札内へ入ってコインロッカーの荷物を取り、山手線(205系11連)で1駅乗って御徒町駅で下車。東京旅行時はいつもお世話になっている「御徒町ステーションホテル」へチェックインしてから一度外出。近くにある「多慶屋」(ディスカウントショップ)へ買い物に行った後、「松屋」で豚生姜焼定食を食べてからホテルに戻りました。そして翌日に備えて早めに就寝しました。
(つづく)