第182回 奈良・王寺から福井・鯖江へ近鉄と鈍行で移動 | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

前回の続き…

2002年8月22日~8月23日、1泊2日の日程で、特に1日目は予定を組まずに『青春18きっぷ』を使用して乗り鉄の旅に出かけました。

今回は1日目(8月22日)後半、王寺駅からスタートです。
今回の日程 2002年8月22日(木) 【後半】

王寺(徒歩)新王寺1535(近鉄田原本線)1556西田原本(徒歩)田原本1620(近鉄橿原線→京都線・急行)1718京都1730(東海道本線→湖西線・1832M)1837近江今津1842(湖西線・4853M)1901近江塩津1912(北陸本線・161M)1927敦賀2020(245M)2055鯖江

【宿泊】
近鉄生駒線で王寺駅に戻ってきました。この次は田原本線を乗ってみようと思い、歩道を歩いて1分、新王寺駅に着きました。ちなみに王寺駅では生駒線と田原本線のレールが繋がっていません。駅もJRの橋上駅舎の東西にそれぞれあり、西側は生駒線、東側は田原本線の駅がありますが、乗車券は通しで使用できるようです。

以前にも書いたかもしれませんが、田原本線のことを私は長らく『田原・本線』と勘違いをしていて、てっきり複線の路線を想像していたので実際に初訪問した時は自分の頭の中のイメージと現実とのギャップに愕然としてしまった事がありました。今回は2度目の乗車なので大丈夫でしたが、やはり違和感が残ります…。



イメージ 1

新王寺駅にて2009年撮影。

田原本線の新王寺駅は頭端式2面1線の構造と規模が小さく、乗車した電車も8400系の3両編成と短かったです。乗車率は低く、私はロングシートの席に座って景色を眺めました。沿線は住宅地と田園でこれといった見どころはありませんでしたが…。そして新王寺から約20分で終点の西田原本に到着しました。西田原本駅からは徒歩で橿原線の田原本駅へ移動しました。

田原本からは橿原線の京都行き急行に乗車しました。車内は混雑していて、私はいつものようにドア脇で終点・京都までの約1時間、景色を眺めていました。

そして京都からはJRの湖西線電車に乗車しました。近江今津行きの1832Mは113系の4連×2で、この電車も混雑していたので、またもドア脇で景色を眺めました。途中の堅田で戸袋部のロングシートが空いたので着席。体を傾けて琵琶湖などの景色を眺めますが、西側の比良山系の影響か、思ったよりも早く暗くなってきました。そして18時37分、終点の近江今津に到着。さすがに車内はガラガラに近い状態にまでなっていました。

近江今津では5分の接続で近江塩津行きの4853Mに乗り継ぎました。車両は419系の3連で、車内はガラガラだったので広いボックスシートを独占できました。そしてほぼ暗闇の中を19分、終点の近江塩津に到着しました。



イメージ 2

近江塩津駅にて2010年撮影。

近江塩津駅では一旦改札の外に出てみました。無人駅で周りには民家が少しだけしかありませんでした…。もう暗いのですぐにホームへ戻り、携帯でホテルの予約をしました。しばらくすると米原からやって来た敦賀行きの161Mが到着し、乗車しました。こちらも419系の3連で、県境を走るからか、車内はガラガラでした。またもボックスシートを独占し、敦賀までのたった15分の道中を快適に過ごしましたw それにしても、今でこそ京阪神~敦賀は新快速で乗換無しで行けますが、当時は今回のように何度も乗換が必要なケースも多かったわけで…。数年を経て相当便利になりました!

敦賀では約1時間の待ち時間があるため、一度改札を出てコンビニでおにぎりを調達。待合室で食べました。それでも30分以上の待ち時間があり、時刻表で翌日の日程を練りました。その後はホームへ移動。福井行き電車(245M)はすでに入線していました。475系列の3連×2で、私が乗ったのは457系のモハ457でした。こちらも車内はガラガラで、今回もボックスシートを独占することができました。



イメージ 3

敦賀駅にて2008年撮影。

敦賀を発車するとすぐに北陸トンネルに入りますが、夜間走行の為に、音の違いでしか分かりませんでした。夜間で景色は望めないので車内でも時刻表で計画を立てていると、あっという間に武生に到着。福井鉄道の武生新駅を見ながら走り、私は次の鯖江で下車しました。

そして駅近くの「ホテルα-1鯖江」へチェックイン。結構疲れたので入浴後すぐに眠りについてしまいました…。

(つづく)


今回の新規踏破路線は無しです

(参考:Wikipedia)