第172回 2002年夏も関東の乗りつぶしへ | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

2002年8月14日~8月18日の間、『青春18きっぷ』を使用してこの年の3月以来となる関東地方の鉄道路線の乗りつぶしを敢行しました。
今回から数回にわたり記事にいたします。

今回は第1回・2002年8月14日の模様です。と言っても東京までの乗車記のみなのですが…。
今回の日程 2002年8月14日(水)

加古川1115(山陽→東海道本線・3316M新快速)1318米原1328(東海道本線・218F)1358大垣1448(2236F新快速)1638浜松1720(2788M)1930沼津1933(364M)2153東京2200(山手線内回り)2202神田(徒歩)御茶ノ水2239(中央・総武緩行線)2241秋葉原2242(山手線内回り)2243御徒町

【宿泊】
この日もいつもながら起床が遅く、スタートが遅れてしまいました…orz 今現在は朝4時台に毎日(平日のみ)ブログを更新しているなんて、当時からは想像もつきませんでした…。
そして「お盆やから東京のホテルは空いてるはずや!当日の夕方に予約すればいい」と、こちらもいつもながらの無計画さで午前11時前に自宅を出発しました。

まずは加古川駅1112分発の新快速長浜行き(223系8連)に乗車します…が、いきなり3分遅れで到着。先が思いやられます…。
通路側の席が空いていたので着席。三ノ宮駅で窓側の席の人が下車したのでそこへ移動し、米原まで車窓を眺めていました。途中、近江八幡を過ぎると車内はガラガラになりましたが大阪駅で私の隣に座った男性客が動こうとしません…。私は「あっちの空いている席へ移動してくれ」と思いましたが全然動かず…。結局、彦根発車時点で私はトイレに行くために席を立ち上がり、窮屈さから逃げ出しました。

米原から大垣の間は『18きっぷ』期間中は混雑する所で有名です。乗車した大垣行き電車は313系2連で、私はハナから席取り合戦を諦めて、確実に車窓風景を眺められるドア脇の位置を確保しました。車内は予想通りの大混雑でした。私は外を眺めながら大垣までの30分間を過ごしました。そして、定刻に大垣駅の切り欠きホーム(3番線。現在は美濃赤坂行き列車が使用)に到着しました。



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大垣駅3番線にて2011年撮影。当時、大垣~米原でよく運用に就いていた313系の2連バージョン・300番台です。

大垣では一旦改札を出て、これまで何度か訪れた大垣駅ビル内の「スガキヤ」にて昼食を食べました。「スガキヤ」のラーメンを食べると東海地方へ来たなぁ~と感じます。



イメージ 2

2009年撮影。私がよく利用していた大垣駅ビル・アピオの「スガキヤ」です(現在は閉店)。

昼食後は大垣始発の新快速に乗って一気に浜松へ。313系の4連と編成は短かったですが、大垣発車時点では空席も多く私は窓側席に座って、名古屋からの混雑をよそに私は外の景色を眺めながら浜松までのひとときを過ごしました。

浜松駅では改札の外に出て少し休憩。すでに疲れていたので浜松で泊まろうと思い、いつものように公衆電話のタウンページでホテルを探しますが全然安そうなホテルが見つかりません…。今度は静岡で探そうと思い、結局浜松でのホテル探しは諦めました。

浜松駅からは沼津行きの2788Mに乗車しました。車両は身延線や御殿場線への313系投入で捻出されたと思われる115系の3連×2で、私は上手い具合にボックスシートの窓側前向き席に座れました。今はほとんどの列車がロングシート車で運用されている静岡地区ですが、当時は211系5000番台シリーズにさえ当たらなければボックスシートの車両(主に113系)で移動できました。車内は夕方だからか混雑していました。
2788Mは淡々と東へ、沼津を目指して進みます。車窓も少しずつ暗くなってきました。そして静岡に着く前、私は静岡で泊まろうかどうか悩んだあげく、席を立つのがしんどくなり、結局東京で宿泊することに決めました。
静岡では約半数の乗客が入れ替わりましたが、『18きっぷ』で移動していると思われる乗客は全然動きがありませんでした。静岡発車後は日が暮れてそとは暗くなり、富士山を確認できないまま2788Mは終点の沼津に到着しました。

沼津では東京行きの364Mに乗り継ぎました。113系の11連でグリーン車(自由席)を連結していましたが、当時は『18きっぷ』では自由席のグリーン車には乗車できませんでした。車内はガラガラで、ボックスシートを独占して東京まで移動できました。もうすでに真っ暗で、車窓は望めませんでしたが、私は窓に顔を寄せ、夜景に見入っていました。また、途中の平塚では前方に4連が増結されて15連になり、定刻の21時53分に終点の東京駅に到着しました。



イメージ 3

三島駅にて2005年撮影。当時、東海道線東京口の主力車両であった113系です。

この頃には腹が減って、夕食を…と思っていたのですが、時間的に東京駅ではほとんどの店舗が閉店していました。仕方ないので私は山手線内回り電車(205系11連)に乗ってひと駅、神田駅まで移動し、下車後に吉野家か松屋を探して歩きました。数分歩くと松屋を発見!この時はカレーを食べました。松屋を出た後は道なりに進むと、なぜか神田駅ではなく御茶ノ水駅に到着しました。半分寝ている状態で、店を出たときに反対方向を進んでしまったようです。まぁ、『18きっぷ』を使っている身としてはどちらの駅に着いても余計な出費はせずに済んだのが不幸中の幸いでした。そして御茶ノ水駅で、いつも宿泊している御徒町ステーションホテルに携帯で予約の電話を入れ、狙い通り(?)空室があったので即予約成立。
御茶ノ水駅からは中央・総武緩行線の電車(209系500番台10連)に乗って秋葉原。山手線内回り電車(205系11連)に乗り継いで御徒町駅で下車してホテルへチェックイン。就寝したのは24時過ぎでした。

(つづく)


今回の新規踏破路線は無しです