第131回 名松線と近鉄伊賀線を乗りつぶし | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

前回のつづき…

2002年1月10日~1月15日の間、長期間に亘り乗り鉄をしました。
1月12日~1月14日の世間の三連休の期間は、JR東日本管内の新幹線・特急の指定席が乗り放題の『三連休パス』を使用して東北地方などの廃止危惧路線を中心に乗り鉄しました。

今回は最終日の1月15日、三重県のJR名松線(めいしょうせん。2011年2月現在、家城~伊勢奥津が不通・バス代替輸送)と近鉄伊賀線(現在の伊賀鉄道伊賀線)を乗りつぶして兵庫県加古川市の自宅へ帰りました。
今回の日程 2002年1月15日(火) 

【車内泊】(JRバス東海・夜行高速バス『ドリームなごや号・3号』)616名古屋駅⇒名古屋640(関西本線・1307G)753亀山821(紀勢本線・921D)904松阪929(名松線・407C)1042伊勢奥津⇒奥津駅前1110(三重交通バス)1218名張駅前⇒名張1227(近鉄大阪線・急行)1236伊賀神戸1239(近鉄伊賀線)1323伊賀上野1327(関西本線・245D)1359加茂1407(関西本線→大阪環状線・3405K大和路快速)1506大阪1517(東海道本線・普通)1521新大阪1527(東海道本線→山陽本線・3345M新快速)1621加古川

【帰宅】
前日の23時40分に東京駅八重洲口を発車した夜行高速バス『ドリームなごや3号』は、東名高速道路を順調に走り、休憩場所の足柄サービスエリアで私は目を覚まし、車内備え付けのカップのお茶を飲んだ後に再び眠りました。その後も順調に走ったようで、私が本格的に目を覚ましたのは名古屋IC付近でした。名古屋ICを降りた後は地下鉄東山線に沿って東山通~広小路通をスムーズに走り(当時は名古屋高速2号東山線に未開通区間あり)、名古屋駅には定刻より4分早い6時16分に到着しました。
そして、JR名古屋駅に入り、構内のミニコンビニ『KIOSK ベルマート』でパンを購入した後に『青春18きっぷ』を使って改札内に入場しました。

この日最初の乗車列車は、関西本線の1307G普通・亀山行きでした。車両は213系を期待したのですが、313系3000番台の2連でした。車内は閑散としていて、ボックスシートの窓側に座って先程買ったパンを食べながら早朝の車窓風景を眺めていました。四日市を過ぎると通学生が増え始め、少々立客が出た状態で終点の亀山に到着しました。


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          2009年撮影。

亀山からは紀勢本線の921D伊勢市行きに乗り換えます。伊勢鉄道経由で行っても良かったのですが、亀山経由でも津から先は同じ列車に乗ることになるので、今回は経済的なルートを選択しました。921Dはキハ40系の3連で、今度もボックスシートの窓側をゲットできました。通学時間が終わったからか、乗車率は低かったように記憶しています。一年前には1本遅い列車に乗ったことがありましたが、その時はなぜか一身田で下車する学生が多数乗っていました。
921Dは定刻に亀山を発車した後は順調に紀勢本線を南下し、松阪には9時04分に到着しました。私はここで下車して名松線に乗換です。その前に一旦改札外に出て駅前を眺めた後、改札内に戻りました。

今度は名松線に乗ります。407C普通の伊勢奥津行きは、キハ11形の単行(1両)でした。この車両はセミクロスシートですが、トイレはありません。車内はガラガラで、5~6人しかいませんでした。
松阪発車後は津方面へ戻る感じで進み、紀勢本線と分かれた後は伊勢平野を西へ、山地へ向かって走ります。途中の家城駅では通票が入ったキャリアの交換風景が見られました。また、昔からの腕木式信号機も見られましたが、やはりというか…どちらも撮影してませんでしたorz
家城からは雲出川に沿って山間部に入り、乗客が3名のみになったのもあり前方のロングシートを移動しながら右側・左側それぞれの車窓風景を楽しみました。沿線はさほど山深くはない印象でしたが、確かに隘路といえる区間もちらほら見られ、台風の時は乗るのが怖い感じもしました。ただ、それだけに車窓風景は自然豊かで素晴らしいです。そして松阪から1時間13分で終点の伊勢奥津駅に到着しました。計画通り名張まで線路が続いていたら…と妄想しながら下車しました。


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          伊勢奥津駅にて。

伊勢奥津駅や駅前を散策した後は、盲腸線である名松線乗りつぶしの『抜け道』として使える名張駅前行きの三重交通バスに乗りました。

乗客は私一人で、山中の集落にこまめに設置されているバス停を次々と通過して行きます。一旦、奈良県に入りすぐに三重県に戻った太郎生辺りで高齢の女性が1名乗車しました。しばらくは乗客2名でしたが、名張市に入って市街地に近付いてくると乗客が少しづつ乗車し、最終的には10人程にまで増えて終点の名張駅前停留所に着きました。


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          2009年撮影。

名張駅では近鉄大阪線に乗車します。この辺りは各駅に停車する急行電車に乗って伊賀神戸まで移動しました。車両は2610系の4連で、4ドアロングシートの車内は閑散としていました。

伊賀神戸からは標準軌の大阪線と違って狭軌の近鉄伊賀線(2007年に伊賀鉄道へ移管)を乗りつぶします。車両は2扉ロングシートの860系2連で、車内はガラガラでした。
伊賀神戸を発車し、しばらくの間はローカル風景が続きます。国道25号線・名阪国道と交差した後の桑町辺りから市街地に入り、車庫のある上野市駅付近では伊賀上野城がちらっと見えました。西大手を過ぎると坂を下り田園風景に変わりました。そして淀川水系の服部川を渡り、最後は関西本線に寄り添って、終始車内はガラガラのまま、終点の伊賀上野駅に到着しました。両端の他路線接続駅付近は閑散としていて、途中の上野市駅付近が賑やかというのが伊賀線の特徴でしょうか?そんな印象を抱きました。


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          2009年撮影。


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          伊賀上野駅にて。

伊賀上野からは関西本線の245Dで加茂へ。キハ120形の2連でしたがロングシート車でした。乗車率が高かったので私は最後部に立って後方の風景を眺めていました。
そして加茂で3405K大和路快速(221系6連)に乗り継ぎました。この車両を見ると地元に帰ってきた気がしました。大和路快速で大阪駅まで移動し下車した後、環状線ホームの立ち食いうどん屋で遅めの昼食を済ませ、その後はJR京都線の普通電車で新大阪駅まで移動しました。車両は珍しく205系7連に遭遇しました。新大阪下車後はホームを移動して姫路行き新快速に乗り換えて、次の大阪駅停車時に空いた座席に着席しました。この着席作戦は『青春18きっぷ』使用時にいつも使っている手段です。新快速は座れなかったらツラいですから…。

新快速では半分眠った状態で過ごし、何とか無事に加古川駅で下車し、トータル6日間に及ぶ長旅を終えました。

(つづく)


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
JR東海:(※1)名松線松阪→伊勢奥津43.5km踏破達成!
近畿日本鉄道:伊賀線伊賀神戸→伊賀上野16.6km踏破達成! 2007年、伊賀鉄道へ移管。
(※1)2011年2月現在、家城~伊勢奥津はバス代行運転。

(参考:Wikipedia)