第81回 伊勢鉄道、名鉄三河線(海線)、蒲郡線などを乗りつぶし | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回のつづき…

2001年1月16日、バッグを紀勢本線の列車内に忘れた私は、多気駅で無事回収して津駅に戻りましたが、以後の予定に影響してしまいました。
今回の日程 2001年1月16日(火) 【後半】

津1149(伊勢鉄道伊勢線→関西本線・118C)1230四日市1245(関西本線・2930D快速『みえ10号』)1319名古屋1335(東海道本線・2330F快速)1414蒲郡1436(名鉄蒲郡線)1502吉良吉田1505(名鉄三河線)1531碧南1540(名鉄三河線)1606刈谷1618(東海道本線・2229F新快速)1754米原1756(東海道→山陽本線・3645M新快速)2005加古川 【帰宅】
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2009年9月撮影。画像の車両は「イセⅢ形」気動車です。
津駅にて昼食後、気を取り直して伊勢鉄道を乗りつぶします。今回は特急『南紀』や快速『みえ』ではなく、津と四日市で専用ホームに発着する普通列車を利用します。車両はレールバスの「イセⅠ形」気動車、単行で、車内はセミクロスシートでした。乗客が少なかったので1ボックスを占領します。

津を4分遅れで発車すると近鉄名古屋線をアンダーパスし、しばらく並走した紀勢本線から右へ分かれ、高架線をスイスイ進みます。伊勢鉄道線は津~四日市の短絡線らしく、ほぼ全線が立体交差で線形が良いです。途中の中瀬古からは複線になりますが、ローカル然とした車窓風景は変わりません。F1日本グランプリの時は賑わう鈴鹿サーキット稲生、伊勢鉄道本社と車両基地のある玉垣、近鉄鈴鹿線と交差する手前にある鈴鹿を過ぎ、鈴鹿川を渡ると左手から関西本線の線路が近づき河原田に着きました。河原田駅は、伊勢鉄道方面は築堤上に、関西本線は地平にホームがあります。ここからJR東海の関西本線になり、亀山方面の線路を跨いでから合流します。列車は工業地帯の中を走り、途中南四日市に停車して3分遅れの12時30分に終点の四日市に到着しました。降車時に津~河原田までのきっぷと『青春18きっぷ』を提示して、伊勢鉄道線のきっぷは回収されました。

四日市からは快速『みえ』で名古屋へ急ぎます。やって来たのはキハ75系の2連で、混雑を予想していましたが、実際は多少の空席がありました。既に踏破済の区間で、しかも疲れていたので転換クロスシートの通路側席に座りました。列車は3分遅れで発車しました。
移動中、隣席に座っていた北海道在住と思われる男性が10分間ぐらい携帯電話で話をし続けていました。周りの人達は迷惑そうでしたが、私は別に気になりませんでした(今でも気になりません…よくヘンに思われますが)。むしろ、窓のカーテンを開けっぱなしにしてくれていた事に感謝!といった感じでした。おかげで車窓風景を何とか楽しめました。
桑名からは乗客が一気に増え、2連の『みえ』は満員になりました。やはり桑名~名古屋間は近鉄よりJRの方が普通運賃が安いからなのでしょうか? 単線区間が多くスピードは上がりませんが、なぜか?よくぞ?遅れを回復して定刻の13時19分に終点の名古屋に到着しました。

名古屋では途中下車をせずに、東海道本線に乗り換え、蒲郡を目指します。2330F快速は313系4連で、つい2年前までは311系が主力だったのになぁ~と振り返りつつ、名古屋地区の車両の変化を実感しました。2330Fは定刻どおりの運転で、予定通り蒲郡で下車しました。


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2009年1月撮影。
蒲郡からは名鉄蒲郡線~三河線のルートで刈谷まで戻ります。名鉄の窓口で刈谷までのきっぷを請求したところ、係員から『名鉄で行かれるのですか?』と聞かれました。普通はJRで移動するでしょうから間違い防止の為に聞いているのだと思います。

JRはまだ地上駅でしたが、こちらは以前から高架ホームで、ワンマン仕様の6000系2連がちょこんと停まっていました。14時36分発の西尾行き電車は乗客が少なく、ロングシートの車内で座りながらでも車窓風景が堪能できました。名鉄蒲郡線は時折海が見える区間を走りますが、山間部もあり変化に富んだ車窓風景でした。


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吉良吉田で下車し、三河線の碧南行きのレールバスに乗り継ぎます。車両はキハ24の単行で、オールロングシートの車内は乗客が3名だけでした。
当時、三河線海線区間の吉良吉田~碧南は廃止が噂されていて、自治体からの補助金により存続しているといった状況でした(結局、2004年に廃止されました)。
吉良吉田を発車すると、海辺の平野部を進み、時折川を渡るためにアップダウンを繰り返します。途中、鰻で有名な一色町や、結果として数年間しか使用されなかった西尾市の高架橋を通過し、矢作川を渡ると碧南市に入ります。三河旭駅からは碧南市街をS字状にカーブします。昔は三河旭駅で碧南方面の列車に乗り遅れても、自転車で碧南中央駅まで飛ばせば、列車に追いついたそうです。結局、乗客は10人ほどに増えて終点の碧南駅に到着しました。

碧南駅からは名実共に名鉄電車に乗り継ぎます。車両は6000系(中期車)4連で、ワンマン車とは窓配置が違うものの、オールロングシートでした。乗客は1両当たり10人ほどで、先程のレールバスと比べて圧倒的に多かったです。電車は延々と住宅地の中を進み、刈谷市駅付近で一旦高架線になった後再び地上に下りてJR線が見えてくると刈谷駅に到着です。本当は知立まで乗りたかったのですが、前回のバッグの忘れ物によるタイムロスが大きく、今回は断念しました。

刈谷からはJRで帰宅します。『18きっぷ』で入場して時刻表を確かめると、タイミングよく米原行きに当たりました。米原行き2229F新快速も313系4連で、私と同じ『18きっぷ』利用者が多いのか、車内は立客も多かったです。そして、乗客が多く入れ替わる名古屋で窓側席に着席できましたが、車内は満員になり、名古屋特有の扉付近での混雑も凄かったですが、通路も立客でいっぱいでした。

名古屋発車後は夕日が差し込む中を快走します。多くの乗客がカーテンを下までおろしますが、私は車窓風景を楽しむため最小限下ろすにとどめました。しかし、尾張一宮を発車した直後から雲行きが怪しくなり、岐阜到着時には雪が降り始めました。私はカーテンを完全に上げて雪を見ていましたが、前列の客はカーテンを下ろしたままだったため、それを見かねた通路の立客の中年女性が、強引にカーテンを上げて外を見えるようにしました。眩しい時にカーテンを下ろすのは仕方ないかもしれませんが、それ以外の時は立客のことも考えてカーテンを上げて元に戻すのが最低限のマナーであると私は思います。以後、何度もカーテンについて語っていくことになると思いますが……。

2229F新快速は雪が降る岐阜県内をゆっくりと進みます。あまり降雪のない地域に住む私にとっては楽しかったです。関ヶ原付近は逆に心配しましたが、吹雪くまでには至らず、結局6分遅れで米原に到着しましたが、播州赤穂行き3645M新快速(223系8連)も接続をとってくれたので無事に乗り継ぐことができました。乗客は多かったです。
雪も滋賀県内で止み、加古川には定刻よりも1分遅れの20時05分に到着し、家路につきました。 (つづく)


あとがき

今回の九州~名古屋旅行は1月に実行したこともあり、天候(雪)に左右されてしまいました。

しかも忘れ物をしたせいで、今回もチグハグな乗り鉄旅行になってしまいました。

次回こそは……と、いつも思うのですが、いまだ完璧な旅行はできていませんorz


今回の新規踏破路線

路線名区間距離備考
伊勢鉄道:伊勢線津→河原田22.3km踏破達成!
名古屋鉄道:蒲郡線蒲郡→吉良吉田16.6km踏破達成!
名古屋鉄道:三河線吉良吉田→碧南16.4km2004年廃止
名古屋鉄道:三河線碧南→刈谷14.6km
(参考:Wikipedia)