第46回 2000年も3・3・SUNフリーで乗りつぶし(4) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

前回のつづき…

2000年8月8日、フリーきっぷの旅2日目の午前中は名鉄揖斐線、谷汲線などを乗りつぶしました。午後からは名鉄三河線(山線)を乗りつぶしに行きました。
2000年8月8日(火) 【後半の前半】
岐阜(徒歩)新岐阜1411(名鉄名古屋本線・特急)1455知立1505(名鉄三河線)1528豊田市1546(名鉄三河線)1556猿投1601(名鉄三河線)1616西中金1625(名鉄三河線)1640猿投1646(名鉄三河線)1654梅坪1657(名鉄豊田線)1713赤池  【次回へ続く】

JR岐阜駅のレストランで昼食をとった後、名鉄三河線の今は無き猿投駅~西中金駅を乗りつぶすべく、まずは新岐阜駅から名鉄特急(一般車利用)で一気に知立まで移動します。今思えば展望席に乗れば良かったなぁ…と後悔しています。

知立で三河線(山線)の猿投行きに乗り換えます。今回乗車したのは6800系(鉄仮面タイプ)セミクロス車の2連です。狭いクロスシートに腰掛けます。乗客は多かったです。車窓はこれといったインパクトが無く、トヨタ自動車の工場も線路沿いにはありませんでした。しかしながら沿線の名勝には「かきつばた」で有名な無量寿寺が三河八橋駅のすぐ近くにあります。また、八橋の地名は古典「伊勢物語」に登場しました。

乗車した電車は西中金駅に接続していないので、豊田市駅で一旦下車します。ホームからは先月(2000年7月)に経営破綻した百貨店「そごう」の店舗「豊田そごう」が見えました。現在は「松坂屋」になっています。

豊田市からは1本後の電車に乗って猿投へ向かいます。車両は私の好きな5700系4連でした。乗車できて嬉しかった反面、私が子供時代愛知県に住んでいた頃、5700系や5300系はパノラマカーと一緒に本線の急行・高速で活躍していた印象が強かっただけに、もはや支線の普通列車用に成り下がってしまったのかと少々複雑な気持ちになりました。

梅坪で後ほど乗りつぶす予定の豊田線と分かれ、高架線から見る車窓からは、少しずつ山並みが近づいて来ています。豊田市から10分で猿投に到着し、西中金行きに乗り換えます。

西中金行きは、前年に八百津線でも乗車したキハ30形の単行でした。閑散線区用の気動車で片側3扉というのは大変珍しく、私はこのキハ30形しか知りません。乗客はやはり少なかったです。
猿投発車後しばらくは住宅街を進みますが、三河御船を過ぎると森の中に入り、枝下付近は矢作川沿いを走行します。その後矢作川を渡り三河広瀬を過ぎるといよいよ山深くなり、トンネルを2つくぐります。そして山間に開けた谷間に出て間もなく終点の西中金に到着しました。


イメージ 1
西中金駅は1面1線の無人駅でした。こじんまりとした古い駅舎がありました。また、西中金から先、足助方面への路線延長の計画がかつて存在し、実際に車止めの先は建物が何も無く、いつでも線路が敷ける感じでした。

西中金からは来た列車で引き返し、猿投で知立行きに乗り継いで梅坪で下車して豊田線電車に乗り換えます。


イメージ 2
2008年5月、上小田井駅にて撮影。

期待通り100系がやって来ました。これから豊田線を乗りつぶします。
豊田線は起伏が大きく、高架線や掘割、トンネルで直線的に進みます。さすが「新線」といった感じでした。車窓で印象に残ったのは東名高速道路と愛知池を高架線でパスする区間で、眺めが良かったです。

名古屋市営地下鉄鶴舞線の日進工場を高架線から俯瞰した後、地下に入り、地下鉄との境界駅の赤池に到着し、下車します。地下鉄ではフリーきっぷが使えないので、一旦改札を出ますが、係員の制服を見ると名鉄ではなくて、名古屋市交でしたので少々不安でしたが特に問題も無く改札を通してくれました。自動券売機で上小田井までの切符を購入し、今度は切符を自動改札機に通します。やはり自動改札機の方が楽でいいです。フリーきっぷも自動改札機対応にしてくれないかと思いました。 (つづく)


今回の踏破路線

路線名区間距離備考
名古屋鉄道 三河線知立→猿投21.3km
名古屋鉄道 三河線猿投~西中金8.6km2004年廃止
名古屋鉄道 豊田線梅坪~赤池15.2km踏破達成!
(参考:Wikipedia)