1999年3月6日(土)、私の鉄道踏破の道のりで初めて近畿地方を脱出して、1999年3月いっぱいで廃止される名鉄美濃町線の末端区間踏破の旅を敢行しました。
今回の日程 1999年3月6日 (土)
吹田509(東海道本線)544京都613(東海道本線)722米原743(新快速)846名古屋(徒歩)新名古屋900(名鉄名古屋本線・急行)920ごろ中京競馬場前(競馬観戦)中京競馬場前1457(名鉄名古屋本線)1503鳴海1512(急行)1601新岐阜1605(各務原→田神→美濃町線)1658新関1715(美濃町線)1730美濃(徒歩)美濃市1752(長良川鉄道越美南線)1820美濃太田1842(高山本線)1918岐阜1945(東海道本線・快速)2033米原2036(新快速)2159大阪(徒歩)梅田2210頃(阪急京都本線→千里線)2235ごろ千里山
まず最初に中京競馬を1レースから観戦するために、未明の4時20分頃、阪急はまだ初電がないので千里山から徒歩でJR吹田駅に向かい、改札で「青春18きっぷ」に1回目のスタンプが入りました。
吹田から201系の普通電車で京都へ、京都からは当駅始発の223系8両編成1と221系4両編成を併結した普通列車で米原まで乗車し、米原から先ははJR東海に変わり、新快速列車に乗車します。車両は当時まだ快速系統の主力であった311系を2本併結した8両編成です。18きっぷのシーズンはいつも込み合う区間ですが、まだ時間が早いせいか乗客はまばらでした。関ヶ原付近は積雪が全くなく伊吹山の上半分だけが雪化粧していました。岐阜県内に入ると乗客がだんだん増え始め、岐阜で相当な混雑になり、名古屋に着きました。
名古屋で名鉄に乗り換えるため、新名古屋駅(当時)のある地下へ降ります。新名古屋駅はターミナル駅としては手狭な駅ですが、何せ凄い駅です。また別項で扱いたいと思います。名古屋本線・豊橋方面の3500系使用の急行電車に乗り、臨時停車の中京競馬場前駅で降り、14時半頃まで中京競馬を観戦しました。
吹田から201系の普通電車で京都へ、京都からは当駅始発の223系8両編成1と221系4両編成を併結した普通列車で米原まで乗車し、米原から先ははJR東海に変わり、新快速列車に乗車します。車両は当時まだ快速系統の主力であった311系を2本併結した8両編成です。18きっぷのシーズンはいつも込み合う区間ですが、まだ時間が早いせいか乗客はまばらでした。関ヶ原付近は積雪が全くなく伊吹山の上半分だけが雪化粧していました。岐阜県内に入ると乗客がだんだん増え始め、岐阜で相当な混雑になり、名古屋に着きました。
名古屋で名鉄に乗り換えるため、新名古屋駅(当時)のある地下へ降ります。新名古屋駅はターミナル駅としては手狭な駅ですが、何せ凄い駅です。また別項で扱いたいと思います。名古屋本線・豊橋方面の3500系使用の急行電車に乗り、臨時停車の中京競馬場前駅で降り、14時半頃まで中京競馬を観戦しました。
競馬観戦の後は今回の目的の美濃町線へ向かいます。中京競馬場前駅から普通電車に乗り、鳴海で新岐阜(当時)行きの急行電車に乗り換えます。車両は7000系パノラマカー6両編成(通称P6)でした。このとき私は展望席ではなく中間車の両開きドアの7100番台の車両に乗車しました。当時はまだパノラマカーが多数運用されていて、私も踏破開始以前に先頭席に乗ったことがあったのでこの時は特に展望席にこだわりませんでした。新岐阜では、各務原線ホームの片隅にある美濃町線電車専用ホームから新関行きに乗車します。車両はモ600形で、車内は1列当たり1+2の転換クロスシートでした。田神線を経由して競輪場前から美濃町線に入ります。後ろに、野一色ゆき又は日野橋ゆき(?)の電車が続行運転の形で一緒に走りました。電車は北一色の先で専用軌道になりますが、新関まで道路脇を走る区間の割合が多い印象を受けました。新岐阜から約20kmを53分もかけて新関駅に到着です。
さて、いよいよ新関からは今回廃止される終点・美濃までの区間の乗車です。車両はモ590形593号の単行です。車内は私と同じような鉄道ファンの姿が目立ちました。新関を出るとすぐに併用軌道区間に入りますが、すぐに道路中央から道路脇に移り、下有知駅を過ぎてもしばらくこの状態が続きます。神光寺駅手前で道路と別れ、田園地帯の中を走り、今度は東側に山が迫りかけて松森駅を過ぎると山麓を走ります。「路面電車」ではありえないようなシチュエーションです。再び町並みが現れ、左にカーブすると終点・美濃駅に到着しました。
美濃駅は頭端式2面2線でした。奥にモ590形が1両留置されています。
駅名標はCI使用の新しいものでした。名鉄のCIマーク使用開始は1992年なので、短命に終わってしまいました。
美濃駅の駅舎です。大正時代に建てられたものらしいです。こちらの駅名標は旧仕様のものでした。
なお、現在はこの駅舎とホーム、美濃町線で活躍した車両たちが保存されています。
だいぶ日も暮れてきました。帰りは少しでも踏破区間を拡大しようと思い、美濃町線で戻らずに、写真の美濃市駅から美濃太田まで長良川鉄道で移動し、そこから高山本線で岐阜駅まで戻りました。すっかり暗くなってしまい、日本ラインなどの景色が見えません。また乗りなおしです(爆)。これなら美濃町線をもう1回乗っとけば良かったorz 岐阜のうどん屋で夕食を摂り、東海道線で乗車した快速列車は、こちらでは珍しい113系2000番台の6両編成でした。米原からは朝と同じく223系8両編成1と221系4両編成を併結した新快速で大阪まで、阪急に乗り換えて千里山の自宅に23時前に到着しました。
今となっては、無理してでも美濃町線の末端区間を踏破できて良かった!と思います。廃止後はいくら乗りたいと思っても当然、無理なわけですから。 (つづく)
路線名 | 区間 | 距離 | 備考 |
JR西日本:東海道本線 | 千里丘~米原 | 98.8km | 踏破達成! |
JR東海:東海道本線 | 米原→名古屋 | 79.9km | |
名古屋鉄道:名古屋本線 | 新名古屋~中京競馬場前 | 16.6km | |
名古屋鉄道:名古屋本線 | 新名古屋→新岐阜 | 31.8km | |
名古屋鉄道:各務原線 | 新岐阜→田神 | 1.1km | |
名古屋鉄道:田神線 | 田神→競輪場前 | 1.4km | 現在は廃線 |
名古屋鉄道:美濃町線 | 競輪場前→美濃 | 22.9km | 現在は廃線 |
長良川鉄道:越美南線 | 美濃市→美濃太田 | 17.7km | |
JR東海:高山本線 | 美濃太田→岐阜 | 27.3km |
(参考:Wikipedia)
今回の踏破路線は……
JR西日本、JR東海:東海道本線(千里丘→名古屋)、JR東海:高山本線(美濃太田~岐阜)。
名古屋鉄道:名古屋本線(中京競馬場前~新岐阜)、各務原線(新岐阜→田神)、
◎×田神線(田神~競輪場前)、×美濃町線(競輪場前~※新関~美濃)。
長良川鉄道越美南線(美濃市→美濃太田)。
JR西日本、JR東海:東海道本線(千里丘→名古屋)、JR東海:高山本線(美濃太田~岐阜)。
名古屋鉄道:名古屋本線(中京競馬場前~新岐阜)、各務原線(新岐阜→田神)、
◎×田神線(田神~競輪場前)、×美濃町線(競輪場前~※新関~美濃)。
長良川鉄道越美南線(美濃市→美濃太田)。
◎…踏破達成の路線。×…現在は廃止された路線。
※…新関~美濃間は1999年4月1日に先行して廃止。
※…新関~美濃間は1999年4月1日に先行して廃止。