今朝、8時ごろ、インターフォンが鳴った。
荷物が届いたらしいが、注文した覚えがなかった。多分、次女がまた何か注文したのだと思っていたら、私宛だった。
送り主は、母だった。
母は何か送るときは、だいたい前もって連絡をくれるのに、なにも言ってもらってないので当惑しながら、その小さな荷物を開けた。
その包み紙の上にある文字が目に飛び込んできた瞬間、驚き、心が激しく動いた。
手紙もメッセージも何もない。
でも「御祝」の二文字で、すべてがわかった。
3月25日月曜日、慶応の卒業式だった。
90歳を超える母が、まさか還暦を過ぎた娘の大学の卒業式を覚えてくれていたとは思わなかった。しかも私の好きな地元の銘菓だ。
無意識に、台所に行き、しゃがんでオイオイ泣いた。
なぜ台所かわからないけど、嬉しい時、悲しい時、泣くときは家族に見られたくなくて台所で洗い物をしたりして胡麻化してきたので、習慣なのかもしれない。
どんなに年をとっても、母親にとっては、娘はずっと娘で何か良いことがあれば共によろこび、心配事があれば励ましてくれる。逆もそうで、女性は共感力が高いので、母と娘の関係は、とても濃密になるのだと思う。
昨日、生憎の小雨だったが、日吉で開催された慶応の卒業式に出席した。卒業は既に去年の9月にしていたが、卒業式は合同で3月だった。
雨だったので、道行コートを着た。
卒業式は14時からだったが、通信学生の学位授与式は、午前9時30分からだった。
そのために、朝は5時起きで、美容院に行き、すぐ近くの呉服屋さんで袴を着付けてもらった。日吉には8時30分ごろについた。通学課程の生徒は午後から押し寄せるので、この写真を撮った頃は空いていた。
長女と次女がこの日のために、わざわざ有給を取ってくれた。ただ、長女はちょっと事情があって式には来れなかった。
長女は、8年くらい前に通学過程で慶応の文学部を卒業していた。なので、同じ慶応の学位記をもって写真館で記念撮影を取ることになっていたが、それが難しい事情がわかったので、無理をしてほしくなかった。
長女の学位記は預かっていたので、次女にもってもらって撮ればいいと言ったが、
長女は、写真館には大丈夫、行くからと言ってくれた。
次女は、日吉まで荷物を持ってくれ、写真を撮ってくれた。そして、後はひたすら、待つということをしてくれた。学位記授与式は入場できず、卒業式も別会場だった。
学位授与式の後は、お世話になった慶友会では13名の卒業生がいるので集まって写真などを撮った。お昼は、次女の待つスタバでサンドイッチとキッシュを食べた。
雨だったので、次女はキャンパスを散策することもなく、次はキャンパス内のタリーズに移って卒業式をYouTubeで見ながら私が戻ってくるのを2時間以上待ち続けた。
卒業式が終わって自宅最寄り駅の清澄白河に着いたら、次女は「私は青学だからいいよね」と言って、そのまま家に帰った。しばらくすると、タクシーで長女が写真館に来てくれた。
手には、
御祝のバラの花束を持っていた。
写真館で何十枚もいろんなポーズで撮った。後日ミニアルバムにしてくれて、その中でお気に入りの1枚を拡大して色紙にする予定だ。また機会があればその写真を載せたい。
母から届いた御祝の文字と娘たちが「ママ、卒業おめでとう!」と言ってくれたこと、ずっと付き添ってくれた次女、写真館に撮影にきてくれた長女の優しさがあらためて心に沁みて、私は台所の隅でしばらく泣き続けた。
ところで、夫はというと、「おめでとう」という言葉もなかったなあ。
ただ、毎日見ている朝ドラの「ブギウギ」の録画を忘れてラインをしたら、それはしてくれた。