品性について思うこと | 陽はまた昇る

陽はまた昇る

子どものころからろくでもない事ばかり起こりますが、
まぁ、私がどうでも日はまた昇るし、世の中は回っていく。
七転八倒を七転び八起きに。

お友達のブログで品性についてのお話があったので

私も少し思うことを・・・

 

☆☆☆

 

母は自称「上品な人」のつもりでしたが、なんといいますか、

子どもから見ても「気取っているだけ」の人で本性は下劣だったと思います。

父は父とて、下品の見本みたいな人でしたが、

仕事の知り合いから勧められて茶道をたしなむことになったとかで

「作法」は知識としてはあったこともあり、

口ではたいそうなことを言い人には厳しく上げ足をとるくせに、

本人はまったく習慣として身についていない、という、

非常にややこしい人たちでした。

一例として、

「大皿にもってあるものは、自分の前の1/(人数)から数を数えて取れ」

と言いながら、自分は皿全部を漁って肉ばかり取る

「音を立てて食べてはならん」

と言いながら、自分はぐちゃぐちゃがつがつハフハフずるずる~

そんなですから、子ども心に「お前が言うな」と嫌悪感が募る一方でした。

 

そんな状態でしたので・・・親は手本にはならず、

テレビや本で学んで比較的まともにやっていたつもりではありましたが、

そんなものはお構いなし、私をけなしてウサ晴らしする親から、

「品のない女」「品のない顔」と言われまくっていました。

 

まぁ、好きに言えや。と開き直れるまでにかなりかかりましたね~

 

で、旦那の方はと言えば、

以前お話ししたかもしれませんが、

「箸の持ち方が・・」とうるさいくせに「使い方」はなっていない

忌み箸として嫌われる使い方のオンパレード

姑に至っては会食の席で両手に一本ずつ持って茄子の田楽をエイエイと切る始末

小姑は麺類の具だけを食べて後の残飯を人に押し付けたり、

数人前の寿司桶から好きなネタだけを食べ散らかしたり、

 

極論ではありますが、下品でもいいと思うんですよ。

自分たち家族で自由に楽しくやっていれば。

気取らず楽しくリラックスして過ごせれば、それも良し。

(店でやると周りに不快な思いをさせると思いますが)

でも、この人らのように、

自分は作法が身についていないくせに、上品ぶって人にだけ偉そうに言う

そういうのが一番品性下劣な行為だと思うんです。

 

そんなこんなで、「上品」がよくわからない私ではありましたが、

 

ボランティアで知り合った中には本当に「品がある」人もいるのです。

 

会合では「1分スピーチ」がありまして~なんやかんやとフリートークなのですが、

とある方が、お嬢さんが(旦那様の仕事で)とある国にいて産後の手伝いに渡航していた時のお話しをしてくれてですね~これがまたはずらしい~

その後別の機会にお話しする時間があったので、

「先日はとてもいいお話をありがとう。あまりよそに行ったことがなく、

ましてや外国はテレビ向こうの話だったので、直にいろいろ聞けて良かったです」

と言ったところ、

「私こそ、いつもこみちさんの深い洞察力に感心しています」

といろいろとお話ししてくれました。

私の超絶お下品な育ちの話に対して、

「そういう方もいるとは知識はあっても、実感が持てなかったので、良い勉強になりました」と、嫌味・見下し・当てこすりではなく、本心から言ってくれているのだな~と伝わりました。

文字だと伝わりにくいのですが、本当に「空気感」が違うと言いますか・・・

ああ、この人こそ、「品がある人」というのだろうな~としみじみ思ったのです。

 

「品の良さを身にまとう」のは私には無理なんだろう~と思いもしますが、

「「品のある行いをする」のは努力で何とかできそうなので、

頑張っていきたいな~と思います。