[祇園精舎の鐘の聲 諸行無常の響きあり。              

             沙羅雙樹の花の色 盛者必衰のことはりをあらはす~]
 

有名な冒頭ではじまる古典『平家物語』がある。岩波書店「日本古典文学大系」上下32 33
ここに 文武両道に勝れた人物、平忠度(たいらのただのり)の「忠度都落」と「忠度最期」が記されている。
2022年03月27日の拙ブログに紹介したことがある。

 

僕はこの「平忠度」という人物の生き方に かねてから惹き付けられてきた。

武将とは・歌人とは・士道とは・学問とは、人の道は 如何に迷いの根源なのか……

忠度の堂々たる雄姿に潜む 繊細なまでの優しさ、死の覚悟も 闇ならず明々。

僕の心に深く刻まれた忠度の人生観に、老子と己の最期を重ねて念ずることも多し。

                【我が街 桜通り

 

風に舞う櫻花の季節に、平忠度は 辞世の和歌と 懐かしき故郷の山桜を愛でた。

「旅宿の花」「故郷の花」2首をこゝに紹介したい。櫻花を詠んだ忠度の秀歌である

 

1つに、

平家物語の「忠度の最期」の場面で、一の谷の西手の大将軍であった忠度が、

唯一人 多勢の源氏と闘った折、箙(えびら➡矢を入れて肩や腰に掛け携帯する容器)

に結びつけていた辞世の和歌旅宿の花である

2つに、

敵と味方に別れた歌の師匠 藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)が、

平氏滅亡後に 勅撰集(ちょくせんしゅう➡天皇や上皇の命により編纂された歌集)として編纂した「千載集」に、「詠み人知らず」として忠度の姓名を伏せて載せた「故郷の花」

である。

 

   

1、旅宿の花 (平家物語「忠度の最期」より) 

 【行き暮れて 木の下陰を 宿とせば 花やこよひの 主ならまし】
   [行(ゆき)くれて 木(こ)の下かげを宿とせば 花や今宵の主(あるじ)ならまし]
  ※歌意(苅谷)➡都落ちするなかに日が暮れて泊まる家もない。そうだ、 

                         この山桜の木の下を宿とすれば 桜の花が今宵の主人としてもてなしてくれるだろう。
   

【行き暮れて 木の下陰を宿とせば 花や今宵の主ならまし
 

2、故郷の花 (千載集より「詠み人知らず」➜藤原俊成が忠度の姓名を伏せて選んだ)

   【さざ波や 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな】
   [さざ波や 滋賀の都(大津京)は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな]
  ※歌意(苅谷)➡さざ波の打ち寄する志賀の都(大津京)は、もはや荒れ果てゝしまったが、

                     長等山の山桜は、昔と同じように咲いていることだ。

         「昔ながら」と「長等山(ながら山)」を懸けている。

琵琶湖にお住いのブロガーさんよりお借りした

 

平忠度、凛々しく逞しき若者だったと伝えられる。西相模の早川の合戦に出陣し、

その姿に敵方の源氏も圧倒されたという。平清盛の腹違いの6男で 貧しくも苦難の

中から頭角を現した。平氏の貴公子と云われた「青葉の笛」の敦盛とは生き方が違う。

 

忠度の壮絶な最期は、敵も味方もこぞって涙を流し、惜しむべき大将軍を と言って

涙で袖を濡らさぬ人はなかった と記されている。

                 平忠度 生誕 天養元年(1144)~死没 元暦元年(1184/3/20) 

 

櫻花、独り者なればこそ 舞い散る花の優美な愛しさは、身に沁みて胸を打つ。
僕は日本男児として
忠度の如く無限に静穏な感謝を奉げる 櫻花よ永遠不滅であれ
 

                               無為自然 苅谷俊介

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          【とろろ昆布汁・豆腐・肉・スナップエンドウ・海老・珈琲】

 

 

中京からの道中 SAでカケ蕎麦でもと思ったが、苫屋でも我が家で晩飯を作ることにした。少しでも筋力不足を補おうと努力したつもりだが(笑)