またブログアップに空白が生じてしまった。あれこれと用事が続き過ぎた。

 

帝釈峡遺跡群の2遺跡視察だけで時間超過。3人で記念写真を撮る。

【左から藤本氏・稲垣氏・自分】

 

「時悠館」でザッと遺物を視るつもりだったが、これがまた長くなり大幅な時間超過。

【時悠館入口】

 

それー!、昼飯だ。動いたので朝の珈琲2杯だけでは腹が減る。

車の中で話が弾む。現場叩き上げの稲垣氏は僕よりかなり若いが、同様の経験が

共通し意気投合した。藤本氏もこんな先輩をもって幸せな男だ。頑張って欲しい。

うどん屋に到着、腹の足しになる物は何でもある。

満腹の後に表でまた写真を撮ってもらった。

 

ここで遅れた時間をかなり取り戻した。我々3人愛煙家 これがまたいいではないか。

 

次の視察現場に向けて軽四輪を飛ばす。

 

切り通しの丘陵に弥生墳丘墓群がある。令和3年10月に国史跡に指定された

『 佐田谷・佐田峠(ダオ)墳墓群』だ。

【弥生墳丘墓群のある丘陵】

 

【庄原市教育委員会資料より】 上の写真は青丸の位置から

  

 

弥生時代の墳丘をもつ墓は、大きさ50mあっても古墳とは言わず「墳丘墓」という。

ここの墳丘墓群は弥生中期末~後期前葉(約2100年~1900年前)に築造されている。

 

面白いのは、四隅突出型墳丘墓(四角形の四隅が突き出る)が3基。

方形台状墓(四角形)4基。方形周溝墓(4つの溝で四角の墳丘を囲む)1基。

が築造されていることで、出雲・伯耆・因幡・丹後・丹波・若狭・越前の日本海側の

墳丘墓の形とつながっていることだ。

【佐田峠1号墓現状】

 

    

   【佐田谷1号墓現状】            【佐田谷1号墓調査状況

 

上の右の写真は「佐田谷・佐田峠墳墓群」(庄原市教育委員会)から引用したが、

1号墓は、方形の四隅が突き出る「四隅突出型墳丘墓」だ。

傾斜面に貼石が施され、中央主体部からは木槨に木棺の痕跡も検出されている。

出雲にはこの形の巨大な墳丘墓がある(西谷3号他)。

 

ところが、日本海側とのつながりだけではなく、吉備との深い繋がりも顕著だ。

この1号墓からは、脚部に凹線文(吉備の特徴)の施された器台型土器(吉備系)・

注口付脚台付鉢型土器(吉備要素)が出土し、祭祀または供献の意をもつ。

 

佐田谷3号墓からも注口付脚台付鉢型土器3点(完形復元1点)の出土がある。

 

【佐田谷・佐田峠(ダオ)墳墓群」(庄原市教育委員会)】より

佐田谷3号墓出土の注口付脚台付鉢型土器

 

 

 

中国地方内陸部の庄原市の遺跡群は、日本海と瀬戸内をつなぐ

重要ポイントを握っている。

次のブログが最終回になるだろうか。

同9日 少しぶらぶらして宿に戻り、散策用のスパイク付き地下足袋を。

 

【かどや旅館全景

  

 

【愛用のスパイク付き地下足袋

 

来てくださった生涯学習課文化振興係のお二人と 軽四輪で遺跡群に出発。

15時からシンポの打ち合わせ。更に懇親会がある。それまでには帰らねば。

 

帝釈川支流の馬渡川右岸に位置する石灰岩の岩陰遺跡『馬渡岩陰遺跡』。

昭和36年の林道工事の際に発見され、これが契機となって今まで55遺跡の発見

に至っている。『帝釈峡遺跡群』はその総称だ。

 

馬渡岩陰遺跡は、岩陰にそって厚さ約5mの5つの文化層が確認されている。

旧石器時代末期から縄文時代前期(約1万5千年~5千年前)にあたる。

この遺跡の第5層からはオオツノ鹿・カワシンジュガイが出土し その古さを物語る。

今は埋没しているが、文化層の断面だけは保存処理して復元整備したいものだ。

僕の想いは、全遺跡に対する強い期待でもある。

【馬渡岩陰遺跡

 

移動中、石灰岩の眼鏡橋に遭遇した。全くの自然の造形で 川の流れと水の技だ。

縄文人がこの橋を渡っていたことは想像に難くない。今は観光名所の一つだ。

 

国指定史跡になっているのは『寄倉岩陰遺跡』だけだ。

この遺跡は鎌倉時代までの遺物が複合しているが、縄文時代約1万年間の全ての

包含層をみることができる。保存処理した一部の断面が残されているが、

一般の見学者が近づくことは出来ない。

 

寄倉岩陰遺跡からは、埋葬された後期末の人骨46体分の出土が確認されている。

未調査区(現状保存)を含めると50体以上の埋葬が想定されており、

その特異な埋葬法からは集骨・改葬・二次葬が考えられ 精神性が垣間見られる。

 

帝釈峡遺跡群の中でも最大規模であることから、点在する散村の拠点的位置にある

岩陰遺跡の可能性が指摘される。

 

【寄倉岩陰遺跡

 

【寄倉岩陰遺跡説明看板

 

この時点で、帝釈峡遺跡群の視察予定時間は大幅に過ぎてしまった。

打ち合わせに間に合う為には、昼食をはさんで次の遺跡に行かねばならない。

心残りは言うまでもないが、仕方ない。

 

それでは次のブログまで。

随分ご無沙汰していたような気がする。

9/8日の早朝出発し、広島県庄原市での『シンポジウム講演』に向かった。

小雨気味で富士山はお隠れ。

30分程の仮眠や休憩をしながら、新東名・伊勢湾岸道・中国自動車道を

ひたすら走った。

 

中国自動車道のSAで遅い朝昼食のかけ蕎麦。

空はすっかり秋を感じさせる。

 

 

高速から一般道に移り、真っ暗闇の山中 目的地の宿「かどや旅館」に着いた。

すっかり夜になって腹ペコ。しまった 夕食を宿に頼んでいなかった!

 

(翌日9日朝に撮った看板)

 

「女将さん何か食べさせてくれ」。「えッ!…家で食べたカレーの残りなら

これが何と美味いことか、ありがたい。五臓六腑に染み渡った。

 

満腹のあとの電話。積もる話しもあり風呂に入るのも忘れた。

 

翌9日、朝は珈琲を2杯分頼んだだけで、障子を開け外を観た。

お~ッ、さすが帝釈峡だ。夜 真っ暗闇になる筈だ。眼前にそびえる石灰岩の崖。

まだ朝霧が消えていない。

 

 

下駄を履いて表に出た。左から右に流れる清流、あの岩の抉れは数千年の時を

刻んでいる。木の葉が はっきりと秋の訪れを告げる。太鼓橋を渡ろう。

 

 

太鼓橋を渡ると、帝釈峡の名の起こりとなった寺があった。ちょっと面白い。

普通は唐破風と千鳥破風がこんなに重ならないのだが、

唐破風に千鳥破風が乗っかっているように見える。

この本院に帝釈天が奉られている。昔は子院七坊があったと云う。

慶長年間に鉄製の鰐口が寄進されているので創建は最っと遡る。

 

 

ここから見える山も秋の化粧を整え始めた。

 

 

さあ、埋蔵文化財の人が迎えに来る時間が近づいてきた。

遺跡の視察は次のブログにしよう。

この動かぬ意志こそ代表に相応しい。

これがあってこそ僕らは突き進む。

何としてでも糖原病患者家族の皆様と一緒になって、

壁を 岩場を 荒波を 乗り越える。

皆さんの明るい笑いは、前進する力。一人でも多くの支援を

 

ぺんぺんママさん、リブログいたします。

『仲間のために!!』

ぺんぺんママ


今日は2つのブログをアップします。一つはこの方のリブログ。

いま一つは今夜にアップします。

 

『パーキンソン病』のご家族に対する 家庭での接し方等々、

もし御経験なさった方がいらっしゃいましたら、ご本人に直接お教えください。

藁をもすがる思いだと拝察しています。

 

9月9日のご本人のブログですやはり、不安が的中…』 何卒よろしくお願いします。


8日早朝 『帝釈峡遺跡群発掘60周年記念シンポジウム』の講演のため、

広島県庄原市に向かった。片道約700kmを車で走った。

冨士山は霧雨のためお隠れ。後の道中は曇り空だったが快適。

現地での視察は、別途ブログアップする。

現地の方々の熱意に胸が熱くなった。

僕の中に 新たに大きな課題と夢が膨らんだ。現地の方々の意欲は国を動かす。 

 

10日、シンポジウムが終わり 関係者の皆様に手を振っていただき 感激しながら

帰路に発った。この遺跡群は日本最大の縄文1万3千年の大遺跡。

 

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[月 月と 月みる月は月ねども 月みる月は この月の月]

三十一文字(みそひともじ)に月を9回詠み込む程 9月の満月は「中秋の名月」だ。

 

帰路 10日大阪府の高槻市付近で撮った「中秋の名月」 黄色い月 そして明るい。

兄イの月命日だ。1日遅れだが明日11日にお詣りする。

 

帰宅して 庭木の葉に焦点を合わせて撮った名月、白く輝く。11日の3時頃。

 

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11日 ほとんど寝る暇はなかった。いい天気だ。寺に着いた。

オッ、銀杏が色付き始めている。23日の彼岸の中日には 落ち始めるだろう。

      

 

「兄イ、1日遅れました」

「オオッ 来たか苅。広島行ってたんだな」

「はい。帝釈峡遺跡群、広島大学と地元の方々の心意気に感動しました。

 秋の紅葉も素晴らしいところです」

糖原病の患者さんと そのご家族支援の方も大きく動き出したようだな」

「はい。歯車が音を立てて勢いよく回り始めました。社長と兄イのお力大きいです」

「良かった。彼岸は 先ず裕次郎さんに報告だな」

「無論です。自分は合わせて3人力の男、当然行ってきます」

「動き出したら止まらんな、苅、お前」

「兄イを引き継ぎまた」

「バカ言うな、輪になった皆さんのお力だよ。いい方達ばかりだなあ」

 

今日は秋色のスーツで来た、同じ色のお線香を手向けた。

 

 

「兄イ 晩飯、何にしますか?」

「前回のステーキ美味かったなあ、裕次郎さんご機嫌。糖原病支援に力倍増だ。

 今日は、久しぶりに刺身がいいけど」

「はい、解りました。じゃビールですね」

「すまんな、苅」

「何言ってんですか、食べたいと仰るものを用意するのが僕の努めです」

 

銀八鮨が開くまでかなりの時間があった。何年ぶりだろうか 大磯プリンスホテル

で朝昼食をとった。クロワッサンサンドと珈琲。

 

 

プリンスホテルのプール納めの日だという。家族連れが多かった。

 

 

さすが活きがいい!!

今日は僕は呑まない。まッ家内と二人で楽しんでください

 

 

昨年はコロナ禍で中止を余儀なくされ、古代史ファンからは残念の声が聞かれた。

今年はソーシャルディスタンスを確保し、人数制限を設け 定員の半分 

550席とすることとなり、10月16日(日)の開催が決定した。

 

メインタイトルは『卑弥呼 共立』

 

今回 僕は講演せず、シンポジウムのパネラーとして参加する。

お時間が許せば 是非いらしてみてはいかがでしょうか。

僕は、専門の考古学からではなく、 配布資料に綴った 『魏志倭人伝』の重要部分

の解釈について、拙論の解説に終始する。

 

今日の腹ごしらえは、冷やし中華とマルガリータピザだ。

 

              

 

各講師紹介・申し込み方法・タイムテーブルなどの詳細は下記のリンク から

お調べいただきたい。 

桜井市ホームページURL

https://www.city.sakurai.lg.jp/sosiki/machidukuribu/kankouka/event/5851.html

この方とのお付き合いも長くなった。

教育学者としての凛前とした姿勢には厳しさを感ずるが、こよなく花を愛で 

温かく人を迎える心は世代を超えた優しさで、豊かな人間味を醸し出す。

まったく無知だった僕は、今後の学校教育に対する確かな影響を受けた。

 

僕らは今、「糖原病」患者と御家族を支援するために立ち上がっている。

多くの仲間が意を共にして集い続けている。無論 『嶺井正也』さんも一緒だ。

 

「僕は人間だから人間が大好きで人間が嫌いだ」

 

しかし今 集結し続けている善意の心を持つ人々は、実に頼もしく大好きだ。

 

そして、何というタイミングなのだろう! 

僕らが具体的に始めた「糖原病家族会(仮名)」のホームページの作成に

合わせたかのように、嶺井さんがアメリカのHPを紹介してくださった。

 

「糖原病」に関心を持たれ 広く世界の事情を調べられた『嶺井正也』さんのブログの

一部だが、ここに今日綴られたものをリブログさせてもらった。

是非、ご覧ください!

 

”アメリカ「糖原病協会」の紹介”

追伸:校正ミスが多かったので修正します。と嶺井さんよりコメントがあり、

    修正版の方を今日のブログに載せられています。

     内容にはほとんど影響はありません。

 

 

タイトルは流行語にもなった。

1958年5月~1977年8月まで19年間続いた「ロッテ歌のアルバム」の名司会者

「玉置 宏」さんの冒頭の挨拶だ。ご逝去されて20年になるだろうか。

懐かしく想い出される方もお出ででしょう。

 

一週間ぶりのブログなので タイトルに拝借した。

 


 

   

 


ここのところ喪服を着ることが相次いだ。

ごく最近 僕が最も信頼する優秀な映画監督の奥方の 突然の死に呆然とした。

若すぎる あまりにも若すぎる。彼女が綴った手紙が届いたその日だった。

それが最期の文字になろうとは…

その封書をそっと監督に手渡した。常に懐抱していたい彼の胸中は切ない。

 

弔辞は 頭の中を駆け巡る思いを そのまま語りかけるしかなかった。

すすり泣く声を背にして…

 

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電話があり娘がやって来る。話し込んでブログアップは早朝になるだろう。

 

 

「あちこさん」に習ったカプレーゼと、

「さわでぃさん」に教わったブルガリアのタラトールを食べるかと訊くと 、

お願いテンちゃん。美味しそうだったので是非食べたいと思っていた言う。

ここのとこ 忙しかったようで疲れた顔をしている。しょうがない作る羽目になった。

 

忘れたのだ、お米を砥ぐのを。しかも炊飯器の空炊き。

 

言い訳します。

7月7日に資料を頼まれ 8月17日までに提出しなければならなかった。これをスッカリ

忘れていた。連絡があって えッ!となった。資料なしでは駄目か? 駄目です。

当然の返答だ。4日くれ 必ず提出する。

この応答があってタイトルを考え始め お米のことが頭から抜けた。

そして 炊飯器の空炊きとなった。

以上、言い訳です。

 

すまんが、美味いおやつ二回分でお腹を満たしといてくれ。

〝あちこさん〟に教わったカプレーゼ。〝夏さん〟に教わったフライド茄子。

小田原蒲鉾に鮭トバ。

ところがフライド茄子また失敗。天ぷら油が無く 揚げられなかった。

仕方ないのでオリーブオイルで炒めた。

〝夏さん〟また挑戦です(笑) パリパリ感はないですがイケましたよ。

 

今日はこの人の献身的で地道な努力を御紹介します。心から頭が下がります。

僕のこの拙ブログを 最後までお読みいただくことを 切にお願いいたします。

 

既に御存知の方も多いと思いますが、糖原病のお娘さん あーちゃんを抱える

ぺんぺんママさんです←←ぺんぺんママをクリックすれば彼女のブログが開きます

 

僕がママさんのブログを知ったのは〝夏さん〟のブログからでした。

糖原病という難病もこの時初めて知りました。

考えました どう支援すれば良いか。そして決断しました。先ず多くの方に糖原病

を知ってもらうことから始め、

支援・応援の大きな輪を創ること。➁リーダーになれる人を立てること。

その先のことも既に視野にありますが、明言できません。

➀は心あるブログを綴られている方々によって徐々に広がっています。

    ………………………………………………………………………

糖原病は指定難病」です。しかも治療薬がありません

指定難病については〝Rico さん〟が8/14日のブログ「私なり、、、」のその後

箇条書きで挙げられています。

日本の法令に〝通称・略称  難病法〟というものがあります。

(法令番号  平成26年5月30日法律第50号)
ここに指定難病が列記されています。

    ………………………………………………………………………

僕は➁として、リーダーになれる人を立てること を揚げました。

これは何よりも糖原病をよく知り、常に勉強し、御自身が糖原病患者の親であり

糖原病の患者さん・その親御さんと繋がっていることが大切な条件になります。

それを満たしてくださる方がぺんぺんママさんです。

僕はぺんぺんママさんがリーダーの適任者だと考えています。

無論、あらゆる支援・応援は 拙いですが僕たちブログ友人が行います。

ママさん是非ともリーダーになる声をあげてください!

 

ママさんが8月19日に綴られた「私の想い。。。

僕だけではなく、拝読した誰もがぺんぺんママさんのリーダーとしての資質を

感じ取ったものと思っています。

 

最後までお読みいただき感謝申し上げます。