今日22日は冬至。日の出前の明けの空。 冷える~-1℃!…と言ったら 山陰・北陸・東北・北海道の人に笑われるなぁ。東丹沢山系の夜明けだ。右側の雲と丘陵の間に湖のように相模湾が顔を覗かせている。
【22日06時32分 冬至の夜明け】
【22日20時11分 冬至の弓張り月】
明日から 少しづつ日中が長くなり始める。10日経ったら令和6年の元旦だ。
神が言った 明日からは新しくいいことが始まると。
そういえば約2000年前は「冬至歳首」の時代だった。「歳首」とは元旦の事で、
「冬至の日を元旦」とする暦だった。
ややこしいが、卑弥呼の女王時代は「立春歳首」。亡くなった頃(237年頃)は また、「冬至歳首」になっている。
あの弓張り月を撮って晩飯にした。
冬至の日にカボチャを食べる という風習は、押しなべて「邪気払い」の意がある。
カボチャ、煮過ぎた。生どんこ・人参・白菜・ネギを入れて昆布出汁でグツグツ。
これがイケなかった。味はいいのだが ゴッタ煮になってしまった。
大雪山トマトジュースの切れ味が、口を引き締めてくれた。飯も旨い。
風呂じゃ~、柚子湯に浸かる。この柚子湯にも邪気払いの意がある。柚子の香がそれである。苫屋の庭の花柚子を枝ごと入れた。手に取ると何ともいい香りだ。
今までやったことは無かったが 「鬼柚子」も入れてみた。下の左の写真は枝に垂れ下がっている時の鬼柚子➡右が風呂に浮かべた鬼柚子。
良い風呂だ 気持ちがいい。小さな贅沢を満喫し乍ら ふと あの手の事を思い出し、
万葉集の東歌(あづまうた)が頭に浮かんだ。
稲つけば かかる吾(あ)が手を 今夜(こよひ)もか
殿(との)の若子(わくご)が 取りて嘆かむ 東歌 詠人不詳
※稲つけば: 縦杵(たてぎね)で籾殻を剥がすために 臼を搗(つ)く
※かかる : ひび・あかぎれで荒れた
※吾が手 : 自分の手
※殿の若子:お屋敷の大殿の若様
※取りて :手にお取りになって
⦿語訳(苅谷): 稲をつく度に ひび・あかぎれに血が滲む荒れた私の手を、
今夜もまた お屋敷の若様が手にお取りになって お嘆きになるだろうか
労働歌・作業歌でしょうが、荒れた手を摩りながらも 若様との夜を期待する、上位官僚の許で働く女性の 素朴な心情が窺えますね。
そうであったらいいなぁ という この女性の夢でしょう。どことなく「おしん」という
ドラマを思い出します。
年に一度の「柚子湯」の小さな至福、来年もまた迎えたいものだ。