20日午前10時半頃電話が来た。

「苅谷君か、末期の声と顔を…」

「えッ!? 何云ってるんですか先生、会いたいんですね。用事済ませたら

 3時過ぎに行きます。お土産何がいいですか 甘い物?、それじゃ虎屋の羊羹を

 買って行きますから」

家を出た午前中は夏を思わせるような雲が浮かんで暑かった。

                                

                           

3月に電話があったのは覚えているが、その月は忙しくて関西・長野と車で何度も

往復して4500キロほど駆け回っていて話も出来なかった。それで気弱になったの

かなぁ。今行きますから。

    赤坂の虎屋で買った羊羹を助手席に置いて

横浜方面へと車を走らせた。僕の考古学の恩師「賀川先生」も

虎屋の羊羹がお好きだった。

 

先生のご自宅に着いたのは3時15分位だ。

 

「先生、来ましたよ」

 

奥様にお土産をお渡しして、応接間のソファーへと向かった。先生が顔を出した。

少し痩せられたが、先ずは、お元気そうだ。

 

「元気じゃないですか、電話で今にも死にそうな声を出されるから心配しましたよ」

 

ニコッと微笑まれた。心臓血管外科で手術もされたし脳梗塞の後遺症で

少し呂律も回らない。言葉が聞き取り難いが僕はもうすっかり慣れている。

ピアノを弾く手はシッカリしている。芝居の学校時代、一番尊敬した音楽の先生だ。

 

「俺を困らせるとホントに怒るよ先生、」

 

嬉しそうにニヤリとする。奥様が珈琲を持って来て下さった。

僕が何杯も飲むのをご存知だ。それから先生は喋り続けた。段々声が力強くなる。

この先生がやられて来たことは、あまりにも大きい。既に出版も決まっているし、

自伝の全てはほゞ書き終えている。

出版されれば業界の大きな話題になる事は確かだ。

 

「先生、晩飯はいつもの焼肉屋に行きますか?」

 

首を横に振る。「何がいいですか」、と訊いてもあまり食べたくないと仰る。

「駄目です、俺がいる限り奥様と3人で晩飯食べましょう。寿司はどうですか?」

う~ん…と言う。

 

「奥さん、出前頼めますか?」、頼んだことが無いと仰る。

「電話をなさって最上級の寿司を3人前お願いします」。僕も強引だ。

 

1時間ほどして寿司がやって来た。「さあ食べましょう先生」。

食堂で3人揃って「いただきます」となった。

先生は、驚いたことに「美味い」と云って全て平らげた!

 

食後の団欒、笑いが出て、すっかり元気になられたようだった。

僕は、芝居の学校でも落第生で、そんな男からの刺激が欲しかったのかな。

 

「これ俺が作った曲です。チョッと弾いてみてください」

「澄んで奇麗な曲だな、苅谷君」

よし、これでイケる。僕は次に期待が膨らんだ。

 

扉まで見送ると仰る。「もういいですよ先生、段差もあるし暗いから」、

と言っても無駄だった。最後まで手を振る。僕は車のハザードランプをつけて

挨拶しながら坂を下って行った。

 

よかったお元気になってくれて、嬉しいものだ。

 

今夜22日の僕の晩飯は、頂いた「鶏ごぼうおこわ飯」と味噌汁・白菜炒め。