同9日 少しぶらぶらして宿に戻り、散策用のスパイク付き地下足袋を。
【かどや旅館全景】
【愛用のスパイク付き地下足袋】
来てくださった生涯学習課文化振興係のお二人と 軽四輪で遺跡群に出発。
15時からシンポの打ち合わせ。更に懇親会がある。それまでには帰らねば。
帝釈川支流の馬渡川右岸に位置する石灰岩の岩陰遺跡『馬渡岩陰遺跡』。
昭和36年の林道工事の際に発見され、これが契機となって今まで55遺跡の発見
に至っている。『帝釈峡遺跡群』はその総称だ。
馬渡岩陰遺跡は、岩陰にそって厚さ約5mの5つの文化層が確認されている。
旧石器時代末期から縄文時代前期(約1万5千年~5千年前)にあたる。
この遺跡の第5層からはオオツノ鹿・カワシンジュガイが出土し その古さを物語る。
今は埋没しているが、文化層の断面だけは保存処理して復元整備したいものだ。
僕の想いは、全遺跡に対する強い期待でもある。
【馬渡岩陰遺跡】
移動中、石灰岩の眼鏡橋に遭遇した。全くの自然の造形で 川の流れと水の技だ。
縄文人がこの橋を渡っていたことは想像に難くない。今は観光名所の一つだ。
国指定史跡になっているのは『寄倉岩陰遺跡』だけだ。
この遺跡は鎌倉時代までの遺物が複合しているが、縄文時代約1万年間の全ての
包含層をみることができる。保存処理した一部の断面が残されているが、
一般の見学者が近づくことは出来ない。
寄倉岩陰遺跡からは、埋葬された後期末の人骨46体分の出土が確認されている。
未調査区(現状保存)を含めると50体以上の埋葬が想定されており、
その特異な埋葬法からは集骨・改葬・二次葬が考えられ 精神性が垣間見られる。
帝釈峡遺跡群の中でも最大規模であることから、点在する散村の拠点的位置にある
岩陰遺跡の可能性が指摘される。
【寄倉岩陰遺跡】
【寄倉岩陰遺跡説明看板】
この時点で、帝釈峡遺跡群の視察予定時間は大幅に過ぎてしまった。
打ち合わせに間に合う為には、昼食をはさんで次の遺跡に行かねばならない。
心残りは言うまでもないが、仕方ない。
それでは次のブログまで。