僕に考古学の手ほどきをしてくださった恩師〝賀川光夫先生〟の三つ年下、

考古学の重鎮『大塚初重先生』が7月21日にお亡くなりになられた。

 

1998年12月、シンポジウムで御一緒させて頂いた時、控室で大塚先生は仰った。

「苅谷さん、僕の考古学はね、とにかく土を掘って遺構・遺物を正確にとらえることから

 はじまったんですよ」

それは、三十半ばにして考古学にめざめ、ひたすら発掘現場から考古学を学んできた私への

励ましの言葉だった(--感謝します『土と役者と考古学』より)。

 

論文集もシンポジウムも御一緒することが多く、いつしか家族ぐるみのお付き合い

をさせていただくようになった。

 

2007年1月、僕が主催する『考古見聞会』の新年会にも御出席いただき、60分講義

の後の懇親パーティーも、御夫妻で楽しんでくださった。

 

[新年会場にて講義中の大塚初重先生]

 

[大塚先生御夫妻のテーブルで]

 

大塚先生は健啖家だ。残さずきれいに召し上がって、見聞会の皆の質問、そして

注ぐビールを必ず受けてくださった。奥様は常に笑みを絶やさず、

「苅谷さん、会の皆さんご熱心ですね。それにほんとに愉しい会」

「有難う御座います。この後は会の一人が手品を披露するそうですよ。もう直ぐ

 家内が来ますのでゆっくり楽しんでください」

 

やがて余興のカラオケが始まった。

「如何ですか先生も」

「え~僕がハハハ、やろうか」

司会の笑福亭純瓶君のアナウンスが入る。

「皆さーん、大塚先生の登場です」

割れんばかりの大喝采。大塚先生は〝東京ラプソディー〟をお唄いになられた。

 

[熱唱される大塚先生]

 

今回は、考古学の偉大な業績は省かせていただき、賀川光夫先生を尊敬し、

いつまでも愛らしさの抜けない苦労人、人間『大塚初重』を紹介させていただいた。

 

大塚初重先生、心からご冥福をお祈り申し上げます。