ここのところ夕食のみの一食が多い。朝昼食代りの蜂蜜いっぱいのバナナジュース

                 

多めだが硬い焼きそば。冷蔵庫の肉と野菜を全て入れた、残るけど仕方ない。

                    

 

夜7時半頃に娘が来た。明日から連休だから泊まっていくという。え~ッ! 

湖池屋ポテトチップスをつまみ、珈琲を飲みながら深夜3時半まで話してしまった。

おかげで〝ふるさと紀行➂〟が一日遅れに…。

娘は母親の側で眠りについた。いやはや、これも仕方なしだ。

 

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さてそれでは綴ることにしよう。この景色ともしばらくお別れだ、必ずまた来るよ。

      【暘谷城の天守台から東を】      【別府市境のホテルから南西を】

           
                                    

日出町で特筆される旬の魚は〝城下カレイ〟高価だが5月には限定特別メニューで振る舞われる「城下カレイ祭り」が催され、電話予約でのみ受け付けられる。

                【例:的山荘の限定特別メニュー】

        

 

城下カレイは暘谷城下の海、数Km四方にのみ棲息するマコガレイの一種だが、

海底から真水の湧くところが数ケ所あり、塩分濃度が低いためか泥臭さが全く無い。
そのため他地域のカレイとは異なり、極めて上品な美味しさが特徴だ。

小学生時代、強く湧き出す二ヶ所の湧水を城址の運動場から当たり前のように見ていた。城下の海にしか棲息しないので、江戸末期頃の庶民は城下カレイと呼んだ。

庶民は口にすることができず、食べたことが知れると役人より重い罰金を科せられたとも云う。城中や学者からは「王余魚」と呼ばれ珍重されていた。

 

   【おんせんニュースより】

  

 

藩主木下公は、4年に1度の閏年5月5日に届くように、生きたままの城下カレイを将軍家に届けていた。日出港から大阪まで船で、そこからは海水に浸した紙に包んだ

城下カレイ早馬に乗り継ぎ、無事将軍家に送り届けていた。大変な労力で250両の費用が必要だった。

 

明治以降、獅子文禄・森鴎外・林房雄・小林秀雄・高浜虚子・松本清張・湯川秀樹

多くの文人墨客が訪れ、虚子は「海中に 真清水湧きて 魚育つ」の句を残している。

現上皇・上皇后皇様も、皇太子・皇太子妃時代、的山荘にて城下カレイをご賞味され

ている。

  

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で、我々は的山荘の…

特別個室で…

               【伊東博文書】 以下秋山氏撮影

              城下カレイ料理一品一品に舌鼓を…

         

                       清酒 的山

            

                      城下カレイ刺身

            

                  中抜きして、 ご飯と留め碗

        

 

    夜、ホテルにて 酒の肴には最高の逸品。今夜眠ったら明日は羽田へ

 【名物 鳥天】          【名物 りゅうきゅう(ブリの甘汁かけ)】

 

ふるさと、また来るよ。

 

機内でひと眠りしたら、もう東京、634がそそり立っている。ただいま。空気は…

3日間の旅でした。