前列左から、菜花・万願寺・小松菜。中断、イチゴ・水菜・大隅ごぼうサラダ。
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前回『ヤマト王権と古代日向⑤ 倭の五王の時代』を綴ってから、ひと月半程書いていませんでした。前回のことを少し振り返っておきます。
倭の五王とは、中国南朝の「宋」に遣使しして、『宋書』・及びその「夷蛮伝」に記されたいる『倭王』、讃(サン)・珍(チン)・済(セイ)・興(コウ)・武(ブ)のことです。
この五王のうち、武(ブ)のみが歴代大王の〝雄略大王(大泊瀬幼武)〟であることが明らかになっています。
「倭の五王の時代(5世紀)」の九州の大型墳のことも述べました。最大のものは全て古代日向(南九州)にあります。
この事実は古代日向(南九州)が、ヤマト王権にとって如何に重要な勢力であったかを物語っています。
しかも各古墳ともに、それぞれの築造時期では九州最大規模です。
☆宮崎県西都原古墳群の男狭穂塚古墳(帆立貝式176m)4C終末
☆同県同古墳群の女狭穂塚古墳(176m)5C初頭
☆鹿児島県串良町唐仁古墳群の唐仁大塚古墳(154m)4C末
☆鹿児島県大西町の横瀬古墳(132~136m)5C前半
女狭穂塚(左) 男狭穂塚 唐仁大塚古墳 横瀬古墳
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