先に、朝昼食(ジャムトースト・レタスの醤油炒め・ごぼうサラダ)とおやつ、

それから夕食(イカソーメン・ジャコ・ラッキョウ・ごぼうサラダ・トマト)を載せとこう。

           

       

 

◎ヤマト王権と古代日向②、志布志湾東岸1

「ヤマト王権と古代日向➀」で述べたことを再認しながら進めよう。

ヤマト勢力は、勇猛で航海術に長けた隼人族を味方にするため、隼人族の始祖海幸彦を、自分たちと血縁であるとし、

山幸彦の兄としてヤマト王権の系譜に加え、隼人勢力を味方に組み込んだ(記紀参照)畿内勢力と隼人族との抗争の神話化。
それは「統合体倭国」➡「初期ヤマト王権黎明期」と重なる。

ヤマト王権は、3C後半には南九州に「前方後円墳体制(都出比呂志)」の定着を目指したと考えられる。

つまり、畿内と同じ葬送儀礼を共有することで、南九州の統合化を図ったことになる(考古学)

隼人族が統一的な政治権力を作らず、各々が対立していたことが

「前方後円墳体制」の定着化を早めた要因でもある。

 

○塚崎古墳群

「塚崎古墳群」は、鹿児島県肝属郡肝付町野崎にある古墳群で、

大隅地域に最初に造営された古墳群だ。

前方後円墳5基、円墳39基、地下式横穴約10基が確認されているが、その後の調査で地下式横穴は増加する可能性もある。

現在、墳長56mの11号墳が最も古く、3C後半代の年代が与えられている。また、塚崎25号墳では「小型丸底壺と器台」が出土し、43号墳(径40m)でも小型器台が出土している。

その器形は、口縁が大きく開いて立ち上がる4C後葉の特徴をもっており、畿内と同じ葬送儀礼が行われたことを示している。つまり、ヤマト王権による葬送儀礼の斉一化が定着している資料だ。
日本最南端の前方後円墳39号は墳長67mあり、塚崎古墳群中で最大規模だ。森の中で確認し難いが、標柱のある場所から分け入ってよく観察すると、墳形から4C中葉と考えてよいと思う。

5基の前方後円墳は全て前期(4C代)に築造されている。

 

○唐仁古墳群(東串良町)

「唐仁古墳群」は、肝属郡東串良町新川西にある古墳群で、

前方後円墳3基・円墳119基など、計130基からなっている。

4C末~5C初頭、最初に築造された1号墳(唐仁大塚)は、前方部の広がらない柄鏡式で、墳長154mを測る。前方部東側は参道により削平されているが、西側の残存状態は良好で目視できる。

下図右側は、橋本達也氏による想定復原図だ(近つ飛鳥博物館2012)

傍にある郷土研修館には若干の出土土器が展示されている。

この古墳群は、中期後葉(5C末)には築造を終焉している。

 

ここで、志布志湾東岸域の古墳群分布をみると、

「唐仁古墳群」の南方には、肝属川を隔てて「塚崎古墳群(肝付町)」があり、西方に「岡崎古墳群(鹿屋市)」、北方にやや離れて「横瀬古墳・神領古墳群(大崎町)」が所在している。
これを、上記に記した「古墳編年表」に照らし合わせると、

肝付町の「塚崎古墳群」が最初に造営され、続いて「唐仁古墳群」最後に「横瀬古墳・神領古墳群」が造営されていることが判る。

 

         (上下地図ともに、近つ飛鳥博物館2012)

            

 

○岡崎古墳群

「岡崎古墳群」は、鹿屋市串良町にある古墳群で、台地上に位置し、森の隙間から「唐仁古墳群」を眺めることができる。

歩いても1時間半程で、串良川(肝属川の支流)を渡り、田んぼの道をのんびりと行くのがいい(約8年前)。

最初に築造されたのは、墳長39mの前方後円墳20号墳で、以前は20・21号の2基の円墳とされていた。岡崎20号墳の下層遺構から、二重口縁壺・大分の安国寺式壺形土器(焼成後底部穿孔)の出土があり、興味をひく。
15号墳は全長22.5mの帆立貝式古墳だが墳丘は残っておらず、箱式石棺が露出しているだけだ。

調査結果によると、くびれ部両側に地下式横穴が存在しており、

翡翠勾玉や長方板革綴短甲など豊富な副葬品が出土している。

18号墳では更に古い段階の地下式横穴が、古墳に付随することが確認されている。
「岡崎古墳群」から、大隅地域で初期の地下式横穴の出現が確認されたことの意義は大きく、地下式横穴の出現年代が4
C終末まで上るのは、ほぼ確実であろう。

「岡崎古墳群」で最初に築造された20号は、「唐仁古墳群」の1号墳=唐仁大塚154mと同時期で、地下式横穴を伴っている。

唐仁大塚及び後で記す「横瀬古墳」には地下式横穴は伴わない。

この違いは、古墳の規模・近距離・時期から推測して、唐仁大塚を

大首長とし、岡崎古墳群はその下位の中小首長層の古墳群として捉えられる。
古墳と地下式横穴の共存は、この上下関係の下で興った蓋然性が高い。

 

ヤマト王権と古代日向は、その②で終わる予定だったが、

③➃まで続くことになりそうだ。

一気に仕上げると小稿のようになり、自分が眠たくなってしまう。

分けることにして、明日は「横瀬古墳」・神領古墳群(10号)から記すことにする。

今日の終わりに29日午前3時の月を…