エビチリはパスタのガーリックトマトソース。ちょっと手を加えればなかなかイケる。唯、玉葱のみじん切りは手間がかかった。
牛のバラ肉・キャベツ・ブツ切りネギ・トマト・溶き卵子・購入した小葱のみじん切り。
量が増えてきた、YouTubeロケのせいだ。あすから戻そう。
食後の果物は柿。
少し旅の話を記しましょう。
初日は天気がぐずついたが、徐々に回復に向かいました。
宿を出て20分、弥生時代の大集落『唐古・鍵遺跡』に到着。
目を見張る程、立派な遺跡公園に生まれ変わって驚きました。
シンボルの楼閣だけは昔のまま唐古池の中に立っていました。
第47次調査(1991年)に発見された土器片に線刻されていたものの復元建物で、2階建てか、3階建てかの論争がありました。
現在の復元建物は高さ12.5mの2階建てです。
当時、僕は〝3層楼閣〟として論考を書き、現代の「御神輿」の原点とも書き添えました。
屋根の四隅にある蕨手飾り・高欄の鳥は、神輿の象徴ともいえます。現在でもこの見方は変わっていません。
唐古・鍵考古学ミュウジアムで、新しく発見された破片から、
3層の可能性があると聴かされ、30年前の考えが生き返った気がしました。
最上階と中層の屋根
中層?又は下層?の梯子
最下層の柱?と屋根の一部?
ケースから取り出して手にすることができず、後ろ髪惹かれる思
いでした。
『唐古・鍵遺跡』は、弥生前期から3か所の微高地に小集落ができ始め、中期には谷を埋め1つの集落となり、
中期末から後期初頭には、周りには6重の環濠を廻らす
40~50ヘクタールに及ぶ『大規模拠点集落』となりました。
唯、吉野ケ里遺跡などとは違い、環濠の断面がV字形ではなく、浅いU字形であったと思われ、強固な防御用の環濠ではなかったと言えるでしょう。
武器を最高祭器にするか、銅鐸を最高祭器にするかの違いは、こんなところにも表れているように思われます。