前回は、タナバタが6つのお祭りに由来する事をお話し致しました。

 

1⃣6つのお祭りは、全て旧暦7月7日を含む時期に重なる

2⃣盆は、祖霊祭(魂祭り・霊祭り)とは全く無縁の『個人救済の仏教説話』が原形

3⃣タナバタは、年に2回あった

という、意外な事実がお判り頂けたと思います。

 

今日は、『たなばた』の更なる実態に迫りましょう!

先ず、織女・棚機津女からです。

※『万葉集』には

   「織女」と書いて〝たなばたつめ〟

※『日本書紀』神代下の天稚彦葬儀の場には

   「弟織女」と書いて〝おとたなばた〟

※『古語拾遺(こごしゅうい)』の、天照大御神の天岩屋隠れには

    「天棚機姫神」と書いて〝あめのたなばたつひめのかみ〟

※『宇津保物語(うつほものがたり)』には、

   「七夕の髪洗い行事」〝女性が川で髪を洗う行事〟

   の様子が書かれています。これはだけは少し外れる感じですが関係あります。

 

織女(たなばたつめ)の存在は、古墳時代まで遡れます。

天童市西沼田遺跡では、古墳時代後期6世紀の「機織り機」部品が出土しています。

地機(じばた)と呼ばれる最古の機織り機です。

また、紡錘車(ぼうすいしゃ➡糸を撚るためのはずみ車)の出土例から、

織女は弥生前期まで遡れそうです。

 

30年ほど前、インドネシアのスンバ島で民俗調査をした時、「地機(じばた)」より古い

「原始機(げんしばた)」が使われていました。(写真:母親が機織りをしています)

村は縄文と弥生が合体したような集落で、中庭は「支石墓」と呼ばれる墓地域です。

他にも、まだまだ興味深い発見がありましたが、今回は省きます。

話しが脱線しつつあります。大きく舵を切り直しましょう!

「祖霊祭」は年2回行われ、旧暦7月7日を含む時期の祖霊祭は、「盆」と習合し、

師走の祖霊祭は、「年神の祭り」に合体していることは、前回お話ししました。

 

正月の「年神=祖霊」をお迎えするため、最初に煤払い(師走の13日頃)を行い、

庭に精霊棚を備え付け、四隅に笹を立て(辟邪)、清浄にして新しい織物を敷き

数々の供物を膳に供えます。

四隅に笹を立て、清浄にして新しい織物を敷いて飾られたこの精霊棚は、

〝祖霊(年神)が降りて来られる場所は清浄にしています。いつでもいらして下さい

という大事な意味を持つ『祓い済みの標』なのです。

言い換えれば、祖霊祭開始の目印です。

 

高千穂の集落で、毎年持ち回りで行われている晦日の行事は、その継承の姿です。

 

『宇津保物語』に書かれている、女性が川で髪を洗う「七夕の髪洗い行事」は、

機織りをする女性(織女)こそ、清浄潔斎が必要だからなのです。

何故ならば、精霊棚に敷かれる織物は、女性が機織りした新しい布を使うからです。

「棚機津女」の語源は、ここにあります。

つまり、精霊の女➡「棚機津女」ということです。

 

何だか狐に抓まれた様な話でしょ。でも、これがタナバタの語源なのです。

 

今は、あまり見かけなくなりましたが、「ことはじめ」は、師走の13日、煤払いの日に、竹竿の先に目籠を縛って軒先に出しておくという風習を伴っています。

〝笹の葉さらさら 軒端に揺れる〟という童謡を思わせますね。

この風習は、精霊棚の変化したものです。

祖霊(年神)が降りて来られる場所は清浄にしています。いつでもいらして下さい

という『祓い済みの標』で、祖霊が降りて来る場所の目印なのです。

この日、京都の芸子さんが、お師匠さんのところに挨拶に行く「事始め」の習慣がありますよね。これは、祖霊祭が始まるという〝事始め〟が淵源です。

 

今日は、ややこしかったですねえ。

まあ、2つのことだけ豆知識としてポケットに入れといてください。

たなばた祭りは単独になっていますが、

➀祖霊祭の最初の行事で、払い済みの標

②祖霊が降りて来る場所の目印

 

それが、タナバタ本来の姿なのです。

 

お疲れになったでしょ?。僕は若干疲れました。

明日は敬愛する人の月命日。晴れる筈です。