その人の名は『渡哲也』

2月18日に綴って保存していた「敬愛する人への祈り③」を、昨日投稿したが、保存した日付の場所にアップされていた。

いま綴っている④は、③を覧てからでないと判らないと思う。

 

会社がどん底時代に転がり込んだ僕は、なりふり構わず何でもやった。本業の役者・看板屋のバイト・他の映画会社の大道具・機材運びの運転・美術部の手伝いなど多岐にわたった。生活費を除いて、その報酬のほとんどは会社に入れた。

社長の裕次郎さんは結核で入院。しかし、あの方は肺に穴が開いたまま映画出演もなさった。苦しいと一言もおっしゃらない。

渡さんは、ご自分の出演料の大半を会社救済につぎ込んだ。

渡さんの気質に感銘を受けた僕は、それから「哲兄イ・兄イ」と呼ぶようになった。

社長の石原裕次郎さんと渡さんを除いて、残り8名の我々は歯を食いしばって頑張った。

やがて「大都会」「西部警察」の制作で、会社は鰻上りに調子を上げていった。過去の苦しさを知らない社員が入社して、会社の雰囲気は大きく変わった…

本当の「石原軍団」は、あの苦しい時代に太い荒縄で互いにガッチリ結束して苦楽を共にした僕ら8名と、石原裕次郎さん・渡哲也さん以外にはいない。渡さんを中心に結ばれた刑事役の面々は、「黒岩軍団」「大門軍団」というが「石原軍団」とは質が違う。

 

ある時、ロケの休憩時間に渡さんが言った。

「苅、久しぶりにやるか?」

「いいですよ」

力いっぱいやっても一度も勝ったことのない相撲だ。

ガップリ四つに組んだ。こんなに痩せている… 僕は勝てる。

「兄イ、組み手争いの時ちょっと足を捻って、これじゃ勝負になりませんよ」

「だらしねえなあ、お前…よし止めよう

僕の心を読んでいた。道路わきに腰を下ろして僕の顔を見あげてフッと笑った。

〝兄イ、貴方もそうしたはずだ〟

心の中でそう思った。

お互い触れることなく、相撲談義に花を咲かせ笑いあった。