古墳の話をしましょう。

今、若い人の間に古墳ファンが急増し(女性が多いです)、古墳ブームが起こっています。可愛い、素敵、凄い、大勢の人が築造した山、権力者のお墓、何が埋葬されていたか、など様々です。

いずれにせよ古墳に興味をもつことは素晴らしいことですよね。

 

古墳時代は3世紀前半~6世紀の飛鳥時代まで続きます。

大きく前期、中期、後期に分けられます。

前期の代表的な古墳は「箸墓古墳」です。中期は、人工衛星からも見える世界最大級の仁徳天皇陵(大仙古墳)に代表されるように巨大化する時期です。後期になると前方後円墳が消滅し始め、代わって八角墳(天武・持統合葬陵)・方墳・円墳が台頭し、やがて古墳時代が終焉します。

 

下の写真は山口県柳井市にある臨海古墳(海の傍にある古墳)

全長90mの「柳井茶臼山古墳」です。標高80mの丘から向うの丘陵の手前に柳井湾が見えます。

前期末(4世紀末)の前方後円墳で、後円部3段・前方部2段から成り、埴輪が並べられ、斜面も平坦面も全て石で葺かれています。約1600年前の「柳井茶臼山古墳」の姿です。

発見は明治時代、二人の少年によるものです。昭和になって、手入れ復元しなかったら完全な森になっていた筈です。

日本最古の「箸墓古墳」も全て石で覆われているようです。

前期古墳でも平坦面(テラス)まで石葺きというのは限られており大和王権にとって極めて重要な古墳だったのでしょう。

この古墳から出土した鏡は、全国の古墳から出土した鏡のなかでも最大の鏡「単頭双胴怪獣鏡」直径44.8cm です。下の写真は忠実に模倣したそのレプリカです。

この古墳に埋葬された人物は、この地域を制し、海士族を従え、瀬戸内の航行権を掌握していた王なのでしょう。大和王権にとって重要な役割を担っていたのでしょう。

 

前期古墳の話でした。お付き合い下さり有難う御座いました。