僕は日本の考古学はやっているが、世界となると俯いてしまう方だ。そんな僕が旅した中米のことを記してみよう。

ティカルに集落ができたのはBC1世紀頃と云う。AD2世紀頃には繫栄を重ね、人口も3万強に膨れ上がったと云う。

最も隆盛したのは約6万人がひしめき合う4世紀~9世紀前で、マヤ文明の政治経済の中心都市となった。

マヤ文明の時代区分で言えば「マヤ古典期」に当たる。

僕がティカルを訪れたのは40代半ば、マヤ文明の洞窟壁画を観察するためだったのだが・・・

街で食料品を買ったが、出会う女性の皆が、実に鮮やかな民族衣装を纏っている。先住民は我々と同じモンゴロイドなのだ。

日本語が少し判るガイドと現地に詳しい人達の案内で馬でしか行けないジャングルに入った。進むこと約7時間。暗くなる前に小川の辺でキャンプすることにし、生きた鶏を捌きトウモロコシやイモと一緒にバナナの葉で蒸し焼き。火を絶やさないようにしてハンモックで一夜を明かた。明日はいよいよティカルだ。

ティカル到着! 意外や意外、公園整備されいたるところにテントが沢山あり、観光客がかなりいる。

気抜けしたが、我々の目指す場所は遠くに見えるジャングルの中だ。ここから先、管理が厳しくもう馬は使えない。スパイク付きの地下足袋に手甲・脚絆、正解だった。

歩くこと約4時間。やっと最初の神殿に立った。目指すはまだ向うだ。眼下にまた神殿が見える。かつてティカルが隆盛した頃、このジャングルは整備され、階層があって祭祀が行われ、市が発達し人々の往来も活気に満ちていたのだろう。

着いた‼ 高さ50mはある。階段状ピラミッドの筈だが登り口が無く、側面に足場が組まれているだけだ。案内人は、ザックをここに置いて登るしかないと言う。もう二度と来られないだろうと慎重に登った。登り詰めた最後に足がすくんだ。僅か45cm程の平場を進まなければ目的の場所に到達しない。高所恐怖症の人は絶対にダメだ。覚悟を決めて進んだ。

 

遠くに見えていた暗くて四角い場所に辿り着いた。中から外をカメラに収めた。何号ピラミッドだったのか忘れてしまったが、あれから30年、今はもっと整備されているのだろう。

夕日がジャングルの海に沈む。ここでの世界観は異質だった