今日はさいきん考えたことをダラダラ書いてみようと思う。
発端は「トランスフォーマー」の監督、マイケル・ベイである。
トランスフォーマーなんて、モロに家族で見に行く系の映画にして
あの過度な残虐描写。
ロボット達がグッチャグッチャに殺し合う戦闘シーンなんてのは、
あれ機械だから、ぼくらはヤー!ヤー!なんつって見てるけど、
あれがもし人間だったら、内臓まき散らしながら死んでくわけで、
そんな映画は問題ありまくりだから、
わざわざロボットに置き換えてあるという。
そういう「安心して見れねえよ!」っていう位の残虐性が
この人の作家性なのかな、と思って、ちょっとイヤな感じだったんだけど。
ところがこの人、なかなか悲しい人で。
お父さんがいなくて、お母さんと暮らしてたのかな?
養子だったのかも知れないけど忘れたけど。
で、子どもの頃に自分のお父さんは、
ジョン・フランケンハイマーという映画監督なのだよ、
という事を聞かされて、
お父さんみたいな映画監督になるんだ!って事で
カーアクションとかにずっとこだわって映画をつくってきたわけですが。
ところがフランケンハイマーが亡くなるちょっと前にDNA鑑定してみたら
ぜんぜんお父さんじゃない事が分かって、もう最悪!
「あんなつまんねぇ映画撮ってるヤツが父親じゃなくてよかったぜ!」
みたいな事をブログに書きなぐったりして、全米が泣いたという。
だから、もう、ぼくは、マイケル・ベイは許す。
で、そのマイケル・ベイの「トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン」ですが、
月の裏側に何かがあって、それに触れた途端何かが目覚める
という、コレはアーサー・C・クラークの短編、「前哨」の感じですね。
だからこの映画で月の裏側にある何かは
「センチネル(前哨)・プライム」っていう名前なんだ。
どうでもいいよ!っていうね。
さて、そのクラークの「前哨」という短編。
キューブリックの「2001年宇宙の旅」の下敷きとなったとされています。
で、実際、キューブリックとクラークが相談して作った話を
それぞれ映画と小説にしたって事だそうです。
まあ、誰に聞いても「難解」と言われる映画ですが、
シナリオの段階ではナレーションでぜんぶ説明してあったのを、
完成間近になって、そのナレーションをぜんぶ外しちゃったそうで、
そんな映画は分かる方がどうかしてる。分かんなくていいんだよ。
とにかく、色んな解釈がされてる映画ですが、
作った側の意図は一通りしかないという事やね。
そのナレーション付きのシナリオを読んでみたい気もするが、
読まない方が幸せなのかも知れない。
この映画について、ぼくが最近思ったのは、
公開が1968年、冷戦がかなりこじれて来た時期で、
つまり、この映画で言うとモノリス的な
何か超越的なものにしか冷戦を終わらせることは出来ないんじゃないか
という空気感の時代の話なんじゃないかなと。
ルックスは全然違うけど似たような話に
アメコミ原作の「ウォッチメン」という映画があります。
「現実世界にヒーローがいたら」という話として紹介されてますが、
ちょっと言い方が違うような気もするが、まあそういう話です。
もうちょっと言うなれば、
「この現実世界の歴史に、ヒーロー達が絡んでいたとすればこういう感じだ」
という話ですかね。
この青い人Dr.マンハッタンという、人間核兵器みたいな人なんだけど、
こいつが現れたことで、冷戦という形で均衡していたパワーバランスが
かなり微妙になってくるという話ですね。
さっき書いた、
「何か超越的なものにしか冷戦を終わらせることは出来ないんじゃないか」
です。
しかし現実的には、冷戦というのは、なし崩し的に、
終わったというか、なんだかよく分からなくなっちゃった感じで、
2001年のアメリカ同時多発テロ以降、さらによく分からなくなっちゃって、
という今、振り返って見てみるとなかなか面白い。
あと、ウォッチメンには
こいつが、自分がヒーローである事とか、Dr.マンハッタンの能力とかを利用して
自らその「超越的な存在」になろうとする
オジマンディアスというキャラクターが出て来るんですが、
この「オジマンディアス」というのは、
ラムセス二世というファラオのギリシア語名だそうです。
ラムセスさんがどういう人かはググってください。
もうひとつ、ウォッチメンという映画に関して言うと、
「原作のマンガに描かれているカットとかを完全に再現」
なんていう風に紹介されてますが、これもちょっと違って、
実際にはマンガの1コマ1コマを
そのまま絵コンテに置いていったそうです。
どうでもいいよ!っていうね。