【ご報告】おもちの四十九日 | ぴょんぴょこうさぎ

皆さんこんにちは☺

今日は12月25日、クリスマスですね🎄

 

そしてわたしにとってとても大切な日、おもちの四十九日です。

この記事では、おもちのことについて、整理しながらだらだらと書きます :)

拙い文章のうえ、完全に自己満の記事になりますが、どうかご了承ください🙇🏻‍♀️

 

  • わたしとうさぎ
  • おもちとの出会い
  • おもちとの生活
  • おもちとのお別れの日
  • 今日までのこと
 

 

 わたしとうさぎ

 

わたしは小さいころから動物が好きでした。

田舎で育ったので、親鳥とはぐれてしまったすずめが庭で弱っていて、家で保護したり、

亀や金魚を飼ったり、野良猫と遊んだり。

昔から猫を家に迎えることが夢で、両親にねだったこともありますが、

壁を傷つけられるからと父から反対され、諦めていました。

うさぎを迎えることになったきっかけは覚えていませんが、小さなうさぎブームもあり、

家族全員でホームセンターのペットコーナーに行き、お迎えしたのを覚えています。

 

人生で初めてお迎えしたペットがうさぎでした。初代うさぎの「リリー」です。

グレーの毛がきれいな女の子でした。

その子は4歳ほどで(今思えば)子宮疾患で亡くしました。

(犬猫中心の動物病院にかかっており、その時は膀胱炎だと診断されていました)

 

それから数年後に迎えたのが「まる」、この子もグレーの毛でリリーにそっくりな男の子でした。

リリーのときに病院選びに失敗したこともあり、エキゾチックアニマルに詳しい病院を探してのお迎え。

まだ子ウサギのときに病院に行ったときに、持病があることを聞かされ、

返品も考えたほうがいいといわれましたが、その選択肢はなく、ずっと家族の一員だった子です。

病気がちで、よく母に病院に連れて行ってもらっていましたが、それでも5歳ほどまで生きていてくれました。

 

ペットロスが激しいので、もうこの先動物はいいかな、と思う時期もありましたが、

やはりうさぎが好きで、うさぎをまた迎えたいと思っていました。

 

 

 おもちとの出会い

 

今の夫とまだ結婚する前、東京で同棲をはじめたときに、マンションがペット可物件ということもあり、

うさぎを迎えようとひとりで勝手に決め(笑)、夫にも宣言し、

周囲に信用できるうさぎを診られる病院があるかどうかを調べたり、

血統書のあるうさぎ専門店から迎えようと決め、いろいろと調べたり、準備を進めていました。

 

今でも覚えていますが、原宿のブライトリングで夫が時計を購入しているときに、

わたしは急に思い立って目を付けていたうさぎ専門店のサイトをチェック。

そのサイト上で一目ぼれしたのが、おもちでした。

 

 

うさぎ専門店HPのうさぎ紹介ページで、まっしろでふわふわで目の赤いうさぎをみて、

「この子を迎える!!!」と決め、すぐにお店に行き、実際に会いに行きました。

実物を見てもとってもかわいくて、この子しかいないと確信して、すぐにお迎えを決意。

そこで、ゲージなど必要なものを購入し、お迎え日を決め、

家で夫にゲージを組み立ててもらいまだ誰もいないゲージを眺めてはお迎え日を心待ちにしていました。

 

そして、2018年7月18日に、おもちは正式的にうちの子になりました🐰

とても暑い日だったので、暑さの中の移動と緊張とで震えるおもちの姿を今でも覚えています。

 

 

 おもちとの生活

 

おもちとの生活はとにかく、癒し!可愛い!天使!というかんじ😂

毎日とっても幸せでした。

それと同時に、ペットを亡くしたトラウマもあって、

一日が終わり家に帰るたび「生きてる!?!?」と確認してはホッとする日々。

 

 

特にわたしがおもちに感謝していることは、存在そのものがわたしの支えになってくれていたこと。

 

おもちをお迎えしたあとしばらくしてから、わたしの人生の中でとってもつらい出来事がありました。

このまま居なくなりたいと何度も考えてしまっていましたが、

それを思いとどまることができたのはおもちの存在があったからです。

特に、夫の転勤が決まり、同棲解消しひとりで東京で生活していたときには、

「わたしがいなくなったらこの子は生きていけないもんな」と考えていました。

今考えてもあの頃のわたしはおもちのために生きていたと言っても過言ではないくらい、

わたしにとっての生きる意味で、心の大きな大きな支えでした。

おもちが居なかったら、たぶんわたしは今ここにいないんじゃないかな?とすら思います。

 

それから、夫との結婚が決まり東京から大阪の大移動!

縁あってねこを迎えることになり、ねこにぺしぺしされたり追いかけられたりするなど

おもちは生活のなかでいっぱいの変化があり、今考えても苦労かけちゃったな~と思います😂😂

 

特にねこを迎えてからは、ねこにいじめられちゃうかもしれないという懸念もあり、

おもちを自由に外で遊ばせてあげられなくなってしまい、今でもそれが心残りです。

 

 

 

 おもちとのお別れの日

 

おもちとのお別れは、ほんとうに突然でした。

エンセファリトゾーン症による、突然死でした。

 

もともとおもちは不正咬合があり、左上の奥歯が伸びてしまい、チモシーの食べが悪くなることがしばしばありました。

1~2か月に一度は歯を削る処置も頑張っていました。

 

病院にかかる数日前からチモシーの食べが悪くなっており、

また、前日にはなんとなく左に顔が傾いている様子が見えました。

 

 

しかしこの傾きが左側だったので、左奥歯が伸びていることによるものなのか

エンセによる傾斜なのか、わたしには判断ができませんでした。

(もともと歯が伸びているときに何かを食べようとすると、口が痛いようで左に顔を傾けることはよくありました。)

 

また、おもはアルビノのため光に弱く、強い光が目に入ると顔をふらふらさせてしまうことがあるため、

これも判断を鈍らせてしまうひとつの要因だったのかもしれません。

 

そして病院当日。診断結果は下記ツイートどおり、不明でした。

 

 

歯もそんなに伸びていなかったそうですが、念のためカットしておきましたと言われました。

この時の写真を見てお分かりになるかどうかわかりませんが、若干後ろの足の動きがおかしいような気がしてました。

(なんかびっこひくような感じ?)

 

でも先生も特に問題なさそう、とのことだったので、

「歯もカットしたし、また落ち着いたらいつものようにもとに戻るだろうな」と信じていました。

 

そこから家に帰ってしばらくしてもずっとおもはうずくまったままでした。

フードも大好物のチモシーの極みも食べないし、水も飲まないし、おかしいな…と思いました。

 

お昼ごろ、おもに声をかけて、頭を撫でたら、おもがそのままふらっと動き、

トイレに逃げ込みましたが、そのままふわーっと後ろ向きにばたりと倒れ、動かなくなりました。

 

目は開いているし、呼吸もありましたが、何となく直感で、「あ、もうこれダメかもしれない」と思いました。

正直なところ、このまま亡くなるのなら、家で静かにお見送りをしようかと思ったのですが、

念のため、もし可能性があるなら…と思い、すでに休診時間の病院に電話をかけたら、

「緊急なので診ます、すぐに連れてきてください」と言われ、走って病院に連れて行きました。

走りながら、何度も止まってはおもちが生きてるかどうか確認して、めいっぱい急いで走りました。

 

病院に到着して先生に診てもらうと、

バタバタと暴れては倒れてまっすぐに座ることもできないおもちが必死に抵抗していました。

先生も、そのおもちの様子をみて、「もうこれ…」と漏らしてました。

きっと、多少の延命処置くらいしかできない状態なんだろうと察し、

本当にもういなくなっちゃうんだなとその様子をただただ見ることしかできませんでした。

 

それくらいの頃に、病院に連れていく前に連絡しておいた夫が病院に到着しました。

その時にはまだ息はあったので、夫もおもの最期に立ち会えてよかったです。

 

その後診察室の奥にある手術台におもちは連れていかれ、

小さい体にたくさんの装置をつけ、注射を打ち、

先生による人工呼吸や心臓マッサージを受けている姿は見ていてとてもつらかったです。

心拍計の数値がどんどん落ちていくのを泣きながら眺めていました。

いつがおもちの最期の瞬間だったのか、よくわからないまま、

「まだ心拍数はありますが、これは心臓マッサージをしているためで、もう息はありません。

このまま処置を止めてよろしいでしょうか」と言われ、おもちが亡くなったことを知らされました。

 

それからはあんまり記憶になく、

さっきまでこのゲージの中で息をしていたおもちが息を止めて家に帰ってきたこと、

もうすでに少しずつ固くなっていくおもちをみても信じられませんでした。

 

 

 今日までのこと

 

おもが居なくなってからもずっとその事実は受け入れることができませんでした。

最近はやっと、"おもちが居ない生活"に慣れ始めていますが、

それでも"この世に"おもが居ないことは信じられないです。

なんだかまだどこかにいてくれているような気持ちです。

 

エンセは駆除の薬を投与しても効果が出るのは1~2か月はかかるそうで、

おものように突然症状が出た場合はほとんどなすすべがないそうです。

先生も見抜けず、一緒に生活していたわたしでも見抜くことができませんでした。

そして気づいた時にはすでに手遅れの状態でした。

 

きっともうどうしようもできなかったんだろう、

むしろ苦しい闘病生活が長くあったわけじゃないから、苦しむ時間は短かったかもしれない、

と思うようにして、なんとか心を保っています。

 

おもが亡くなってからも、立ち止まることなくねこのお世話に追われ、

そのおかげで気が紛れているところもあるかもしれません。

ふとしたときに、もうおもがいないゲージを見るのがつらいです。

おもがいた部屋を頻繁に確認する癖もまだ抜けません。

たまに、おもが「ごはんくれ!外に出せ!」とアピールするときにトイレをガシャンガシャンと鼻でつつく音や、

ゲージの中で移動する音が聞こえてくるような気がします。

 

やっぱりまだふとしたときに涙がでることもあります。

 

でも、これだけは自信を持って言えるのが、

おもはうちの子になって、絶対に幸せだっただろうなということ。

めいっぱいの愛情ですくすく育って、穏やかに過ごせたんじゃないかと思っています。

 

 

 

 

おも、うちの子になってくれてありがとう。

おもが居なかったら…と思うほどおもにはたくさん支えてもらって、癒されてきたよ。

ティガのことも、ソルのことも、うまくやってくれてありがとう😂😂

次もきっとどこかで会えるといいな、

おも、ずっとこれからもわたしの大事な娘だよ

ずっと忘れない 大好きなおもち、本当に本当にありがとう。またね!

 

2018.04.20-2022.11.07 🌈