左のエースナンバーのうそほんと | いつもごろごろきまぐれ日記

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昨日のエントリーでジャイアンツの18番について書きました。

今回は、左のエースナンバーとされる21番についてです。


これは、V9時代のエース高橋一三さんにちなんで与えられた称号です。


しかし・・・

高橋さんが21番を背負ったのは1967~75年の8年間でした。

高橋さんの後に21番を付けたのは、右の加藤初さん(1976~90年)でした。


加藤さんの引退で、当時、唯一の先発左腕だった宮本さんが21番になりました。

この辺りから、21番が「左のエース」の番号と認識されるようになったのではないかと思います。

しかし、これも1991~1997年と7年で終わり、次に21番を付けたのは、またも右ピッチャーでした。

1998~2002年がチョ・ソンミン選手、2003~06年が木佐貫選手と右の本格派が相次いで背負ってました。


2007年に、高橋尚選手を「左のエース」ということで背番号21に変更となりました。

(これは、原監督が高橋選手に告げたとされてます。)

この結果として、背番号21が「左のエース」の番号ということが、広く認識されることになりました。


実は、ジャアインツの21番は、左のエースナンバーという認識があるものの、決して左のエースがつけていたわけでは無いということです。

もっとも、ジャイアンツは伝統的に左ピッチャーが大成しない傾向にあるんですよね。


100勝を上げているのが、前述の中尾さん、高橋一三さんしかいません。

記憶に残る所では、70年代後半の新浦さん、90年代の宮本さん、2000年代の高橋尚選手、内海選手くらいでしょうか。


果たして、次に「背番号21」を背負う選手が、名実共に「左のエースナンバー」として定着させることができるかどうか・・・

そういう意味では、是非、杉内選手に付けて欲しい番号であります。



さて、プロ野球全体で見ると、34番(金田さん)、47番(工藤さん)が左ピッチャーの代名詞になっていますね。

この両者ともジャイアンツに移籍し、その番号で活躍をしました。

現在、34番は永久欠番になりましたが、47番は山口選手が付けています。


21番よりも47番の方が左ピッチャーの番号として定着しそうな気がするのは、僕だけでは無いと思います汗