東北から箱根へ
書けば一行で終わる言葉の重み・・・
ずっとずっと子供のころから探し求めていた神という存在。
それは形もなく、気合もなく、使命感もなく。。。
ただあったのは、大気の呼応。
低気圧と高気圧の交わりの中で発生する地上だけが見ることが出来る特権。
それは空に描かれた平の虹のキャンパスだった
11月初めに私たちは先ずは岩手県遠野から入り、円仁上人の仕掛けた「大乗の心」の「天忍穂耳尊」を追悼する施設へと向かった。
早池峰山にある神社の主祭神は瀬織津姫に変えられていたが、その本体は「早池峰山」と「栗駒山」と「岩手山」を結ぶ師匠と弟子の関係だった。
この謎解きが出来なければ、このような虹は出なかっただろう
前日に「早池峰山」に入り、その後「栗駒山」と「岩手山」に行くことが出来なかった。時間的にきつかった。夜に出発して岩手に着いたのが早朝。それでも二つの山には行けなかった。
そのまま宮城県に向かった翌日に、北の方角の岩手方面から出た「まっ平の虹」だった
まるで、「栗駒山」と「岩手山」に行けなかったことを知っているかのように・・・
来なくても早池峰山から繋げたからねというような優しい虹だった
早池峰山は修験道がある神を守るために、祭神を変えて格を守った場所である。
その神社こそ「早池峰神社」なのだ。
大きなところは山周辺に三か所ある。
この山に登る三か所にあるからである。
見るとどこも祭神は「瀬織津姫」となっていた。
しかし・・・ホツマを研究して霊的につながれば、そのご祭神は女性神ではない。明らかに主祭神は瀬織津姫ではない。
では誰なのか?
私は東北への神事はずっと先延ばしにしてきた。それはあまりにも畏れ多い場所だからである。なぜだろう・・・東北一体はとてつもなく哀しみと憎しみに満ち溢れている場所だったからである。
そのような場所にむやみに足を踏み入れるのは祟られる、そう思って来た。
なのに私の母方の祖父は河童(かっぱ)を釣っている。それも静岡市清水区の川で・・・
河童伝説を調べると、なんと遠野という地名が浮上したのだ。
それから遠野がやけに気になる・・・でも岩手県には何があるのだろう・・・
一度だけ十年くらい前に花巻にある早池峰神社に祈りに行ったことがある。
でも何も得られなかった。
(まだ駄目だ。まだまだ謎を解き明かしてからでなければ、この地を踏んでは失礼にあたる)
そう思い、更に古代史を調べた。西日本の神社や伝承を調べ、ことごとく祈りに行った。まずは西からだと。
西は幸いにして歴史的伝承が残されている。京都、奈良、伊勢、滋賀は何度足を運んだだろう。聖徳太子の謎を解くテーマで・・・
そして私はついに『ほつまつたゑ』の真髄を知ったそれが「あめなるみち」という「との法」であった
その法は、霊的な感覚は地上界の泥臭い人間の情の上にはなく、神の領域にもなく、その法は自然界の循環の中にあり、人間にもあらゆる生き物たちの中に一粒の種として与えられている法であった。
しかし、その法に一度触れると、人間界のゆがみが一度に噴き出てしまい、思うように生活が出来なくなってしまうことも知った。
だから長い長い時をかけて、自分の中の種を育てるしかなかった
そしてついに、法に触れることを許されたように思う。もしもまだ許されていないならそれでもいい。
私はとにもかくにも、ようやく虹が証明してくれたように、東北へ祈りの旅に行けたのだから・・・
今回、急遽同行してくれた同士に感謝している。
これからも日々学びだと思う。でもそれはとても楽しい学びであることは間違いない
宮城県に入り、岩手山にお参りできなかったことが唯一の心残りであった私の願いを叶えてくれたまっ平な虹
その虹の方向は、宮城県から見れば真っすぐ北にあった。
その虹の距離からして「岩手山」の八幡平方面であった。
平たいら八幡・・・「とほかみゑひため」
今回の虹は、高いアーチを描いた虹ではなく、低い位置に出た平な虹。
まさに「八幡平」方面。
八幡平は「とほかみゑひため」を祀る場所。
だから八か所ある。
岩手山と八幡平は豊受大神と「とほかみゑひため」八神の関係なのである。
更にその北側にあるのが「栗駒山」なのだ。
早池峰山と栗駒山、岩手山の三山は、まさに男系男子の皇位継承の代表的な天皇たちを象徴している山だったのだ
早池峰山は天照大神、栗駒山は忍穂耳尊、そして岩手山は豊受大神なのである。
それは天御中主神から国常立尊、そして生まれ変わった豊受大神さまの「あめなるみち」直伝継承神の三神。
更に、女性神も三姫神。
実は三姫の伝説は岩手県遠野に残されている。その三姫とはまさか、今回謎を解いた姫神三人かもしれない。
順当に読めば、三姫とはハヤコの残した三女神(宗像三女神)になると思うが、単純でない仕掛けならば三女神はあり得ない。
東北青森に嫁に行ったのは、タケコ姫であるが、後の二人は方角が違う場所に嫁に行ったから、三女神が一度に東北に来て、東北の三つの山のところに嫁に行ったのはおかしい。
真の三人の姫神もまた伝説の中で残されている可能性がある。
三女神でないとしたら・・・
そう、もうこの答えは私の中にある。(申し訳ないが、女性三姫のお名前はまだ公表できない。まだその時ではない。)
今回、祈りの時に男性三神、女性神三人のお名前をお呼びした。その結果がこの虹でもあると勝手に思っている。
虹が二回でたのは、その証拠。
男性神と女性神の合流であったのかもしれない。
更に、「との法」の師匠、豊受大神を表す山「鳥海山」の近くにある「鶴岡市の鼠ヶ関」の海上で発生した竜巻も出た。
鳥海山は昨年に行っている。まさに豊受大神が天照大神を天から頂くための祈りをした山であると、鏑邦男氏(『ほつまつたゑ』研究者)は見ている。私も肌でそう感じた。確かにこの山は宇宙神と繋がる山だと。生半可な気持ちでは登れない山だと。
男性の神三人、女性の神三人のお名前をお呼び上げして初めて六芒星となり、結束できることを今回のこの自然現象で知った
さて、円仁上人の大事にした大乗の経典には「妙法」という言葉がある。
生前、私の師匠が遺してくれた遺言には、次のような言葉がある。わかりやすく私なりの説明を加えながら書いてみた。
「妙」とは誰にでもある「命」そのもので、奇跡的なこと、尊いことで目には見えないものである。
「妙」とは天と地の法則でもあり、それを逸脱して生き抜くことは不可能である。
故に「妙」に気付き、与えられた法則に従って目には見えないことを信じ抜いて、精いっぱい努力して生きることを楽しむことである。
「法」を知る第一歩とは、先ずは「妙」の実験からである。
「妙」という見えない力が本当なのか、苦しみの現状から一粒の光を信じて生きられるかどうかを実験してみること。
その実験の結果が正しいと認識出来た時、「法」が生まれるのである。
この「法」は弱くもなり、強くもなる。ただひたすらに「妙」を実験し、その体験により、信仰の心を強くしていくことである。
「法」は決して幸せな時には出来ない行為である。苦しみの時こそ、「妙」を実験したくなるのだから。
幸せな時にはただの「恵み」である。苦しみの時だからこそ神の導きであるのだ。
このように「妙法」とは、ダイヤモンドのように鋼のように、火で溶かしても溶けず、濁流に流しても砕けず、叩きつけられても壊れず、それは形無き信仰心。
ゆるぎない正直な心で描く円のように、まっさらな心で「妙」を信じ、「法」を行うことである。
今回は語尾を変えて載せてみました。
これからも私という存在が、先ずは自分の為にあり、その次に家族の為にあり、そして仲間の為にあるように・・・またブログ購読者の方々へ変化や変革の影響になるのなら幸いです