こんにちは。
一か月以上空いてしまいました。お待たせしました
密教占星術で占うと、日本国は来年9月末でようやく2年3ヶ月の間続いた破門殺を抜けます
今回は前回前置きしました日本におけるある大きな仕組みについての気付きに着目してみたいと思います。
この国の宗教は諸外国からかなりの影響を受けつつも、最後まで染まらず何とか細くても続いていることが二つありました。
かなり大きな区分け法で見てですが・・・
一つは「天皇制」ですそれも男系男子の皇位継承です
二つ目は「密教」の中に仕掛けた仕組みです
密教という教義は、あらゆる宗派を受け入れ溶け込ませて来た故に残されたのでしょう。
一つ目の天皇皇位継承問題については、以前から私が『ほつまつたゑ』を通して分かたことで、何度も書いていますので詳しくは割愛しますが・・・しかしこの男系男子の皇位継承が崩れ去った時、今の世界中の文明は一度終わることは、しつこく言っておきます。
今回は二つ目の密教の中に隠された仕組みについての説明をしていきます。
密教と言えば、日本において立ち上げたのは弘法大師・空海さんですね
(以後、敬称を略して空海とします)
私にとって空海は魅力的な人物です。知れば知るほど恐ろしく、どこか客観的に物事を捉え、切るべき人とはバッサリ切り、人情に厚く、直観力に優れているのです。捉えどころのない人物だと見立てています。
空海がなぜ危険を冒してでも唐へ行こうと決意したのか・・・
実はこの答えの中にこそ、今回の密教の日本国に仕掛けた謎を解くカギがあるのです
空海はある奇跡的な体験をしたのです。その直後に入唐を決意たように見受けられます。
その奇跡的体験とは「虚空蔵菩薩求門持法」(こくぞうぼさつぐもんじほう)を習得した時に起こりました
「虚空菩薩蔵求門持法」とは、一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、これを修した行者は、あらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなると言われている密教界きっての秘法です
空海はこの体験があったからこそ、唐へ何をしに行くべきかがはっきりしたのだと思います。
それまでは、「大日経」という日本ではまだ誰も答えることのできない理解不能は経典を取りに行く目的だったでしょう。(大日経の隠し場所の夢を見ていますので)
しかし、虚空蔵菩薩を呼び出す呪文を唱え続けた満願の日、ついにその決意の意味がはっきりとしたのです。
空海の口の中に明けの明星が飛び込んで来たという奇跡体験をしたからです。
密教には大きな二つの柱があります。それは空海が唐から持ち帰った二種類の曼荼羅で分かります。
一つは胎蔵曼荼羅(胎蔵界曼荼羅)です。
大日経を中心として描いた曼荼羅です。
中央の蓮華の法座の上に大日如来(宇宙創造神)が座っています。
蓮の花が咲く条件は泥沼の中でしか咲きません。
そして咲き誇った花はやがて枯れて実になり、種子が詰まって重くなった花弁は、やがて頭を垂れてその種(子孫)を泥沼の中に落とします。
このように誰でも種として生まれ、やがて人生の栄華を過ぎ、枯れてまた元の場所に帰っていくのだ、というお釈迦様の教えを説いているのが大日経です。
人生の栄枯盛衰を知りながらも、その種に誇りを持ち、向上心を忘れずに周囲を清める役目があるのだ、と説いているのが胎蔵曼荼羅です。
全ての人が大日如来から平等な「徳=仏性」をもらっています。
それを活かすか活かさぬかは私たちの向上心次第なのです。
さて、もう一つは金剛曼荼羅(金剛界曼荼羅)です。
その中央に座すのはやはり大日如来なのですが、胎蔵との違いは、「智慧(ちえ)」にあります。
全部で九つに分かれて描かれているので「九会曼荼羅」(くえまんだら)とも言います。
宇宙と地上の仕組みは胎蔵曼荼羅で分かりますが、一方で人間界の荒波に紛れ込んだ時、その理想世界は忘れてしまうものです。
しかし、この金剛界曼荼羅での教えは、強い意志力と誰にも負けない根性と根気があれば、必ずやその問題を解決することが出来るのだよ、と教えています。
苦しみの最中はその痛みの患部にしか目が行かないものですが、もっと広く視野を広げ、仏性から見ると、そこには真理の宝が見えて来ます。物事には種が必ずあるのだということです。その種が育ち、芽が成長し、やがては実(結果)となって目の前に現れるだけだ、という教えです。
真理から外れた行動を取っていたとしたら、初めの種が腐っていたのではなく(種は誰にでも平等に与えられているので)、種にとって環境やタイミングが間違っていたのか、あるいは自らが仏性から外れた道を歩いたが故の結果だったことに気が付くのです。
金剛曼荼羅とは、このように智慧を与えて元の宇宙からの慈愛に帰る心に気が付かせてくれる曼荼羅です。
ですから、金剛界系の教えは、経験や学びが必要だという教えです。一度その道を知れば、苦しんでいる他の人の立場も理解できます。
当時、インドから渡って来た多くの密教経典がシナ国に多数入りました。あまりにも煩雑過ぎてまとまりが付かなくなっていました。
そこでこれらの密教経典の世界観を、より身近でわかりやすい絵図にしたのが「曼荼羅」という仏の世界です。
空海の師匠「恵果」はこの多くの曼荼羅を、大きく二つの柱に分けたのでした。
こうして胎蔵曼荼羅と金剛曼荼羅に分けられたのです。
(この時から、「界」を付けて「胎蔵界曼荼羅」・「金剛界曼荼羅」と区別するようになりました。)
天と地の曼荼羅、胎蔵と金剛の両部曼荼羅で「不二(ふに)」と言います。
物事には裏と表があります。宇宙と地球の間にも、地球の中にも、性別にも陰陽があるのです。
どちらか一つが欠けているのは不完全。伊勢神宮がなぜ外宮(とみや)と内宮(うちみや)に分かれているのか、という問いの答えにもなります。
最澄は唐へ行って沢山の経典や書、曼荼羅などの重要な資料や文化を持ち帰りました。
そして唐で著名な学者や政治家、高僧などに日々会っていたのです。
つまり、密教の全てを持ち帰りたいという思いが先に立ってしまっていて、本人が密教の理解をするまでに至らないまま帰国してしまったのです。
しかし、もしも最澄が多くの経典を持ち帰っていなければ、その後の素晴らしい弟子たちが日本において生まれていないでしょう。
最澄のプレゼントしたあらゆる経典というテキストがあったからこそ、その後の日本古来の文化に繋がったのです。(特に江戸時代)
空海はというと・・・胎蔵・金剛の両部に分けていた師匠に、直伝で伝授してもらうためには、先ず何が先決かを見切っていたのです。
そこでサンスクリット語(梵語)を日常語として読み書きができるように、唐の微妙な方言に至るまで、徹底的にサンスクリット語が得意な僧「般若三蔵」に習いました。それは、経典を読み書きするだけではなく、これから会う恵果と、冗談交じりの会話まで出来るように、恵果と心を通わせるための空海の作戦だったのです。
一方、死期が近づいていた恵果は、まさに異国の地から来るその役割を持つべき人、空海を待っていたのです。
それを受け継いだ空海は唐から多くの密教経典や道具、もちろん思想まで持ち帰りました。
しかし、ここまでが一般的な内容です。
ここからは私的な専門的見解になるかと思います。
↓
(恵果にとって、密教を伝授するのは、祖国唐人ではなく、日本人でなければいけない理由があったはずです。その理由を私は探しました。)
空海が唐から持ち帰った経典の中に、ある異質な経典が含まれていたのです。
その経典はその後、ライバルの伝教大師・最澄(以後、最澄と略す)のお弟子さんたちにより、足りない部分の経典が入り、研究されました。
その経典こそ「宿曜経」でした。
まさに星の世界を語っている経典?です。その内容はもはや経典と言えないかもしれません。
星の性質を人に当てはめて、毒々しく書いているのです。
さて、この『宿曜経』はその後、星の鑑定に変化していきました。
私論です👇
空海から最澄の二つの「密教」(東密と台密)の実相部門である「術」や「祓い清め」は、実は古代の天の星に祈りを捧げていた縄文の教え「あめなるみち」と同じだったということ。
密教のみが両部曼荼羅という陰陽に分かれた柱があること。
更に言えば、現在残っている神道の世界にも紛れ込ませた可能性が高い!
先ずは、古代の天の星に祈りを捧げていたという意味について説明します。
豊受大神が日本の国土を守るために天の親「アメミオヤ」から授けられた「あめなるみち」という教えを天照大神に授け、また、豊受大神のひ孫、忍穂耳尊(オシホミミ)にも直接授けたのです。
「あめなるみち」とは、天の事象と地の結果が同じになるという起点に立った様々な方向からの道、つまり「いのちの示し」なのです。
この豊受大神、天照大神、天忍穂耳尊の三神は実在していた天皇です。
神話の世界ではありません。列記とした実在人物です。
そしてなんと、「直伝」という点が今回の大発見に繋がったのです。
さらりと書きましたが、実はこれは私にとって大きな発見でした。
なぜなら、密教の世界も古代神代の道の世界も、「直伝」だったからです。
初めに悟りを開いた師匠から直々に生で伝えられる教え出なければ、その道はどんどん薄くなります。
その発動されるパワーも薄くなり、更には道さえも変えられてしまったり、付け加えや削除が成されるものです。
豊受大神という神は、人であって人ではない方。それはもう宇宙の御祖神そのものだったと言っても言い過ぎではないと思います。
豊受大神から直接教えられた道・・・その直伝を受けられた方はお二方しかいません。
それが天照大神と忍穂耳尊の二人、このお二人の天皇しかいません。
その後は道が薄れて行きました。
その証拠に、天忍穂耳尊の子、瓊瓊杵(ににきね)尊は、既にサクヤ姫を得たのに、サクヤ姫の姉、イワナガ姫の女の誘いに乗ってしまったのです。
その悪しき心に気が付かずに・・・
その後、九州地方と、中央政府との間でいざこざが起っていき、ついに神武東征まで長引きます。そのきっかけは瓊瓊杵尊の二心(ふたごころ)に要因があったと思います。
「道」とはかように重要な教えなのです。
直伝でなければ正確に伝わらない上に、周囲まで巻き込む事件にもなりかねません。
「直伝」という重要なキーワードには、天から人の形で降りてこられた宇宙大神の思惑があるのではないかと・・・
つまり、宇宙大神「アメミオヤ」が人の姿で降りて来られてから、数代経て、ようやく人が理解しやすい「あめなるみち」という教えを作られました。
この「あめなるみち」を天皇に直接伝えた方が豊受大神です。豊受大神から伝えられた天皇とは、天照大神、次の天忍穂耳尊でした。それは「直伝」という形で伝えられました。
「アメミオヤ」から「あめなるみち」を伝授された豊受大神・その孫、天照大神・その皇子、天忍穂耳尊の三神を祀ることで、天の事象を動かすことが出来るというすごい仕掛けがあるのではないか?!
という仮説に基づいて調べたところ、なんとすべてが密教の重要人物が立ち上げた拠点と一致していたのです。
またその拠点は、むやみに手を入れて変えることが出来ない地形でした。
また密教の中なので、独特な宗派の教えに溶け込んでいるため、非常にわかりにくい仕掛けになっていました。
密教は世界中の宗派を取り入れてしまった特殊な教えなので、実際に専門的に学ばなければ理解不能なのです。だからこそ、古き神代の時代の教えがそのまま残されたのかもしれません。
空海は神代の時代の「あめなるみち」を理解していた(推論)ので、金剛界系の経典(特に理趣経)や金剛界系曼荼羅を最澄に貸すことをしなかったのだと思います。
空海と最澄の理趣経の貸し借りのやり取りが、真の密教の規則「直伝」に的を当てているところがあるので、少し書かせてもらいます。
まず最澄は、「自分は忙しいから弟子を代理として使わせるので、自分の代わりに金剛界の密教を教えて欲しい。」と空海に頼みました。
年上の最澄が年下の空海に頼むのですから、最澄にしたらかなり自分を抑えての上での懇願だったでしょう。
しかし、空海はあっさりと断ります。
それならばと、最澄は再度、「では自分が行くから短期間で凝縮して教えて欲しい。」と言います。(最澄は超多忙だった)
恵果から密教の奥義を授けられ(わずか三か月足らず)、伝法の後継ぎになった空海に対して、最澄はきっとこう思ったでしょう。
(私なら空海よりも前から仏道には学識がある。修行も小さな頃からしていた。国付きの僧として最高の地位にあるこの私が、わずか三か月足らずで会得した空海ごとき下っ端に負けるわけがない。私なら一か月もいらないくらいで会得出来る。今度こそ教えてもらえるぞ~)と・・・
しかしまたも空海は最澄の申し出を断ります。
真の密教は、正しい師匠からの直伝でなければならないからです。
その理由として空海は、年上の最澄に平然と、このように伝えました。
「密教とは一から学ぶべき教えで、最澄さま、あなたが唐で習得してきた密教は残念ながら密教ではなく、ただの真似事に過ぎなかったのですよ。
真の密教の奥義を知りたくば、初めの初め、初歩の初歩から学んでください。そうですね、最澄さまならば優秀なお方ですので、三年も修行して頂ければ、必ずや奥義まで会得出来るかと思います。」
これにはプライドの高い最澄は激怒します。
自分より年下の空海からこういわれたのですから。
その驕りの心を空海は既に見切っていたといわれます。
こうして空海は最澄に密教の最高の奥義の灌頂を受けさせないどころか、男女の性について書かれた金剛頂系の経典「理趣経」を貸さない上、更に金剛界系の曼荼羅も見せなかったといいます。
空海と最澄の間で、金剛頂系の経典についてのやり取りがまさに神道の奥義にも繋がっているのではないかと思います。
なぜ恵果は最澄ではなく空海を選んだのか・・・
空海の師匠「恵果」は、古代の時代から天御祖神(宇宙大神、密教では大日如来、神道では天御中主神と様々は名がある)が人に教えて行った「あめなるみち」を託すべき人は、星からの贈り物があった者のみだと思っていました。
それは恵果の師匠の不空が『宿曜経』という星の物語を描いたことに由来しているのだと考えます。
不空はある日、突然自ら変な物語を話し始めました。
それは完全なレム睡眠状態の無の境地で語る、天空の星の物語でした。
これこそ『宿曜経』なのです。
突然出て来た物語を弟子に速記させ、書かせたのです。
あまりにも当時のシナ国の人には、インドで生まれ(所説あり)、インド占星術を交えた不空の語る言葉は、インド語交じりの難解過ぎた物語だったので、後にシナ国の用語に解説付きで書き直したものを作りました。
本来は、解説付きの分かりやすいものだけでいいのに、初めに語ったそのままの物語は消されることなく残されました。そこにはそれほど意味不明な言葉もそのまま残さねばならない重要な文句が入っていたのかも知れません。
こうして異例の上・下二つの『宿曜経』が出来たのです。『宿曜経』も二部構成されているのです
こういう点にも私が宿曜の星の世界に惹きつけられた理由があるのです。この中にこそ謎があるはずだと・・・
宿曜の星から選ばれた者を、ただひたすら待ち続けた恵果。
その者は古代神代の時代に宇宙から降り立った神が人の形を変えて、わざわざ日本の天皇に教えた陰陽思想。
陰陽を基盤に、世界で初めに陰陽思想で作られた国、日本から必ずやって来るはず。
恵果は、空海を一目見た時、虚空蔵菩薩の本体「明けの明星」が空海の口中に入ったこと、この者こそ星から選ばれた者、自分が待っていた者だと、すぐにわかったことでしょう。
こうして恵果は空海に託したのではないかと。。。
まさに『宿曜経』は、星の性格=人の性格とする星占いですが、これこそ『ほつまつたゑ』に登場する神々の性格そのものなのです。
なぜならば、星は神を表していますから。それはイコール、人の性格を決定付けているのです。自分が神そのものなので面白いのです。
『ほつまつたゑ』は難しいけれど、星占いなら誰でも大好きなのです。覚えやすいし、親しみを感じるのです。さすが不空さんと思いました。
こうして面白い占いは、不空は弟子の恵果に、そして恵果は弟子の空海へと渡して、空海は『宿曜経』という異質な経典を日本へ持ち帰ったのです
「あめなるみち」とは、一言では言い表せないほど広域な教えなのです。
その「あめなるみち」という教えの中で、人に応用できる法則を地球人に伝える為、人の形をかたどった国常立(くにとこたち)尊として降りて来ました。
(地球のどこに初めに降りたのかは『ほつまつたゑ』にも書かれていないので、ここは詮索無用だと思います。)
そして国常立尊はクニサツチという八人の皇子を生み、その皇子たちは世界中に散らばり、天御祖神の人の姿をした国常立尊の意志を世界中に広めて行ったといわれます。
日本ではこの八人の皇子の内、「ゑ」と「と」のクニサツチが来て、国という単位を作られたのです。
この時に「ゑ」と「と」の神が真っ先に教えたのが「陰陽」という相反する性質についてでした。
これは人間に例えれば男性性(陽)と女性性(陰)の役割違いでもありました。
次いで、国という役割(たかまの三点のバランス)、人としての生きる道(罰則)、道徳(信仰)、命(種)はどこから来てどこに還るのか、天と地の関わり(暦・曼荼羅)、未来の絵図(地球の未来構想)などについて教えて行ったのです。
性の乱れは未来の自分にも影を落とします。
近親相姦もしかり。
婚姻を結んだ者が、他の者と通じ合うような不貞行為もしかり。
これらを犯せば重いカルマとなり、子孫にも影響します。もちろん未来の自分にも。
いわゆる不倫は、バレなければ良いのではありません。
神が人に約束させた婚姻とは、天の神が仲人となって結び付けた重要な璽(しるし)だからです。それを破れば天の神との約束を破ったことになるのです。
(ゑ・と)の二神が築き上げた日本という国が陰陽の発祥地です。
発祥はシナ国ではない
縄文時代、日本に来たウケステメ(西王母)は、豊受大神から直接「あめなるみち」を教えられ、それをシナ国(当時は「夏」(か)の国)に持ち帰りました。陰陽思想を携えて、「あめなるみち」に基づいた国を作ろうと、ウケステメは夏の国の皇后(西王母)になったのです。
しばらくはシナ国には平和が続きました。信仰と道徳に満ちた素晴らしい国でした。
しかし、よそから来た移民に夏(か)は滅ぼされました。それと同時にシナ国を最後に、クニサツチの教えた「あめなるみち」の思想は滅びました。
インドからシナ国へと入った密教によって、もっと詳しく言えば密教経典『宿曜経』によって、一度シナから消えた「あめなるみち」は、再度日本から来た空海を通して、恵果が『宿曜経』などの重要な密教経典を持ち帰らせたのではないかと。。。
それは古代から続く神のみ教え、宇宙と地上を結ぶ「道」という法を、密教という隠れ蓑を着せて空海へと託し、
そのライバルであった最澄が弟子を育て、その弟子たち(円仁など)が、最澄亡き後再び唐へ行き、空海が授けてくれなかった金剛界系の密教経典や金剛界曼荼羅を命掛けで持ち帰ったという、つなぎレースだったのではないかと思います。
こうして世界の宗教のすべてを包括している密教という教えが、神代の道がまだ残されていた日本に広まったのだと思います。
空海は明らかに『ほつまつたゑ』を知っていたとしか思えない動きをしています。
当時の荒れ果てた手つかずの奥深い山、高野山をもらい受けるなど、正気の沙汰ではあり得ません。
この高野山こそ、『ほつまつたゑ』の中では重要な場所だったのです。(『ほつまつたゑ』による)
経典では中身は変えられてしまうから、星の書『宿曜経』の中に隠した。
次に、祭神で祭り上げれば祭神名を変えられたり、その場所を燃やされたりするので、神社やお寺そのものではなく、山や海などの人が決して触れないものに術を込めたのだろうと・・・
最澄から円仁へ託された比叡山という山も、天台宗の密教の祈りが日々行われています。それがしみ込んだ比叡山に、この神代の仕掛けが残されていたのです。(『ほつまつたゑ』による)
恵果も空海も最澄も、それを知っていたのか、あるいは無意識だったのかは分かりませんが、偶然にも高野山も比叡山にも、神代の仕掛けがなされているのです。
国を作り上げて来た「ゑ」と「と」の神が創り上げた国、日本。(陰陽の教えは、シナ国からではなく、日本から伝わったのです!)これを何としてでも残さねば、人類はこの地上には住めなくなるのです。(天変地異や異常気象が起こり、食の難が来たり、難病奇病が流行るなど)
先ずは比叡山の仕掛けについてです。
なぜライバルの最澄までもが慈覚大師・円仁(以後、略して円仁とする)に末期の唐に行かせ、その後の比叡山を頼んだのか?
円仁は唐で、天台にはまだなかった金剛曼荼羅をようやく手に入れました。師である最澄の長年の夢が叶ったのです。
これを手にした夜、亡き最澄が夢で現れて涙ながらに喜んでくれたのだそうです。
もう一度書きますが、曼荼羅は胎蔵と金剛の二つの柱が必要なのです。
それは天と地(陰と陽)でセットとなるからです。
空海が密教全体を表す山として「高野山」をもらい受け、最澄をはじめとした比叡山も天台を象徴する山としていずれも素晴らしき文化遺産として存在しています。
高野山も『ほつまつたゑ』では非常に重要な山なのですが、今回は『宿曜経』が後に北斗七星と北極星の星曼荼羅となった天台宗に焦点を当ててみました。
では最澄が円仁に託した比叡の山の仕掛けについての神髄に入ります。
円仁は、東北で骨を分骨しています。
東北で即位されたのは、豊受大神と天忍穂耳尊の二人です。
豊受大神のみ教えを継いだ「忍穂耳尊(オシホミミ)」を追慕するように、円仁は東北のある場所に眠っています。
世界遺産である現在の岩手県中尊寺は、元は現在の場所ではなく、少し離れた円仁の縁の場所にありました。その場所に円仁の遺骨が埋葬されています。
だから円仁は『ほつまつたゑ』の教えに気が付かれたのだと私は思うのです。
豊受大神の直伝は忍穂耳尊の時代まで。
次の瓊瓊杵尊の時代にはすでに豊受大神は神上がりしています。
空海は、『ほつまつたゑ』の重要性、特に「祓い」についての仕掛けを高野山に建てたのだと推測しています。
高野山の奥の院の辺りは、イブキドヌシという神が、ハタレ魔の断末魔の怨念を鎮めた場です。
その場に現在は高野山奥の院があり、一番奥に空海が即身成仏しているというのですから・・・
イブキドヌシは魔を祓った神です。
しかし、円仁はそうではないのです。
調べると、豊受大神の教えを受けられ、東北で即位された忍穂耳尊のお祀りする場に自らも眠っているのです。
豊受大神の教えとは、「との法(のり)」です。「あめなるみち」という、天と地の法の教えなのです。
日本中を見ると、天照大神も女性神にされていますが、忍穂耳尊は更にひどい。
馬に名前を変えられて祀られていたり、祭神を消されていたり・・・
「駒形神」とは忍穂耳尊のことと見て間違いないでしょう。
(神社で神馬が入り口に居るのは、忍穂耳尊のことを表している)
東北で眠ることを選んだ円仁は豊受大神の「との法」を絶やしてはならないと、その場に自ら入り、その場を守った。
その願いは空海とは違う意味での天と地の法則を死守する大きなお役目があった方なのでは?!
ところで、天台では最澄の後、有能な弟子たちが続々と誕生しました。
円仁、円珍、日蓮もその一人です。
日蓮も空海と同じように虚空蔵菩薩の宝珠が右袖に入る不思議な体験をしています。
比叡山がもしなければ、後の有能な宗教家が誕生していません。
空海がもたらした宿曜経が無ければ、今この時代に「密教占星術」は無かったでしょう。
さて、先ほどは空海と高野山を結びつけましたが、では最澄から円仁に繋がった比叡山はどうでしょうか。
なぜ最澄をはじめとする素晴らしい宗教家が比叡山で修行して、我が道を開くことが出来たのでしょうか?
「比叡山」には何かある!
重要な仕掛けがある!
そうです、比叡山には『ほつまつたゑ』から読み解けるキーワードがあったのです。
なぜこんなにも比叡山で修行を遂げた先達者たちが日本を宗教的価値観で変えようとしたのでしょうか。
いよいよ謎解きのクライマックスです。
比叡山は、『ほつまつたゑ』によれば人工の山です。(といっても山を馬の背のように二つの大小の頂きを作ったのであって、初めから山を全て盛ったのではないと思います)
誰が何のために作らせたのか?
誰が・・・それは瓊瓊杵尊(ニニキネ)です。
では何のために?
比叡山は忍穂耳尊を追慕するために作られたのです。
それは東北に宮を建てて即位された父、忍穂耳尊を追慕するために、子の瓊瓊杵尊が臣に命じて作らせた人工の山なのです。(『ほつまつたゑ』より)
「アメミオヤ」という宇宙神が地上に伝えた教えを、豊受大神が「と」の法「あめなるみち」として孫の天照大神と、天照大神のお子さんの忍穂耳尊に直に授けられたのです。
未来永劫、民が豊受大神のみ教えの直伝を受けた忍穂耳尊を決して忘れないようにと言わんばかりの瓊瓊杵尊の配慮なのです。
実際に瓊瓊杵尊の時代から、大陸から新しい文化が入り込みました。当然に新しい宗教も天皇制に対する考え方も異なる民族が入って来たのです。
(瓊瓊杵尊の前半の時代には、ウケステメは長寿でまだ生きていることは『ほつまつたゑ』で確認できるので、シナ国は瓊瓊杵尊の時代後半あたりから、天皇制に対する考えが薄れていたと想像します)
きっと瓊瓊杵尊には日本人の未来に危機感があったのでしょう。だから父君「天忍穂耳尊」を追慕する施設「比叡山」を作らせたのだと思います。後世に残るように山として残されたのだと。
比叡の山は、天台宗の総本山「延暦寺」が建つ標高848メートルの山です。
最澄はここで一乗止観院というお寺を開きました。
桓武天皇は最澄に帰依し、延暦寺は京の鬼門(北東)を護る国家鎮護の道場としてスタートしたのです。
この時の比叡山は、仏教を目指す者たちの憧れの道場でした。
ここから円仁、法然、栄西、道元、親鸞、日蓮などの高僧たちを輩出しました。
しかしこの中で空海と同じ奇跡体験をしたのは、日蓮だけでした。
ここで空海と日蓮の共通点が見つかったのです!
それがこれ!↓
虚空蔵菩薩求聞持法の満願の日に、空海と日蓮の二人だけ、明星の宝珠を受けているのです。
空海が入唐する決意となったのはこの奇跡体験だといわれていますが、その裏には前述したとおり、『宿曜経』の中に記された「天と地」の事象の法則を記した「あめなるみち」を日本に持ち帰るためだと確信しています。
当時、『宿曜経』をシナに置いていたとしたら既に『宿曜経』は燃やされていたでしょう。
後にシナ国において、唐の後に仏教も排除されたのですから。
帰国した空海は、日本で初めて「真言宗」を立ち上げその初代となり、日蓮は法華経の正式なお題目「南無妙法蓮華経」のみを重要視した教祖となりました。
日蓮の使うお題目の中に「法」が「連なる」という漢字が出て来ます。
そして大日如来が座す蓮華という字も入っています。(もちろん日蓮が初めにお題目を唱えたのではなく、法華経の中にすでにありました。その七文字が重要であるとしたのは日蓮の特徴です。)
日蓮も「との法」の重要性を知っていたか、無意識なのか分かりませんが、なんと空海も円仁も、日蓮も、すべて密教から出たお坊さんたちなのです。
密教とは何というか・・・奥が深くて謎めいた教えです。表向きなことは公表されていますが、中に隠された重要なことは表には出ず、阿闍梨直伝で伝えられます。
しかも今回は、山そのものに仕掛けがある可能性が高いのですから・・・
建築物や美術的な作品(仏像など)や経典に残せば、必ず消滅しますが、山そのものなら、人が手を加えられずにエネルギーそのものが当時のまま残ります。
最後に・・・
空海と日蓮だけに星が体に入ったことに共通する『宿曜経』について書かせてください。
宿とは星のこと。
月がもたらす旧暦で読む星の性格を、人に当てはめて占う手法が、宿曜経の中に出ています。
特に前世から持ち込んだ「業(カルマ)」を知ることは、今何をすべきで生まれたのか、を知ることです。
これを知ることで、どんな苦難も耐えられるのです。納得できるのです。
その人との前世からの関係を知る鑑定が今あるのです。
それはこの『宿曜経』から排出された「密教占星術」という鑑定法です。
この星と人の関係の鑑定方法は、真言宗から平安時代に研究され、その後都から出されました。
そして民間の中で「宿曜占星術」として発展し、現在でも個人を占う鑑定となったようです。
しかし民間で行う「宿曜占星術」は、対人関係や個人の性格しか出ないため、鑑定を依頼する内容すべてには答えられませんでした。
そこでこれに九星気学や方位学、その他西洋占星術などと組み合わせられて、新しい鑑定として「密教占星術」が立ち上がりました。
現在私が行っている鑑定はこれです。
「密教占星術」という方法です。
これは宿曜占星術よりもより細かいことを観ることが可能です。
引っ越しの時期、結婚の時期、気を付けるべき時期、お仕事の変え時、人生の転換期・・・
など細かく、質問者の問いにお答え出来る暦とマッチさせた鑑定法です。
「宿曜占星術」と「密教占星術」との違いは、例えば相性鑑定ですが・・・
宿曜占星術ですと「安壊」という関係は一番良くない関係で、ほとんどの場合お別れするような出来事が起こると言います。
しかし、密教の教えの中では、必ずしもそうならないのです。その辺りが密教を学んだ鑑定士さんかどうかで、鑑定結果が異なってしまいます。
先ほど密教の世界には二つあると書きました。
一つには、「胎蔵界」の密教の世界で、これを天と地の「妙」といい、誰でも宇宙の星々と繋がっているよ、と教えてくれている世界観です。
もう一つは、「金剛界」の密教の世界です。これを「法」といいます。これこそその人と周囲の関連で動いていることを、生体験するという世界です。
実際にもしもあなたが、お付き合いしている方と相性が最悪に悪いと言われたらお付き合いを止めますか?
出会ってすぐでしたらまだ感情も深まっていない内でしたら、縁が無かったんだと思うようにし、縁を深めようとはしないかもしれませんが、お付き合いが深まれば簡単にはいきません。どうすればいいのか分からなくなりますよね。
密教の教えは、人との出会いには深いか浅いかの違いはあれど、必ず意味があるという教えです。別れるのか、別れなくてもいいのか・・・という鑑定ではないのです。
まず根本はそこにあります。
その縁がもしも前世からの縁で、それは深い縁として出会ったならば、必ずお互いの鑑定盤の中にその意味合いが出て来ます。
その代表的な関係が「安壊」という関係なのです。(専門的なので安壊の意味は書きません。)
安壊という関係は、そんなに一言で解決できるような関係ではありません。
そして厄介なのが、重要な関係になった関係に、一番多いのがこの「安壊」の関係の人なのです。
結婚相手、仕事の上司、急激に仲良くなった人、親子などです。
密教占星術では、「安」の方が有利だとか、断定はしません。結局「安」の人にも後からその付けが来るからです。
しかしこの関係性を理解して前世からの因果を今世で消すことが出来たら、この二人の関係は切っても切れない重要な人になります。
またもしもお別れがあっても、お互いに成長し合えたことになります。禍根を残すことをしてはなりません。
残して別れれば、余程の祓いをしなければまた来世で出会うことになります。もしかしたら今度は身内として出会うかもしれません。
私は密教鑑定とはただの占いではないと思っています。
だからこそ密教占星術を通して人の宿命と運命を星に導いてもらい、生きずらい人の世界を密教の世界観から大きくみるように視点を変えてみるアドバイスもしています。
相談者の今後の人生に立ち向かえる力となってくれるようにとの願いを込めて、私は今後も鑑定をしていきます
今回のウィルスも大凶ではなく、ジョーカーのような役割なのかもしれないと思っています。
ジョーカーとは「ババ」にも「最強の救世主」にもなります。
それは捉える人間側の問題ではないかと思うのです。
鑑定とは深くもあり、単純でもあるのです
もう年末もあとわずか・・・
また今年もやります
あなたの宿曜(本命宿)を使って、来年の暦(大師御法暦)に吉凶日の記入
陰陽の二つの曼荼羅を合わせた手作りのお守り制作
玉置甚神社の鳥居の木(ヒノキ)を使った干支ストラップ販売(モ~モ~丑年)
そして
来年2021年度の年運鑑定
詳しくは次回・・・
でも只今それぞれ予約受付中
今回も読んで頂き、ありがとうございました
鬼滅の刃・・・面白いですねっ
鬼を人間に戻すのは、まるで密教に取り入れた鬼神のよう。罪を犯した者を神の使いにする。人間に戻すだけじゃなく、お仕事を与えるなんて・・・罪は誰にでもあるもの。その経験があったからこそ弱者の気持ちになれるんだと思うのです。
蓮の花は泥の中でしか咲かないから・・・