久々のブログです。
皆さんはいかがお過ごしですか?
実は私、ブログの書き方に疑問が生じ、あれこれ思案していました。
ようやく結論を出したのでお知らせします。
今までは、証拠や資料を提示し信憑性を高めながら書いていたのですが、そのやり方ですと文章がどうしても長くなり、更に専門的になるため、読む側にとっても読む気が失せてしまうかもしれないと思いました。
これまでは自分の記録として書いていたという理由があったので、難しくてもその証拠も共に張り付けたり、説明したりしてきましたが、今後はブログの意義を変更します。
今後は伝えることを目的としたブログにしようと思いました。
そこには自分の感情や感性が入ります。かといって架空の空言や直感で攻めていくつもりもありません。
その裏には論考出来る理由がありますが、そこまで書くのはやめます。
今後は私が今まで見たり聞いたり、学んで来た経験から書かせてもらうことにします。
(もしその説明や論証が欲しい方は、リモートでも結構ですので伝えます。)
今回のテーマは「神社の在り方」です。
意識に大きく左右するのが神社・仏閣などの聖地ではないでしょうか。
その中で、あるニュースが6月に飛び込んできました。
それは四国にある「金毘羅宮の神社本庁離脱」という衝撃的なニュースでした
そのすでに前、ちらほらと神社本庁のおかしな動きは耳にしていましたが、まさかこの有名な「金毘羅宮」までも離脱とは・・・
神社庁の屋台骨が緩んできているようです。
昨年の天皇陛下の即位に伴う大嘗祭当日祭にお供えする臨時の神社本庁幣帛(へいはく)料が金毘羅宮には届けられなかったことが決定的な離脱の理由になったそうです。
神社本庁の集金システムでわかりやすい記事がありました。見てください。
こうして、全国の神社が血のにじむ思いをして集めたお金が、遷宮を支えていたのです。ほとんどが地方神社や氏子たちからの寄付金だったのです
先代の宮司が亡くなったため、宇佐八幡の唯一の末裔となった一族の女性が急遽、神職の資格を取得。
その上で、女性が宮司になるまでの“中継ぎ役”として、当時の県神社庁長が宮司を務めていました。しかしこの年、その中継ぎ役がこの世を去ってしまったのです。
宇佐神宮の責任役員会は、その死の直前、女性を新しい宮司にすべしという意見を行いましたが、本庁側は女性の経験不足を理由に拒否し、またも当時の県神社庁長を特任宮司(任期3年程度)として任命したのです。
これを不服とした女性が09年に本庁に離脱届を叩きつけ、2010年には宮司の地位保全を求めて提訴しますが、2013年に最高裁で敗訴が確定し、2014年に女性は宇佐神宮から解雇されてしまいました。
この解雇された女性の一族は「到津家」という家柄で、出雲大社の千家家、阿蘇神社の阿蘇家と並ぶ家格とされ、歴史と伝統を重んじる地元の支持が高かったことも事実だそうです。
その後、他に宮司が立ちますが能力不足にて本人自ら退職願を出し辞め、その後に問題の小野氏という人物が宇佐八幡の宮司に就いたのです。
小野氏の宮司になった決め方も異例だった上、小野氏は「宇佐神宮の神職は支部会員にはさせない。今後は支部との関係を断つ」と発言、当時の支部長が激昂したのです。
ただし、これらの経緯については「小野氏は『謝罪文は支部側から提出された』、『支部の方が自ら出て行った』などと周囲に説明している」(本庁関係者)ことから、互いの主張に食い違いがあるのだそうですが・・・
一旦は支部は小野宮司に謝罪し、事務所も移転したそうですが、支部も氏子も小野宮司の独裁的なやり方に反発し、例年は支部傘下の約200社から寄せられていた1000万円以上の協賛金が、昨年は半分も集まらなかったそうです。
「地元で生まれ育った神職たちは地域の信用を集める人々。氏子がどちらの言い分を信じるかは明らかだ」と市関係者は話しています。
こうして地元の祈りを捧げて来た神職たちは排除され、国の神社本庁にイエスマンだけが残されるようになっているのです。
そうそう、神社本庁には不可解な不動産取引もあるのです。
(神社界の森友問題だといわれています)
私の地元にある久能山東照宮の宮司さんも、少し前から国から来た方に交代しました。
それまでは地元に根付いた宮司さんでした。
ここで少し前、東照宮の目の前にある土地の売買の話が舞い込みました。
この件は私も祈りで対抗、無事に事なきを得ました。
ここでびっくりしてしまったのが、久能山東照宮の宮司の歴代宮司の資料で、松浦宮司の経歴も年も消えていたことです。
赤字太字になっているところです。宮司として就任実績がありながら、就任年もないのです。(他にも数人書かれてはいませんが・・・)
宮司
- 出島竹斎(1816-1887)<1879->:1816年(文化13年)1月7日生。1887年(明治20年)8月25日死去。1879年(明治12年)久能山東照宮宮司。駿河農家出身。勝海舟、大久保一翁の信頼を得て民政に協力。皇典講究分所所長。
- 三宅康保(1931-1895)<>:田原藩主。1831年(天保2年)2月1日生。1895年(明治28年)1月23日死去。
- 柳沢保申(1846-1893)<>:郡山藩主。1846年(弘化3年)3月26日生。1893年(明治26年)10月9日死去。第68国立銀行を創設。伯爵。日光東照宮宮司。
- 酒井忠惇(1839-1907)<>:老中。姫路藩主。男爵。
- 松平健雄(1873-1927)<1896-1900>:1873年(明治6年)生。1927年(昭和2年)死去。1896年(明治29年)久能山東照宮宮司。1900年(明治33年)退任。
- 近藤弘()<>:
- 宇都野正武()<>:
- 杉江彦太郎(1874-)<1924->:1874年3月29日生。1898年久能山東照宮主典。1904年禰宜。1924年6月20日宮司。
- 白井光男(-1974)<-1974>:神社本庁事務副総長。在職中1974年5月3日死去。
- 松浦国男()<>:
- 落合偉洲(1947-)<2002->:1947年(昭和22年)生。神社本庁渉外部長・総務部長を歴任。2002年(平成14年)久能山東照宮宮司。
そして現宮司はやはり神社本庁出身だと書かれています。
私の知っている限り、松浦宮司は、落合宮司就任前の2002年までは宮司としてお仕事をしていらっしゃいました。
山の中にも案内して頂きました。
その時に、駿河の久能山東照宮に家康の骨が確かにあることを伝えてくださいました。
それは落合宮司が見つけたのではなく、松浦宮司の就任の時に家康のお墓の中にスズメバチが巣を作ってしまい、駆除の為に中を空けて調べたから判明したのです。
そのスズメバチが巣を作る前に、私と松浦前宮司と案内の方と四人で、一般の方は入れない山の愛宕社にお参りさせて頂き、家康のお墓で祈った時に、家康から頼み事をされたのです。
「私の骨はここにある。それをみんなに分かって欲しい。」
その思いに私はこう答えたのを覚えています。
「私は何の力もない一般の人です。だからその願いは叶えられません。
あなたの力でそれを示されたらいいと思いますよ。」
このやり取りが本当だったのかは後で分かります。
その数か月後、家康のお墓の中にスズメバチが巣を作り、観光客に被害が出るといけないということから、
絶対に開けてはならないパンドラの箱ならぬ墓を開けることとなったのです
だからこそ家康の願いには、ただの骨があることを知らせたかっただけではないと、今は改めてそう思います。
これには仕掛けがあるのだと思います。
この意味については、次回書く予定の意外な発見と繋がってくるのですが・・・
やはり密教は凄い!家康の意志というより、天台密教の天海上人の思惑があったのだと思います。
またそのあたりの仕掛けについてはいずれ書きます。
更に神社本庁の資産の中抜き疑惑もあるとか。。。
安倍元総理が伊勢サミットをし、伊勢内宮に世界中のリーダーが参拝しました。
伊勢はそれほど重要な拠点です。
吹き出している神社本庁のお金と宗教の黒い闇・・・
これには古代の神々もお怒りではないでしょうか・・・
本来、家の社にお札を毎年買い換えて飾る意味は、「祈りの心を起こさせるため」でした。
私の師匠は生前、こうアドバイスしていました。
「もしも祈りの心が起きない人には、社は必要だが、社が無くても祈りの心が備わっている者には社はただの形だ。
本来、祈りとはそういうものではない。」
また、こうもおっしゃっていました。
「社に欲を込めて、お金が沢山入るようにとか、健康でいられますように、という願いを込めて祈るのは本筋から外れている。
人も動物も、本来は一生懸命に生きる努力をし、帰るべき場所(宇宙)へ帰るのみ。祈りで幸せや不幸が決まるものではない。
社が立派だとか、有名な神仏のお札が入っているから大丈夫だという考えは、こちら側の勝手な欲望だ。」
つまり形など要らない人にとっては、祈りそのものの本筋はその命の源にすでに入っているのだから社は必要ないという意味でしょう。
過去から続いていた神社本庁の膿の種は、今実になって形に現れているのです
神社という本来の意味は、その場所を遺すことによって、過去の偉業を遂げられた主の事績を忘れないようにという願いのために建てられたのだと思うのです。
こういう事件や問題が浮き上がるということは、神社本来の在り方に対して、私たちがどう向き合うのかを糺されているように思います。
だから私はその神社の創建理由を調べているのです。
主(主祭神など)を思う尊敬の念で偉業を讃えたり、国や国民の為に後世に遺す目的で建てられた神社なのかを調べているというわけです。
また、方位方角に沿った位置づけもあるかと思います。
日本中見ても、初めから建造当初の念を遺した神社やお寺はどれほど残っているでしょうか。
時代時代で、何かしらの手を加えられている場所がほとんどだと思います。
祭神名が変更されているならまだマシな方です。
目を覆いたくなるのは、ありもしない神を作り上げ、歴史に君臨させた架空の場所と化した神社やお寺も多いことです。
そういう歪められた故意的な場所で人はよく感応というトランス状態に似た快感を得るものなのです。
それが正しい啓示だと錯覚してしまうのです。こういう心の欲望に入り込まれてしまい、本人の魂の本体に乗っ取られた状態に気が付かず、周囲にもその錯覚をお裾分けをするのです。
残念ながら、そういう取り込まれた波動や波長には「改心」という二文字はありません。それに気が付く機会も多くはないのです。
これはあくまでも今までの私の神社参りにおける体験から基づく感覚なのですが・・・
もし本当にその場所が上古の時代の正しい行き来の道(人で生まれて人としてあの世に旅立つ仕組み)の念で作られた場所ならば、改めてそういう気が自分に入った時に不思議な感覚になるはずはないのです。
それはまるで過去にすでに体験しているかのような溶け込む感覚ですから、改めて感動するような涙が出るような思いにはならないのです。
それが行き来の道に反した波動がある場所では、人として生まれた後、ケモノとして生き続け、その場に留まって同じ波動や波長を持つ者を待ち続けているのですから恐ろしいものです。
歪められて来た場所ならそれはあり得ます。「良く来てくれたなあ~」と・・・
そういう気は低級波動だとすぐに判ります。
人の念に近い感動や感情が起こる場所には要注意ですよ!
取り込まれぬよう、注意したいものです。
今回の記事は「神社の在り方」についてをテーマに書きました。
今まさに神社本庁の膿を出している最中だという事実を伝えたかったのです。
皆さんの神社に対する在り方を考えてみる機会になれば幸いです。
私は更に、今後も神社の源流の念や歴史に埋もれた真実の事績を追求していくことを決意しました。
安倍政権が終わるこのタイミングで、有名な場所の事績の真実を二つほど手に入れました。
人には天から与えられた「根の種」が備わっています。それが動物とは違う唯一の不思議です。
私の根の種が発芽し始めたようです。
根の種の発芽し始めた方々が、大事なスポットに密かに集まっているようです。
ただし、中には腐り始めている種もあるということ・・・途中から腐る種もあること・・・それが始まりかけているかもしれないこと・・・
そういう状態である人は、人の種には気が付くが、自分の種の腐りには気が付いていないかも知れない。
赤穂の普門寺の尼さんもこうおっしゃいます。
「今、確かに種が発芽され始めた方々が動き出したようですが、ここから大事な事は、常に自身の根の種が六根清浄(魂と心身が三位一体となって清浄なる状態)でいるように、気を配っていかなくてはなりません。」
祈りとは、日々の自分の種を光らせることにあるのだと思うのです。
そういうピカピカの種であれば、同じ波動の物や人を引き寄せます。
そこには気遣いも一時的な不安も恐怖もないのです。
宗派は関係なく、ただ天の星が輝き続けているように、人も天へと帰っていくだけ。
人として生まれ、人の魂で帰っていく・・・
星に帰るまでの間、人間界では様々な問題が起こりますが、その過程を楽しみたいと思います。
一時的な不安はありますが、それは永遠には続かないから。
しかし、不安を感じるよりも未来への夢と目標を定め、こうなりたい、こうしたい、という未来へと自分の御魂を輝かせながら
周囲の人と共に努力していくことがより必要だと思います。
密教占星術にはその人の生まれて来た目的がわかるようになっています。
その目的を知るには、まず自分を正直にさらけ出し、これからのすべてを星に預けることからスタートするのです。
人だけの力ではどうすることもできない問題も、自分の願いと星のパワーが一致して力を貸してくれるのです。
なぜ星が力を貸してくれるのか?って?
それは、あなたの生まれた故郷の星だからです。
同じ思いをした過去の人がその星に大勢いて、私たちにエールを送ってくれているのです
でもただで貸してはくれません。
あなたがありのままの正直な心で星に尊敬と敬意を表すと、星は答えてくれます。
あなたの願いがもしも生まれて来た時の目的とはかけ離れていた場合には、修正を促してくれます。
それはあなたの友人から、あるいはまだ出会ってない人からの修正かもしれません。
それを星に預けたのであれば、素直に修正することです。
問題事が起きたらチャンスです
そういう時に人は大きく成長します。
疑問が湧き上がることから未来へとスタートします。
過去を振り返ることは未来へ向かう為に必要かもしれませんが、それはたった一度だけでいい。
それ以上過去を見ることは前に進むことへの拒絶反応となります。
次回は、誰でも知っている有名な場所の存在意義、事績について伝えたいと思います。
ヒントは「密教」、「真言の聖地」と「天台の聖地」です。
空海さんと最澄さんは古代の神々をご存知だった?!
というような内容です。
理論では空海さんが立ち上げた密教という教えですが、実践では最澄さんのお弟子さんがある仕掛けを施していたことを見つけました。
お楽しみに!
追伸:現在お宅で拝む社がある方へ~
お札には罪はありません。またその社を撤去する必要はありません。
ただ今後お札を購入しても、その中にどのような波動を入れ替えるのかは個人個人の自由でいいと思います。
お社は心の写し鏡だと思うからです。
ただの形とするのか、あるいは感謝の社にするのか、あるいは欲望が渦巻く社になるのかはあなた次第では?
ただし、お札は一年に一度必ず納めなくてはなりません。
こういう金銭問題が絡んだお札に購入する意味があるのか・・・お札を今後も買うべきか・・・
う~ん、私もまだ思案中です
良いご意見があったら教えてください。
墨でを作り、手書きで書いたお札を飾るのもいいかも・・・
とは言っても、あくまでも社やお札は形であるということを認識し、その形ある物にご自身の六根清浄、清らかな魂を込めてください。
その繰り返しをする修練の場としてあるのは意味があることかも知れません。
私も日々、社の掃除をし、水とお塩を変えながら、榊の水を変えながら話しかけています。
私は夜、一日の終わりに感謝するようにしています。
「今日もありがとうございました。」
「今日はこういう一日でした。(反省)でも明日はもう同じ事は起きないようにします。」
「今日はなんて素敵な一日だったでしょう。」
朝祈る方も良いと思います。
「今日一日を迎えることに感謝します。」
「今日一日という日を大切に過ごします。」
夜でも朝でも、祈りの時間はご自身の都合でよろしいでしょう