瀬織津姫(セヲリツヒメ)という祓い清めなる女性の御霊が復活した! | ひなさんのブログ

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こんにちは。

 

サッカー、日本代表初戦勝利!!

 

おめでとう!!!

 

日本の気迫に圧倒され、コロンビアがまさかの反則。一人退場。

そして香川選手が冷静にゴールに入れて先制点。

 

その後、後半戦に入ってから、何か吹っ切れたように自信あふれる団体プレー。

 

それぞれの役割を確実にこなし、ミスも責めることなく

 

「大丈夫!これからだ!」

 

と長友選手が周りの仲間に呟いていたように見えました。

 

とても前向きな言葉が奇跡を起こしたのでしょうか。

 

私は、今回のワールドカップ初戦で開始早々、一点を入れた瞬間、フィギアスケートでこの間のオリンピックで金を取った羽生選手の一件を思い出しました。

 

(これはやはり、古代の霊体が出たんだ!)

 

と・・・

 

羽生選手の時には偽者にすり替えられていた「イサナミ」が本来の形になったのだと思っています。

 

 

(私のブログ三月の記事です。比婆山の祭神は「イサナミ」ではない)

👇

https://ameblo.jp/s-hinayo/entry-12359412823.html

 

 

偶然なのか、羽生選手がオリンピック直前に祈祷した「弓弦羽神社」の祭神が「イサナミ」と仲人の神様でした。

 

演技を終えた羽生選手の全身から漲るものは「イサナミ」を感じました。

 

安倍晴明は、「岩長姫」にかかっていた「イサナミ」を清めていたのです。貴船神社には「岩長姫」が祀られていますが、本殿の裏山の磐座には、岩長姫の前世「ハヤ子」が祀られているのです。

 

晴明は福井県の「神宮寺」にお水取りをして、それを貴船まで運びました。

空海「神泉苑」で雨乞いをしていますが、晴明は空海の後を引き受けて、女性の御霊清めをしていたのです。

 

今回は、古代女性の御霊が復活したことを知らせたくて、また長いブログを書いてしまいました。

 

今回復活された神は

 

「瀬織津姫」(セリツヒメ)

 

 

です。

『ほつまつたゑ』和仁估安聡本では、「瀬織津姫」のフリガナは、「オ」ではなく「ヲ」と表記します。これが原典ですので、私も「ヲ」とします。

 

 

6月18日、朝7:58分ころ、大阪北部で地震がありましたね。

静岡に居た私にも揺れたのが分かりました。

 

その時の直感がきました。

 

(水の祓い清めの古代の女性の御魂が動き出したぞ!)

 

この辺りを『ほつまつたゑ』から読み解いていきたいと思います。

 

 

最近、会社を辞めたい。

何もする気力もない。

何か不満が溜まっている。

 

 

そんなストレスを口にしていませんか?

 

これらは自分が何かに圧迫されている感覚から生まれます。

 

まず何かに支配されている脅迫感、圧迫感などは妄想だと知ってください。

それは育てられた教育の中で刷り込まれた支配したい者たちの策略です。

 

学校教育がその最たるものです。この教育を受けてきてしまった私たちの親は、子供にこういう規則に縛り付けた教えが正しいのだと子供に強制します。

 

学校も社会も組織で動いています。

しかし、今回のサッカー日本代表のように、個々の能力はそれぞれ全く違うのものだと、監督やコーチが知っていて、そういうことを隠さず選手に伝えたため、互いの関係に信頼が生まれ、組織行動しても結果が出たのです。

 

でも今の社会は西洋かぶれから生まれた、日本人の能力に全く適合しない思想を押し付けて教育してきました。

 

その結果、人間の中にある「偉大さ」「個性」「強さ」「尊厳」を抜き取ってしまう、命じればロボットのように動ける「コマ」を作るための組織が出来上がったのです。

 

特に日本では明治以降、そのようになったのです。

 

 

一人一人の人間にはすべて「尊敬すべきところ」があり、それが「個性」だと思っています。

 

そして不満感を感じたら、暴言や暴力ではなく、智慧を使ってそれを跳ね飛ばす方法を知ること。これが本来の日本人にピッタリ合った手段だと思います。

 

サッカーも頭を使って相手を分析して、それを日本人気質に合わせたのでしょう。

 

そんなことを念頭に置きながら、瀬織津姫について書いて行こうと思います。

 

 

 

まず初めに、「過去」は「現在」と繋がっているということを示しておきます。

 

過去の意識と繋がっていることを意識して生活するようになると、自分の凝り固まりが過去から来ていることに気が付きます。

 

これは個人の出来事においても当てはまりますが、国単位でも同じです。

 

つまり、過去に起きた事件は、その事件による負の感情という意識を溶かさなければ、必ず現在の事件として「負」の出来事として起こります。

 

その一つに「地震」があります。

 

 

地球という惑星は、他の惑星とは全く異なる点があります。

 

それは「引力」という「収縮」と「拡散」を繰り返している磁気を内在した惑星、それが地球なのです。

 

この「引力」が海では「潮力」となって、潮の満ち引きになり、天候を左右させ、動植物の生命力にも影響しています。

 

また、「引力」が大地の底では、「磁場」となって、歪みができれば地震や雷、地滑りなどになって大地に切れ目を作り、山をも崩します。

 

このような動きは人間側から見れば災難ですが、地球を創り出した意識体からみれば「生きている」という証明でしかないのです。

 

縄文から弥生時代を経て、古墳前期辺りまで、この生きている地球と人間は繋がりながら、いつ引力の歪みが起きるのかを意識の中で宇宙と交信してきました。

 

そのような力に長けている一族を守りながら、国を治めるトップは、三つの役割に分割して国と民を守ってきました。

 

災害が起きるとまず困るのが「食の確保」です。

 

古代から食は神に捧げる大切な生きる力です。これを捧げて祈りを通すのです。

ですから「豊作」になるように自然界の動きを知ることが一番重要な儀式でした。暦はそれを知る手がかりになりました。

 

天照大神の時代、祈るためには三つの役割に分担することが一番良いと考えました。

 

一つの役職が暴走しないようにお互いに監視しながら行うことができるようにです。これが後に「三種の神器」(みくさのかんだから)を生むことになります。

 

統治する者の一族の中から「天皇(アマキミ)」を出しました。

 

天皇は儀礼・儀式という天との交信を行っていました。

 

しかし開拓が進んで民が増えてくると、天皇自ら日本中にある天の分霊(今でいえば分社)まで行って、祈りに行くことは困難になりました。

 

民が増えたことにより民たちの要望が増え、それをまとめるために国の統治の中央(高天原)から抜けることはままならないようになったからでした。

 

こうして天照大神の代から三つの役割に分割することになりました。

これはとてつもない変化です。今でいえば国作りの方向性を変えるため、新しい法を作ったことと同じです。

その証として「三種の神器」をつくりました。

 

三種の神器の三つはこうです。

 

1:天皇

神器:勾玉

天皇というトップには、鳥で例えて「頭」にして、戴冠式には王冠を付けました。天皇の象徴は「勾玉」といいます。

天皇は全ての国の政治に関わり、責任を負いました。

 

国民が苦しみは自分の苦しみとして受け止め、すぐに改善しようと策を練ります。そして法を作ったり、改正したりするよう、下記の2の役目の者に命じました。

天皇は常に民の幸せを自身の喜びとしていました。

 

2:左の臣(鏡の臣)

神器:

天皇の補助として儀礼、儀式を補佐したり、民が迷わないように「人として守るべき法則」(あめなるみち)を管理する役職を作りました。

また、法の改正も担いました。

 

3:右の臣(剣の臣)

神器:

天照大御神の時代に民の反乱があり、これを鎮圧するために警備や守りが必要となりました。つまり「軍部」のような武力制圧です。

 

しかし国外の作戦のように武器を持って殺すことは2の法で裁かれましたので、「言葉」によって説き伏せるために、一度捕らえ、罪を見るために、1の天皇の象徴である「勾玉」の代わりとして「鏡」を作り、これを二見が浦の夫婦岩の間に置き、その罪を見て、刑の重さを決めたといいます。

 

つまり裁く側の者も、人を裁けば罪を作ることになるので、言葉により説き伏せた後、自らも天に説き伏せられるべき人間かどうか、問い正していたのです。これが真の指導者なのかもしれません。

 

 

これが三権分立の始まりです。

 

 

しかし、現在ではこのような仕組みが崩れてしまいました。

 

 

まず、1の天皇という役職ですが、今は天皇は国の象徴で、直接政治を行えません。

 

2の左の臣の役割は全て伊勢神宮に集まる仕組みができていて、その祭神の性別も女性に変えられ、更に「神宮」と「大社」というように「神社」と「お寺」に力を分散させるような仕組みに変えてしまいました。

 

○○大社と名付けられたところは「右の臣」の力を示す名です。

 

初めは大社といえば「おおやしろ」のことで、その場所は「出雲大社」を指しました。

平安初期に作られた延喜式神名帳に書かれて以来、以後「大社」と名乗るように決められました。

 

例:出雲大社、三島大社、富士浅間大社、諏訪大社、南宮大社など・・・

 

こうして「神宮」とは、天皇や皇室の祖先、また大和平定に特別な功績を残された神を中心に祀られている由緒ある神社に名付けられたとあります。

出雲大社も初めは「出雲大神宮」という名でした。

 

 

終戦直後、「神宮」と名乗るには勅許が必要でした。そうです。アメリカの許可が必要だったのです。

 

 

憲法ができてから、神社は日本の国家管理は廃止されたといいますが、今でも「神宮」といえる社は、特別な由緒を持つ神社に限られています。

 

なぜ「神宮」と「神社」などという名称に差をつけたのでしょう?

 

それは「神宮」と普通の「神社」との格差をつけて分社の力を一点に集めるためです。

 

これにより、地方は中央のために尽くしなさい、という構図になったのです。

神社に格ができたのはこのためです。格下の神社はトップである伊勢神宮に多額の奉納金を納めなければなりません。

 

 

また、もう一つ、日本の力を失せさせる欧米の作戦は、「神」と「仏」を切り離すことでした。

 

ですから神道と仏教を分けました。これが「神仏分離令」です。これが人の力と神の力を離すことになるのですが、更にこれだけではなく、決定的なダメージ作戦がこれです!

 

👇

古代天照大神の時代から、天地をつなげる役目だった天皇家を、神と仏の両方から切り離すこと。

 

更に暦を変えました。これが現在使っている「グレゴリオ暦」です。この暦、誰が変えさせたのか、この裏に誰が君臨しているのか知っていますか?

 

ブログでは書けないのですが、世界一強力な宗教権力と力を握っている人物です。世界経済構成のトップにいる者です。

 

映画「ダビンチコード」を観てください。この映画にヒントがあります。

 

 

さて、話を戻します・・・

 

 

縄文から守られていた天皇は民の親である、その起点から湧き起きた「神仏習合」を、「神仏分離」にした時代は、明治維新後です。

 

 

江戸末期、こんな声が飛び交いました。

西洋文明はこれからの日本に必要な思想であるから新しいものを受け入れなければ世界から笑われる。。。

 

 

江戸時代まで守られてきた古(いにしゑ)の風習や風土を古い固執だとし、廃仏希釈という狂気に走りました。

 

 

こうして江戸幕府は滅び、新しい時代「明治」が起こりました。

 

 

しかし最後の将軍「徳川慶喜」は水戸家の家訓を守り抜きました。

慶喜の父、斉昭から口伝で授けられた家訓がありました。

 

「水戸家はどんな状況になっても、朝廷に対して弓を引くようなことはしてはいけない。これは光圀公以来の代々受け継がれて来た教えであるから、絶対におろそかにしたり、忘れてはいけないものである」

 

慶喜は最後の征夷大将軍。

 

この家訓はまさに古代天照大神の時代から引き継いだ「右の臣」の戦わずして罪を作らない手法です。水戸家には裁く立場にはないという謙虚さがありました。

 

 

水戸には古代から剣の臣の役割を果たした「鹿島神宮」「香取神宮」があります。

 

水戸は茨城県、まさに日本列島中央の地震を抑えている神々を祀っています。

 

 

欧米は日本人同士で戦わせ、国を弱体化させようとしました。そして鉄砲とキリスト教宣教師を入れたのです。

坂本龍馬は、初めは西洋思想に乗りましたが、西洋の策略の悪に気が付いたので暗殺されたのです。

 

 

日本各地に眠っている古代日本の祖先、祖神たちを起こし、その力を復活させなければ世界の未来は無い!ということを教えてくれているのだと思っています。

 

 

今回大阪北部で起きた地震は6/18でした。21日の夏至に近い日でした。これから冬至に向かうのです。この地震の揺れ方は、女性の穢れを祓うために出現した二人の女神のパワーだったと思います。

 

これから半年、女性の御魂の浄化が始まるのでしょう。

 

さて、

「とほかみゑひため」という八つの頭文字は、日本地図で八つの地域を表しています。

 

 

丁度、兵庫県から大阪、奈良、京都辺りは「女性の御魂」の場所です。

ここは「め」に当たる地域なのです。

 

「め」とは「女」のことで発音は「め」と言いますよね。

 

「め」という音は「体験」という意味です。

 

体験には良い思いと辛い思いの両方がありますから、「め」にはそういう善悪の体験もすべて含まれます。

 

 

そういう意味で、『ほつまつたゑ』からみる「め」を守る重要な史跡を見ていくと、気になる場所が二つほどありました。

 

この二つの史跡にはある共通する女神がいます。

 

その女神とは題名にも書いたように

 

「瀬織津姫」(セヲリツヒメ)

もう一人は

「ワカ姫」

 

 

瀬織津姫は天照大御神の「荒御魂」として全国の神社の祭神に隠されています。

 

天照大御神の御魂ではなく、天照大御神の皇后です。

これを「荒御魂」などという、いかにも男性に仕立てようとしている策が見受けられます。

 

では、『ほつまつたゑ』で天照大御神からの御遺言として

 

『ほつまつたゑ』 御機の二十八(みはたのふそや)

《君臣遺法の文》(きみとみのこしのりのあや)

 

(二十八-44)

 

 また后 広田に行きて 

 ワカ姫と 共に婦心(ゐこころ)

 守るべし われは豊受(とよけ)と

 男精(おせ)を守(も)る 伊勢(ゐせ)の道なり

 

とあります。

ここにある后とは、瀬織津姫のことで、后なので天照大御神の内宮であるはずです。

 

瀬織津姫と、ワカ姫(天照大御神の姉)と二人で、広田に行き、ここで

「ゐこころ」を守って行って欲しいと遺言されたのです。

 

そして天照大御神は、祖父であった「豊受神」と共に「おせ」を守るから。あの世からずっとこの国を守るから、後は女性の御魂を頼んだぞ、と言われたのです。

 

さて、伊勢(ゐせ)の道とは、女性と男性が和合して作って来た国の仕組みの中で、民が幸せに安泰に平和に暮らす、人としての道のことです。

 

ですから、女性は男性をけなしてはいけません。敬わなければいけません。そして家の留守を守り、食を作り健康管理をするのです。

 

男性は女性を護り、大黒柱のように勇気を持ち、常に社会の変動に対して進化し、前進していくのです。

 

これが本来の男女です。

 

「伊勢の道」とは、「ゐこころ」(女性の心)と「せ」(男性の精氣)が和合した道なのです。これが本来の「めと」の道です。

 

※「めと」と書く時は、一般的な「夫婦」を意味するので、凡その意味での「を」と表記しますが、天照大御神が発言された言葉「せ」の場合は、国のトップの天皇の精神を伝えているので、尊攘を示す「お」を使います。

 

※「おせ」の表記、「をせ」との区別。

偉大なる方(今回の場合は、豊受大神、天照大神)が目指すことであるので、この場合は「を」は用いません。偉大なる「お」になります。

 

 

二十八アヤのように天照大御神の御遺志なので、一般的な「を」を使う「をせ」ではなく、尊攘語の「お」を用いて「おせ」と書きます。

ただし、一般論として「男性性」として私たちが用いる場合には「をせ」となります。

 

 

 

これにより「め」の一番重要な場所は「広田」という地だということがわかります。

 

次に、瀬織津姫が神上がった場所です。

古墳時代より前までは、天皇家や臣たちは一人ひっそりと山などに入り自然に身を任せ、そのままお亡くなりになりました。

 

ここから「神隠し」とか「神上がり」「身罷り」と表現するのです。

 

古墳に入る前までは、古代日本の祖先たちは、肉体は腐るので不浄なるものだとしていました。

 

穢れは全てこの肉体に宿り、本来の魂には穢れなどは一切ない。

 

という思想でした。

 

ここから、いくら偉大なる功績を顕された天皇や祖神であっても、肉体には生前に対する情が付着しているので、神上がった場所に行くことを禁止しました。

ですからこの場所を禁足地として「聖地」として入所を禁じたのです。

 

この掟を破って見に行ってしまったのが「イサナギ」でした。

 

 

さて、瀬織津姫の神上がった場所は広田宮(現在の広田神社)の上に当たる場所だと推測できます。

 

その上には古代の古墳群があります。

 

後の時代に、瀬織津姫と共に眠りたいと懇願した者たちが古墳を作ったのかもしれません。

 

その古墳群の更に奥の山に行けば、そこが多分瀬織津姫の最期の場所でしょう。残念ながら『ほつまつたゑ』には眠られた場所は書かれていませんが、女性の御魂を広田で守れという遺言があるので、ここしかないのでは?

 

それは「六甲山」です。

 

空海も六甲山に女神の精がいることに気が付いていたようです。

 

「ワカ姫」の生まれ育った地は「和歌山県」です。

 

そして空海は「ワカ姫」からわざわざ名前を変えて「丹生津比売命」として高野山の入り口に守り神として一番初めに祈っています。その後、高野山に入りました。

 

 

ですから、空海はきっと「ゐこころ」(女性の御霊)を守ることが日本の穢れを浄化することなのだと信じていたのではないかと思うのです。

 

 

空海と原始キリスト教(景教)との関わりにおいても、空海は唐へ渡った時、キリスト教の裏を知ってしまったのでしょう。

 

プロテスタント派は、聖母マリアを処女懐妊とみなさず、人としてイエスを生んだという教理です。

つまりマリアには女性の穢れがあるのです。アダムとイブから人が誕生した流れで、マリアも人なのですから。

 

ヨセフとマリアが普通に愛し合い男女の交わりをしてイエスが誕生したことが正解なのだと空海は思い、これをどうしたら日本に隠して持っていけるのだろうと考えた・・・

 

 

そして景教として入れたらカソリック派にバレてしまう。だから「真言宗」として新しい密教として日本において開いた。

開く場所は古代女神「ワカ姫」がつくばで生まれ、まわり歌の達人、養父カナサキ神により育った場所。

その地は「和歌山」。


祓いの力がある「音」を「和歌」で切れ目なく「まわり歌」を作る天才「ワカ姫」。育ての親である「カナサキ神」がワカ姫に「まわり歌」の作り方を伝授し、祓いの力を強めたと思います。

 

 

さて、カソリック派はマリアを人間としてではなく、神として崇めていますので、マリアは男性と一切交わりを持っていないとしています。つまりカソリックはマリアは神であるので罪は一切ないという教理です。

 

しかしもしカソリックの教え通りなら、女性という存在は全て穢れなど無いことを理想とします。

 

 

中世ヨーロッパでは、女性が少しでもみだらなことを考えたり、男性と性交したら、魔女狩りで見られたように妊娠しているお腹を裂かれ、見せしめに火あぶりの刑にされてきました。

 

そのような女性迫害の歴史が、ポルターガイスト現象を起こしたり、女性からの怨念が世界を駆け巡っているのだと思います。

 

今、この世の中の女性の御魂を救うのは日本の古代思想でしか出来ないと思っています。

 

そして明治以降の男尊女卑の西洋文明の押し付けから離れ、女性本来の優しさと霊性を呼び戻さなければなりません。

 

それが今回の大阪の地震から出た二人の女神の意味なのだと解釈しています。

 

群馬にしても長野にしても、震度5くらいの地震が続いていますが、これも古代の意志が動き出したことによる説明が付きます。

(ここでは書きませんがとても大事な場所で起きています)

 

それぞれの県にお住まいの方が一人でもいいので「古代の正しい音」で祈りを天へ届けて欲しいと願います。

天でキャッチされた「音」は「電気」となって地軸に届けられます。

 

そして正しい音とは、なぜこの音が正しいのか、古代の神々の功績を知る必要があります。

 

古代の出来事を何も知らないのに、正しい音だからといって、その音を伝えて祈っても、何の意味か分からずやることなので「電気」は通らないでしょう。

 

 

古代の史実を学び、過去とリンクし、溜まっている古代からの負の念を吐き出し、清浄なる氣に変えようと誓い、そして祈りを古代の音であげる・・・そうすれば必ず古代からの波動が大地や海へと広がるでしょう。

 

これをやらねばならない時代が始まりました。

自分の生活にやってくる結果も変わります。健康状態も良くなります。

それが天地の法則ならば必ず。私はそう信じています。

 

祈る方は決して自分の願望を構想を描いてはいけません。

祈りの結果はすべて天にお任せします。

 

自分の過去を振り返り、二度と未来へそれを届けないように穢れを一掃することを誓うことが古代へと届く条件になります。

 

天は見ています。祈りのまま、現在も努力しているかを。。。

 

出来なくても失敗してもチャレンジして、なんとか清浄なる魂に近づく努力をしていれば必ず祈りは通じます。

 

そこには何の資格も血筋も関係ありません。国籍もありません。

 

人の姿をしていて中身がケモノではいけない。

人の作った常識で善悪を図ってはいけません。

私も時々そうなります。

でもすぐに気が付き修正すればいいのです。

 

善悪の判断ではなく、正しい音が健全なる美なる人の体内から出たなら、それは天が判断して返してくれます。

 

その結果を楽しみに待っていればいいのです。

 

今回は「ゐこころ」という女性の心を表す「ゐ」について書いてみました。

 

きっかけは大阪北部地震と、サッカー初戦勝利でした。

 

 

また7月7日に私流の『十種なる振る祈詞』のあげ方を伝えたいと思います。

 

またどこかで地震が起きたら、古代から重要拠点だった場合にはお伝えしようと思います。

 

しかし、今回の直下型の地震、この程度で治まって本当に良かったと思います。

 

余震的なものは起きても大きな地震は無いはずです。

 

瀬織津姫とワカ姫のお二人の御魂が教えてくれたのだと思うと、今年のツアーはとても意味深いです。

兵庫県までは「め」の国なので。。。

普門寺も「め」の場所。尼寺。