こんばんは。
日南代です。
さて最近、神社やお寺という意味は何だろう?と考えるようになりました。
敬い尊敬する神々たちのはずが、調べてみると人を殺していたり、国を乗っ取っていたり・・・
歴史が変わるから仕方がないのでしょうけど・・・
調べて行くと、女性の天皇を立てた時代から国が乱れ始めていることが分かります。
聖徳太子(うまやどの皇子)の時代の推古天皇。蘇我氏による血なまぐさい時代でした。
持統天皇(天武天皇の后)の時代、天武の亡き後天皇になりましたが、孝謙天皇の後がなく、持統天皇系列の天皇は途絶えました。
天智、天武の母と言われている皇極天皇(重祚して斉明天皇)は、自分の子たちが天皇の座を争い殺し合うことになりました。(実際に天智と天武は兄弟かどうかは?)
藤原氏の四兄弟の相次いだ不信死で、藤原氏の勢力が低下。藤原仲麻呂が武力で乱を起し、孝謙天皇(重祚して称徳天皇)から天皇の座を奪おうとしましたが失敗。孝謙天皇は天武系の最後の天皇でした。この天皇以降、女帝は約850年立ってません。
また有名な道鏡という僧を愛人にしています。
いずれも女帝の時、天皇の血筋を争い、天皇が殺されたり、国は乱れたりしています。
そしてある天皇が仏教推進したかと思えば、次の天皇で神事を推進する・・・ころころと変わる国の思想。
お寺と神社は常に交互につぶし合い、ついに明治になって神仏分離政策がとられ、お寺と神社は完全に対立するように仕向けられました。
こうして今ある神社やお寺・・・
だからこそ神社の役割は何だろうと考えてしまうようになりました。
その結果、このどちらにも属さない大切な場があったことも気が付きました。
それが「古代の聖地」です。自然信仰の時代に如何にその場を大切にしていたか・・・そしてそういう時代には人の心に魔が入らなかったのです。(現在の聖地とは違います)
人はその聖地から発動されている自然のパワーを仰ぎ、それを畏れ敬いました。
そのパワーを体に受けることができたのが、特殊な血筋の子供だったのです。
ある伝説にはその子は男子だと書かれていたり、女子だと書かれていたり・・・
そして私は長野や東北に伝わる「ミシャグジ神」を調べていてあることに気が付きました。
自然の性質にも二種類あり、それが「陽」と「陰」に区別されていることに気が付いたのです。
ミシャグチ神の伝承によると、自然神にも男性性と女性性のエネルギーがあり、そのエネルギーが陽(男性性)ならば女の子に憑き、女性性のエネルギーには男の子に憑くというのです。
良く山深い昔から言い伝えられた伝説に、村一番の娘が恋した男性が、後をつけてみれば、その山の湖に棲んでいる龍の主だった。。。
というような話は数々残されていますね。言い伝えによる伝説は信憑性がないと敬遠されますが・・・
文章化されるほど、それは偽書になると思います。文字にすれば簡単に手を加えられるからです。
さて、『古事記』で有名なタケミナカタという神がいますが、この神の名は『古事記』には出てきますが『日本書紀』にはその名や事績は一切ありません。
『ほつまつたゑ』ではタケミナカタは出てきます。その上『古事記』と同じ書かれ方をしています。
簡単にタケミナカタのお話しを書きますと・・・
出雲の国譲りの神話にあるように、大国主命の出雲国は朝廷を見下した行為があると占いで出たので、大国主にここを出て行きなさいと迫ります。
迫ったのはタケミカヅチ(鹿島神)とフツヌシ(香取神)です。(現在の鹿島神宮、香取神宮の祭神)
追われたタケミナカタは諏訪まで逃げて来て、「二度と逆らいません、」大人しくあなた方に従い、余生を全うしますので許してください。」といい、許されて諏訪の地に住んだ。という話になっています。
ここで私は仮説を立てました。
もしかしたらタケミナカタという名は、個人の神の名ではなく、長野の諏訪に残された伝説の自然の神の総称名「ミシャグジ」ではないかと・・・
そして数年前、戸隠伝説の隠された寺の尼僧のことを本で知りました。
その本は↓
玄冬の戸隠―神聖なる時空の交叉する聖地 単行本 – 2011/4
宮澤 和穂 (著)
この尼僧は皇室関係の血筋ではないかと書かれています。僧でなければ自費でこんなに立派な寺や供養塔は建てられない。広大な土地も自費では買えないし、しかも密教の聖地です。
そして一番真ん中の中社の横に建てたのですから、ただの尼僧ではなさそうです。
そしてこの本から、冬至や夏至のラインを知っていた土着の人たちの存在のこと、その人たちはみな、役職をはく奪され、殺されていったことを知りました。尼僧は、この地にやってきて開拓した方々も含めて供養をされていました。
この戸隠の中社の側に尼僧は寺を建ててここに籠りました。その理由は、罪もないのに殺されていった村の民たちの霊を鎮め、供養するためだったのです。
普通の村の人を一生をかけて住み着いてまで供養するなんて・・・戸隠村の土着の方々も、地方からやってきた方々も供養をしていただくなんて
・・・只者ではないでしょう。
私は何回か現地に足を運び、直接神社関連の方にお会いしてお話を聞きました。
そのお話しの中で「戸隠」という地名についての誤解があることを知りました。
戸隠という語源は、アマテルカミが天の岩戸に隠れたという地名ではなく、多くの土着の村人達が殺されていったことを隠した、という意味の言葉だそうです。
そして土着の村人達が大切に祈っていた自然の神のことなどを知りました。
またこの戸隠には対応している山があり、そこに降り立つ龍神を祀る役割があったことも知りました。
まさにお話しの内容は上に紹介した内容と繋がります。(時間的にはお話しの内容の史実が先にあってこの尼僧が来た意味が本を読んで繋がりました。)
またお話しの中で気になった「タケミナカタ」について質問したところ、なんと諏訪大社の村社(分社)にはどこにも「タケミナカタ」という名は出てないそうです。
これは創り話だというのです
その社を守っていた祝(はふり)の子孫たちから、先祖から語り継がれていた話を聞いて驚きました。
彼らの中で口伝で伝えられていた土着の神の大将の話を・・・
それが飛騨山脈(通称北アルプス)に住む「龍」だというのです。
飛騨山脈は長野県、富山県、岐阜県に連なる山脈です。
諏訪の土着の神とは、ミシャグジ神といい、それは一つの個の神ではなく、自然の神のすべてを司る総称名だそうです。それを龍神というそうです。
ここからは村の祝のある方(名前は言えません)からのお話しです。
まず龍と龍神は違うそうです。
龍は人間の姿ではなく龍として見せるそうですから、実際は霊格の高い方で、生前に徳を積んでいた方が、現世の私たちにご褒美として姿を見せるそうです。
今後の精進を応援するためにです。
しかし龍神は違います。それは人間には見えない自然の総大将だそうです。
ですからこの龍神たちはめったに人間界に姿は見せません。
それは次元が違うからだと言います。
しかし、よほどその人間にお役目があって、どうしても他の世界に伝えたいときや、重大な事項を伝えたいときにその者の前に現れるそうです。そして確実に言葉を伝えるというのです。
それは波動で伝わるので人間の原語が分からなくても伝達し、人間に問答をするそうです。
そして意志を確認し、安心して磁場に帰るそうです。
ですから龍神との約束は絶対に破れないそうです。もし破ればこの世での命はないそうですし、子孫たちも影響を受けてしまうそうです。
そして普通の家庭は持てないそうです。単独行動が何時でもできて、指令があればすぐに動けることが条件の一つだとか・・・
ですから良く「龍神から役目をもらった」と言っている方で家庭がある方は余程家族の理解がある方でないと無理でしょう。
そういう意味では空海は晩年にその役目を果たしていたのかもしれませんね。国付きの僧だった頃は不可能です。
あの尼僧もきっと龍神と約束をしたのかもしれませんね。
龍神という役割は「祓い清め」なのだそうです。
それも人の穢れを裁くためではなく、自然界に歪みが生じた磁場の氣を祓い清める役目だそうです。
祓い清めにより「食」を豊かにし、食の循環を行うのが役目だそうです。
季節に応じた動きをするそうです。
その動きには規律があり、それは宇宙の意志が中心にあるので、一匹の龍神が勝手な動きをすることは決してないそうです。
その龍神と心を通じ合わせることができた人間が特別な一族の中から誕生する子だそうです。
『ほつまつたゑ』では「オオタタネコ」という血筋名が出てきますが、きっとそのような一族だったでしょう。
この龍神が自然の精霊たちを統制しているんだそうです。
それら自然の神々を総称して「ミシャグジ神」というそうです。
この神の発祥の時代は縄文時代です。それはこの辺りの古墳から大量の縄文土器が出て来るからです。長野周辺は土偶が多く出ていますね。
今から約4000年前、縄文時代後期。
顔に仮面をつけているので「仮面土偶」というそうです。
性別は女性。全長34センチ。
長野県茅野市で出土した土偶↓
出土した時の写真↓
長野県は特に多いそうです。そして他の土偶よりも全長が約14センチも大きいのです。
なぜ土偶が女性なのでしょうか。
またなぜ逆三角形の仮面をかぶっているのでしょう。
体には渦巻きが刻まれています。これも縄文の特徴ですね。
そしてなぜか右足だけがもぎ取られています。
それは崩れたのではなく意図的にもぎ取られたそうです。
右と言えば女性を表す位置です。性別を記すために右足をもぎ取ったのでしょうか。
そして気になるのは、他の研究者方の情報ですが、縄文土器と弥生土器と殆ど一緒に出て来るんだそうです。
これは、縄文時代後期と弥生時代初期の時代の渡来人たちは、情報交換し合いながら、お互いの文化を融合して尊重しあって仲良くやっていたという証拠だそうです。
しかしその後の弥生時代後期の土器周辺からは縄文の時代のものなど一つも出てこないそうです。
明らかに弥生時代後期には日本国土に大異変が起こったということを意味しています。
そして時代は古墳時代へ。墓に死体を保管するようになったのです。それはまるでエジプトのピラミッドのように・・・
縄文の人たちは肉体は腐り、穢れになると思い、山に自ら入り自然の死を待ったそうです。つまり風葬でした。その肉体は鳥獣たちについばまれ、骨は土になりました。彼らは自然界の命の循環を知っていたのです。
しかし古墳時代には、元気な状態で生きながら食を断ち(断食)、ミイラになることで永遠不死の魂になり、また肉体は蘇ると信じていました。
これを実際に行った天皇も居ました。その大臣たちも一緒に墓に入るのです。
古墳の中に多くの人が生きたまま閉じ込められるのですから、日数が経つと断末魔の叫びが聞こえ、それを聞いてた人たちは生きた心地さえしなかったそうです。
その後、死者たちは当然蘇りなどないのですから、そのあたりをさ迷います。苦しくて行くあてもなく、その迷信に騙された者たちがさ迷うのです。
こうして古墳時代には様々な血なまぐさい事件が起きます。特に奈良にある古墳は何だかいい感じがしません・・・石舞台古墳もそうですね。
さて、話を戻します。
ミシャグジ神を祀っているのは諏訪大社上社だけです。
祀っていた神主の一家であった「守矢(もりや)家」という祝(はふり)は現在は途絶えています。
このミシャグジ神を祀ることを許された一族です。
この守矢家と仲良くやっていたのは弥生時代前半まででしょう。
そしてそれ以後、タケミナカタという神がミシャグジ神に変ったのでしょう。
そのタケミナカタ神を殺さないで赦し、二度と悪さをしないようにと言い、諏訪の地に住むことを許された・・・と『古事記』や『ほつまつたゑ』の中にはあります。
これは諏訪地方周辺の日本列島の中央部に存在していた強固なる王国をつぶしておきたい人たちの思惑かもしれません。
私は『ほつまつたゑ』も何かきな臭い、真実を隠している箇所が何か所かあると思います。
私は以前から一つの視点に集中しないようにしています。
時には密教から、時には聖書から、そして現地の長老から聞いたりしたことから探るようにしています。
さて、殺されたタケミナカタという神(本当はミシャグジ神という自然の神たち)は本当に殺されないで赦されているのでしょうか?
しかも諏訪大社なはぜ春と秋の宮に分かれているのでしょう。
上社、下社に分かれていて、上社には本宮と前宮があり、下社には春宮と秋宮があるのです。二社四宮あるのです。何だかおかしいと思いませんか?
私的な空想ですが・・・
ここからは私の仮説です~
ミシャグジ神であった自然神(龍神)を祀る守矢家と、渡来人の人たちが弥生文化を持ち込んだ時代に諏訪地方にもやって来て、目障りな霊力ある一族を殺していき、彼らの祈りのシステムを壊していったのでは?
はじめは争いなどなかったのに、鉄を武器にした時代から始まった。
武力には力で対抗する。
武力で国を統一する。
(これは明らかに倭人のすることではないと思います)
武力がまさった人たちはやがて国を統一し、そのトップに立とうと思うようになった。
そこで邪魔だった村(出雲と諏訪、東北など)があった。
その村には独特の祈りと不思議な力が形成されていて、その力だけは脅威だった。
土着の村人たちは古墳を徹底的に嫌がっただろう。
なぜなら縄文の自然信仰をしていた出雲と諏訪、東北の人たちは山や湖、川などに宿る精霊たちのもとへ人も帰っていくというアニミズムを持っていたからだった。肉体を穢れとしていたのだから。
石で囲った中に死体を入れる墓など作りたくはない。そんなことをしたらその周辺は穢れた土地になってしまうから。村は自然の循環ができなくなる。
最後まで命をかけて抵抗したが、ついに殺されていった。
こうしてミシャグジ神を信仰し、大切にしていた者たちの怨念が固まって、その後統一したはずの「ヤマト」に見えない仇討ちを仕掛けて行った。
その怨念を陰陽五行思想や呪術で封じ込めようとしたのが、その辺にある石の中や社に封じ込める儀式だったかもしれない。
しかしそれを行った数年後から天変地異が度重なり起こるようになった。
今まで人間と自然は共存してきたのにそれを祈る者が無くなったとたんに狂い出した・・・
これを鎮めるために神社ではなく「大社」という仏教的な名をつけて怨霊鎮めのための社を建てた。
だから大社と名がつく場所は、その土地の大事な者が殺されて怨念として暴れた場所であり、それを封じ込めた場所なのかもしれない・・・
とまあ、これはあくまでも推測ですが、これが私流の「出雲の国譲り神話」の真相で、『ほつまつたゑ』と『古事記』にあるお話とは大分違います。
真実は一つですが、これが正しいと決めつけてしまうと偏り、真実が見えなくなりますね。
ですから現在の私は、過去に行っていたように自分の推測を信じて、まずは行動していくように変えました。
いつまでも机に向かって学者風の調べものだけをしていても、いつまで経っても決してわからないでしょう。
動いて自分の足で現地に行かなくては感じることが出来ません。現地の見えない氣を肉体に入れて精査してみる・・・
これが空海の瞑想法なのですけど・・・
こういう方法を取ると、事実を知るためのご縁を戴けるから不思議ですね。
さて、神社という場には、土着の民たちの怨念を押さえつける縛り呪詛の場なのだと思います。
その場を縄文時代の時のように戻すことが大切なのだと思ってそのように行動しています。
自然の生き物たちは正直です。食や命の循環に心を合わせ祈っていると、どこから来たのか孔雀や山キジがやってきて、まるで何かを伝えたくて私の周りで鳴きながら動き回るのです。
また過去にありましたが、祈り出すと大鷹が御神木のてっぺんに止まり、私の祈りの言葉をずっと聞いていたこともありました。
そして祈りが終わると大鷹はご神木の上から大空へ飛び立つのですから不思議です。
さて、皆さんは「大社」と「神宮」の違いは知っていますか。
大社という名前で有名はのは「出雲大社」「諏訪大社」「春日大社」などがありますね。
一般的には神社の称号だと言います。さらに言えば
「神宮」と言えば「伊勢神宮」のみになります。
その他、○○神宮と名の付く場所は、天皇や皇室にまつわる人物(人)をお祀りしている所。
また全国に「宮」と付く名称は11あるんです。これもまた神数字ですね。
○○大社といえば、格式が高く、規模の大きな神社に付けたそうです。
それ以下の小さな規模には「神社」や「社」と付けたそうですが・・・
私の過去の調べの総まとめで予想すれば、大社はただの格式高い神社などではなく、高い格式にしなければならなかった理由があったからだと思います。
初め、「大社」と使っていたのは「出雲大社」だけでした。
しかしその後、19世紀から「春日大社」「多度大社」などが出たのです。
「神社」とか「社」と付く場所は、もともとは仮宮だった場所を聖地として建てた場所です。そこは自然の精霊たちが降り立つ聖なる場所なのです。
北を背にして建っている普通の神社は、冬至と夏至を計算して建っている神社ですが、その方位がずれている大社は明らかに何かを封じ込めているようでなりません。
現地に行って方位磁石で確かめてみると良く分かります。
さて、伊勢神宮は鏡が目立ちますね!
そしてなんと!
伊勢神宮にだけは、「しめ縄」が無いんです。そして「狛犬」がいない!
なぜでしょうか。
それはたぶん、祓い清める必要がないからでしょう。
祟りを起こす人を祀っているのではないからです。
結界を張る必要がないのです。
しかし出雲大社には大きな太いしめ縄があります。
これで何かを封じ込めているように思えてなりません。
本殿は正面の南を向いているのに、右横の神殿は西を向いているので、私たちが拝むときに神殿はそっぽを向いているんです。
大国主やその一族の念を封じ込めたのか?
さて、怨霊から話を戻します。
お寺や神社などの建物が出来た時代も奈良時代あたりからでしょうし・・・太古は社などなく、自然が社でした。
人と自然の関わりに戻すこと・・・そこに神社という役割を浄化システムに戻さねばと思いませんか。
神社に行けば、まず木に労いの言葉を掛け、水を根元にあげる。
そこには自然の氣が守っているのだから・・・
食が無ければ人はパニックになり国は滅びます。
ですから今でも神社の祭りでは「豊作」を祈るのが基本です。
自然の神を崇め、豊作をお願いするというものです。
食は当然自然の五大元素(仏教や密教では空・風・火・水・地で、陰陽論では木・火・土・金・水)が上手く循環していなければ出来ません。
そしてその五大要素は自然界の中の元素ですから、当然
「食を豊かにすること=自然の元素に祈ること」になります。
これをシンプルに行っていた時代の豊かな心に戻さなければ・・・
陰で神社や聖地に行き、祈りをされている方々に本当に感服します。
最後に、最近の私は神社に行くとき必ず「お掃除グッズ」を持っていくんです。
そうです。まず祈りの前に社の前や周辺をお掃除をします。
そして手を洗い、それから一言をあげさせていただきます。
それは今の私ができる精一杯のその場に残された無念の思いの方々への敬意の行動です。
その思い念が掃除という行動で清められて楽になって欲しいと願う心から起きました。
最近密教瞑想を行っているのですが、そのように日々自分の心身に良い変化が起きています。
今が十分幸せだと思えるようになりました。
ようやくです。
空海の密教瞑想法、もうすぐです。とても楽しみです!