九段の母 | サト_fleetの港

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ブログで取り上げる話題はノンセクションです。
広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


“靖国神社” と聞いて、みなさんは何を連想するだろうか。
現在の靖国神社は、境内にソメイヨシノの標本木があり、桜の名所として知られている。
花見に訪れる若い人たちの中には、
この神社が戊辰戦争から太平洋戦争 (大東亜戦争) までの戦いで戦没した英霊たちを祀っていることを知らない人も増えているという。



靖国神社には246万6千余柱の英霊が祀られているのだが、
それが軍国主義の象徴だという人や国がある。
国会議員や大臣が参拝すると、必ず特定の国や団体が猛抗議してくる。
今年5月には、社号標 (神社名を刻んだ石柱) が中国人ユーチューバーに “toilet” と落書きされて放尿された。

靖国神社では、過去にも外国籍の犯人による爆破未遂などの事件が複数件あった。

何かと政治的理由で攻撃される靖国神社だが、

私は、どこの国にもある戦没者慰霊碑を神社にしたものだと思っている。
そうするとまた、国家神道の名残りだと言って批判する人たちがいる。
これでは、祖国を護るために生命を捧げた英霊が、あまりにも可哀想である。


私は大学時代、靖国神社を訪れたことがあった。
上京する前から、一度は参拝したいと思っていたのだ。
地下鉄九段下駅の出口を出ると、靖国神社正門にそびえる大鳥居が見える。
鳥居をくぐり参道を進むと、立派な大村益次郎像が迎えてくれる。




この参道は、今は石畳になっているが、当時は玉砂利が敷き詰められていた。

スーツにネクタイ、革靴という正装?で、私が参道を拝殿にむかって歩いていると、不思議な体験をした。

私が玉砂利を踏みしめて歩く音がするのだが、
その音がだんだん大きく聞こえてきた。
そして、“ザッザッ” と規則正しく境内に響き渡った。
それは、私一人の足音とも思えない大きな響きだった。
その証拠に、何人かの人たちがこちらを振り返って見ていた。
その音を例えれば、兵士たちが行進する時の軍靴の音に似ていたかもしれない。

私は、きっと英霊たちが歓迎してくれていたのだと思うことにした。



靖国神社は、現在は国の管理を離れて独立宗教法人になっているが、
戦前・戦中は別格の扱いを受けていた。
特攻隊員たちも「靖国神社で会おう」を合言葉に出撃していった。
戦争で出征した身内を亡くした人たちにとっては、
靖国神社は、その御霊が神として祀られている神聖な場所なのだ。

そんな、息子を亡くした母の心情を歌った歌に『九段の母』がある。
あれは私が高校生だった頃、
クラスの余興でかくし芸大会のようなことをやったのだが、
その時、バレー部の女子が歌を歌うことになった。
すると、その子は
「♪上野駅から九段まで・・・」
と歌い始めたではないか。
「おっ!九段の母」と、私は声に出して驚いた。
戦後30年ほどしか経っていない時代とはいえ、山口百恵やキャンディーズが全盛の頃に、
10代の女子高校生がこの戦時歌謡を歌うとは思ってもみなかったのだ。
きっと、家で戦争体験者のおじいちゃんか、おばあちゃんがよく歌っていたのだろう。
私は、歌い終わった彼女に心から拍手を送った。

『九段の母』は昭和14年 (1939年) 、
石松秋ニの作詞、能代八郎の作曲、塩まさるの歌唱でテイチクレコードから発売された。



『九段の母』では、戦死した息子が祀られている靖国神社に参拝するため、
地方から年老いた母が上京してくる場面が歌われている。
その母は、愛息を失った悲しみは表に出さず、
勲章をもらって、立派なお社に祀られていることがもったいないと、ありがたがる。
そして、“母は泣けます うれしさに” と言うのである。
そのような歌詞にしなければ、戦時下の日本では発売できなかったのだろう。
しかし、
産み育てた息子が死んでうれしい母親などいるだろうか。
本当は、母は息子に生きて帰ってきてほしかったに違いない。
出征した息子も、生きて家族のもとに帰りたかっただろう。

とくに、戦地の兵士たち、男たちにとって、母親は特別な存在である。
こんな話がある。
戦後、アメリカ軍と元日本軍の関係者の集まりがあった。
その席で、日本兵の最期に居合わせたというアメリカ人が、
日本兵は「オー、サン」(Oh, sun!) と叫んで死んでいったが、さすが日本は太陽の国だと仲間と語り合ったと言った。
すると、日本側の参加者が言った。
「その日本兵は、おそらく “お母さん” と言ったのだと思う」
これには、一同しんみりしたそうだ。
これに類する話は山ほどある。
戦場で若い兵士たちは、母の名を呼んで死んでいったのだ。

『九段の母』を聴くと、
金鵄勲章をもらう手柄をたてながら戦死した息子と、
その息子の御霊に会いに、靖国神社まではるばる訪ねてきた母親の気持ちがしのばれ、胸に迫るのである。

すべての英霊、すべての戦没者に合掌。