ルージュの伝言 | サト_fleetの港

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ブログで取り上げる話題はノンセクションです。
広く浅く、幅広いジャンルから、その時々に感じたことを “おとなの絵日記” のように綴っていきます。


パリオリンピックが開幕した。
パリと聞いて、私が連想するのが “ムーランルージュ” (Moulin Rouge)。
画家のロートレックが通いつめたことで知られるモンマルトルにあるキャバレーだ。

盛んに上演されたフレンチカンカンが評判になり、パリっ子たちで賑わった。

ムーランルージュとは、フランス語で “赤い(Rouge) 風車(Moulin)” という意味。

エッフェル塔とともに、今もパリの名所になっている。


※ムーラン・ルージュは 今年4月、

シンボルの風車の羽根が落下して
ニュースになった。


ルージュは口紅の意味として日本でも定着している。

このルージュが登場する歌に、

荒井由実時代のユーミンの『ルージュの伝言』(1975年) がある。

その歌詞には、

ルージュ」「バスルーム」「ママ」「ダーリン」など、

洋楽のテイストを感じさせる言葉がちりばめられている。

今なら珍しくもないだろうが、当時としてはすごく斬新だった。
おそらく、日本人が作った歌に “ママ” という歌詞を使った最初ではないかと、ユーミン自身が語っていた。

また、表現も独特だった。

普通なら、
「どんどん遠ざかって」とするところを
Ding-Dong 遠ざかって」とユーミンならではのオノマトペを使っていたりする。

ユーミンはこの『ルージュの伝言』を、たった30分で作ったそうだ。

これが才能というものだろうか。
短時間で出来た歌といっても、内容は全然チープではない。

初期の頃のユーミン (荒井由実) の歌は、シンプルだがインパクトがあった。
オシャレなドラマ性があり、恋愛の機微を歌っていてもベタベタしていない、湿っぽくもない。
どこか、日本人ばなれしたセンスを感じさせる。
それは、ユーミンの過ごした環境に影響されているのかもしれない。
ユーミンの生い立ちについては、また機会をみて取り上げてみたいが、
ユーミンの歌は、彼女だから作ることが出来た唯一無二のものだと思う。

※荒井由実時代のユーミン



『ルージュの伝言』でコーラスを担当しているのは、若き日の山下達郎や大貫妙子、吉田美奈子らの面々。
だから、今聴くと、とても豪華なドゥワップのコーラスになっている。

間奏部分で、山下達郎の特徴あるフォルセットを聴くこともできる。


こうして誕生した『ルージュの伝言』。
外国映画のようなシーンが、アップテンポで歌われている。


ルージュの伝言

作詞・作曲・歌唱∶荒井由実 


あのひとの  ママに会うために

今ひとり  列車に乗ったの

たそがれせまる  街並や車の流れ 

横目で追い越して

 

あのひとは  もう気づくころよ

バスルームに  ルージュの伝言

浮気な恋を  はやくあきらめないかぎり

家には帰らない

 

不安な気持ちを残したまま

街は  Ding-Dong  遠ざかってゆくわ

 

明日の朝  ママから電話で

しかってもらうは My Darling!

 

あのひとは  あわててるころよ

バスルームに  ルージュの伝言

てあたりしだい  友達にたずねるかしら

私の行く先を

 

不安な気持ちを残したまま

街は  Ding-Dong  遠ざかってゆくわ

 

明日の朝  ママから電話で

しかってもらうは  My Darling!

しかってもらうは  My Darling!



『ルージュの伝言』がリリースされたのは1975年。
その時代を知る人には懐かしく、新たに知った人には新鮮な曲。

この曲はアニメ映画のオープニングや挿入歌に使われたので、
荒井由実時代のユーミンを知らなかった世代にも広く知られるようになった。

そのため、現在までに多くの内外のアーティストたちがカバーしている。

まさに、ユーミンの紡ぐ世界観に国境はない。

これからも、世界中の人たちに愛されていくことだろう。






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